第55話四日目、昼ー3
「元凶、ですか」
「その意味が、君には解ると思うのだが」
スフレ司教の言葉に、シンジは眉を寄せる。
試されている気分だ――ここに課題があります、貴方の手元にはこれこれこうした物があります、さて、どうする?
司教の言葉からは、シンジならば理解できるという確信が感じられる。だとするなら、手元には解決のための材料は既に揃っているというわけか。
或いは――揃える機会があったということか。
少し考え、シンジは目を見開いた。魔術師、研究者である自分なら気付くであろう、殺意。
「まさか……!」
錬金術師の墓所とやらに踏み込んで、ネロ・エリクィンが感じたのは乾燥した失望だった。
鋼鉄の扉をちょっとした手順でこじ開けた先には、渦を巻くような螺旋階段。
ミド=レイライン大学の図書室の階段は、蔵書の運搬を意識してスロープを付ける等、機能を優先した建造物だった。錬金術師、【怠惰なる探求者】たちは成る程熱心だと感心したものだが、ここは違う。
素材の解らない金属の蔦が幾重にも絡まったような手摺には、流麗な細工が施されている。同じく細工仕掛けの踏み板は薄く、細身のネロでさえ誰かと同じ段には立ちたくないと思うほど華奢な造りだ。
壁を見れば、幾つかのランプ。
中心部で赤く燃え盛る魔石は、幻想的ではあるが、窓の無い階段を照らすにはまるで足りていない。
玩具を自慢する幼子のようだ、という印象は、装飾過多な階段を降りきった先、現れた部屋で更に強化された。
確かに、見事な図書室ではあるのだろう。
天井まで達する高い本棚が壁一面を多い尽くす様は、そこに収められているのが錬金術師たちの生涯を賭けた研究成果であることを鑑みれば、畏敬を感じなくもない。
だが――ネロは異端審問官だ。
稚拙に掘り進められた穴蔵に、無理に小屋を建てたような印象の部屋に、ネロはため息を吐いた。ここに集められた死者の宝石を有り難がるには、自分の立場は複雑すぎる。
ここにいたのが、もしもシンジであったならと思わずにはいられない。
彼ならば、この神秘の蔵書を前に素直に膝をつくことが出来ただろう。
何十年、それ以上の歳月をただただ愚直に積み重ねてきた、真理の探求の成果。それが積み重ねられた成果を前に、畏敬を感じ、率直な感動を胸に抱くことが出来た筈だ。
だが、自分は。ネロ・エリクィンは。
神を信じ、神の言葉を信じ、神の為すことを信じる者だ。
ヒトは、神の園に迎えられるためだけに生きるものだ。真理の探求はその一つの道にすぎず、その他の道と大差がないのだ。
そびえる本の数々は、信仰者が積み上げる石と変わらない。
だから感動は、きっと純粋なものではない。知識と比べて、上か下かと考えてしまう。
教授ならばきっと、ただ作成者の努力の痕跡を評価して、功績に打ち震えただろう。
自身の場違いさにネロは一度、数秒の間だけ目を閉じた。ここに立ち、神秘の偉大さに感動する役目は、我が友人、シンジに譲りたかったものだが。
再び開いたとき、その黒にはいつもの笑みが浮かんでいる。
友はここには居ない。ならば、自分がその役に就かなくては。
「これはすごいですね」
「これはすごいですね」
ネロ司教の言葉に、ルカリオは得意気に胸を張った。男友達には凝視され、女友達はその胸を見ながら「止めろそれマジで」と言われる動作に、司教は軽く首を振るだけで済ませた。
「とはいえ、時間はありません。早くクォーツさんの本を探さなくては」
「そうですねっ、えっと、二十年前だと……この辺りですね」
小走りに近付いた本棚から、ルカリオは一冊の【完本】を取り出す。
革表紙は白く、その分汚れが目立つ。どうやら、誰にも見向きもされていないようだ。棚に押し込まれ、誰の目にも触れない研究なんて、なんとも物悲しい結末だわと、ルカリオはそっと表紙を撫でた。
それから、静かに表紙をめくる――その時にふと、ルカリオは気が付いた。
「そうだ、鍵!」
本は暗号の塊だ、読むためには鍵がいる。
そしてルカリオたちは、クォーツの鍵を持っていない。詰まりは今手元にあるのは、ただ膨大な量の文字の羅列でしかない。
「しまった……」
ルカリオは自分の迂闊さを呪った。「これじゃあ、どうしようも……」
「……文字の癖は、どうですか」
「え?」
ネロは、ルカリオの手元を真剣な表情で覗き込んでいる。誰にも読むことのできない本を、だ。
鍵がなければ読めないというのに――それとも、これもこじ開けるつもりなのだろうか。
とはいえ、ルカリオも秩序神教徒だ。司教様の求めを無下にはできない。
ネロの視線を追うように、癖の強い文字列を眺めていく――いや。
「これ、まさか……」
「見間違いかなとも思いましたが、どうやら当たりのようですね」
司教様のこじ開けは、どうやら今度も成功したらしい。
文字の癖、一門でないとけして同じにはなり得ない筈のそれ。
だというのに、クォーツの【完本ヌース=ホルフ】の文字の癖には見覚えがあった。それも、ごく最近見た文字。
「お父さんのと同じです!!」
「……どうやら、話が読めてきましたね」
ひどく焦った様子でページをめくるルカリオを見ながら、ネロはため息を吐いた。街のトップ五人には、どうやら共通の秘密があるらしい。
「盗用……!」
「やはり、君もそれが思い当たったか」
スフレ司教はステンドグラスを見上げながら、深々と長く息を吐いた。
「あの五人が真理を見付け出したというのなら、私とて信じるとも。彼らは優秀で、勤勉だったからな。だが――隠すとなると、可能性は一つしか思い付かん。他の錬金術師の理論を盗むことだ」
「そして、盗まれて文句を言わないのは――」
「クォーツ夫婦だ、彼らは既に死んでいて、しかもその死に関しては、誰もが触れたがらない」
シンジは、ステンドグラスを見詰めた。
研究者にとって、それはまさしく最悪の邪悪だ。懸命に、身を、魂を削って書き上げた論文をもし盗まれたら。
しかもそれが、自分の死んだあとだったなら?
死は誰の身にも平等に降り注ぐ。だからこそ生きる内に走るのだ――死後、名前だけでも永遠に生きられるようにと。
それを、奪われた。
墓石から名を彫り取るような非道な行為だ。更にその上、あげくの果てに、それを彼らは封印した。盗んだ宝を使うことも飾ることもせず、ただ物置に放り込んだのだ。
ステンドグラスの中では、天使が静かに微笑んでいる。
彼女は、全てを見ていた筈だ。光をもって真理を伝える天使は、目前で行われた卑劣な行為に、果たして何を思うだろうか。
ルミアレスの変身 レライエ @relajie-grimoire
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