第21話二日目、夜ー2

 いささか以上に息を切らして、オズマンは自室へと戻った。


 標準体重の持ち主しか想定していないであろう椅子が、オズマンの体重に悲鳴をあげる。

 通常なら、十年来の古い付き合いである彼の耐久力にはそれなりの配慮を見せるのだが、今宵のオズマンは、そんなことも出来ないほどに疲れ果てていた。


 過去からの来訪は、得てして現在を脅かすものだ。それが、理性で封印した恐怖ならば、なおのことだ。


「クォーツ夫妻の遺体は、我々で埋葬した筈だ」

 エングレオの言葉に、イカロスが淡々と応じる。「アンドリュー・クォーツの首から下と」

「テレサの遺体は、全身を埋葬した!」

「盗まれたのだろう。他人の物に価値を見出だす者は、同じ情熱をもって手段を見出だすものだ」


 簡潔な結論に、オズマンたちは息を呑んだ。

 彼らは錬金術師であると同時に、秩序神を信仰する信徒でもある。死後の世界を証明こそ出来ていないが、信じている者たちである。

 埋葬され、神の御下へと旅だった者たちのことを、掘り返して利用するなどという冒涜的な考えは、思考の選択肢にさえ含まれていなかったのだ。


「……間違いなく、クォーツ夫妻の遺体なの?」

 ウルカが疑わしげに呟いた。「随分と昔のことだわ、似たような遺体を用意した可能性だって……」

「それは、間違いないだろう。何せスフレは、シンジ・カルヴァトスを連れていたのだから」

シンジ・カルヴァトスを? 【魂の冒涜者】、教会に弓引く者」

「そうだ」

 イカロスは頷いた。「ウィータ、魂の暗号。彼の魔術師が協力しているのなら、個人の特定は悪魔のごとく正確だろう」

「教会に刃向かうなどと、何と愚かな青二才と思っていたが……教会に協力していたとはな。魔術師にしては、中々賢明じゃないか」


 オズマンはため息を吐いた。

 エングレオは自らの発言の皮肉に気付いているのだろうか――賢明な冒涜者こそ、何よりも恐ろしいというのに。


 しかし現状、異端審問官と魔術師の組み合わせは非常に強力なコンビだ。現実の捜査力と、幻想の捜査技術とが手に手を取り合うとしたら、犯人に逃げるすべはあるまい。


 希望的な観測だ、とオズマンは自覚していた。そして、エングレオとウルカの希望的な意見を思い出す。


「とは言え、事件は二十年前だ。現在の捜査で、果たして何が解るものか疑問だな」

「遺体は、あっという間に風化したらしいじゃない。とすると、遺体が盗まれたのは埋葬直後でしょう? もう、何の痕跡も残っていないのではないかしら?」


 確かに、とオズマンは同意した。

 確かに遺体が盗まれたのは遥か昔だろう、とすると、いかな神秘の技とて遡ることは不可能に近い。


 だが、彼らは忘れている。或いは、その幸運を自らに授けているのだろう。


 確かに遺体が盗まれたのは遥か昔だろうが、

 犯人は、現在に生きる者だ。過去の亡霊などでは、けしてない。


 イカロスも、それに気付いているのだろう。

 友人たちの弱々しい防御を一瞥すると、イカロスは強く断言する。


「警戒せよ。これが何の予兆にしろ、呼び声は今この時から響いている」









「……現在からの、呼び声か」


 椅子に深々と身を沈ませながら、オズマンは低く呻いた。

 二十年前の事件は、悲劇だった。しかし、全ては二十年前に終わったことだ。

 現在にまであとを引くような要素は、あの事件には存在しなかった筈なのだ。被害者は二人とも死んでいて、加害者は忘れようと努力している。今さら、掘り返したがる者はいないだろう。


 一体、誰だ。

 そして何より、何のために。

 オズマンたち四人を驚かすという目的ならば、既に充分達成していると思うのだが。


「…………ん?」


 身をちぢ込ませた瞬間、ふと、ポケットに刺さるような刺激を感じ、オズマンは首を傾げる。

 ウインナーのような指を窮屈そうにポケットに潜り込ませる。その指先が触れた瞬間、オズマンの記憶にそれが甦った。


 イカロスの部屋に落ちていた、紙切れ。

 暴力的に丸められたゴミ屑をオズマンは眉をしかめて眺め、それからふと、ゆっくりとそれを開いた。

 そこに書かれた文章を、彼はじっくりと読んだ。


 そして。









「…………」


 男の来訪を、彼は無言で見届けた。

 体型に似合わない、慎重な忍び足で現れた彼は、捜索の不都合を差し引いてでも人目につかない方を選んだらしい。夜も遅いというのに、光源を何一つ持っていなかった。

 足元さえも覚束無いのか、男はよろけながら先を目指して進んでいる。


 彼はほくそ笑んだ。

 男の歩みは遅く、彼は余裕をもってその後を追いかけることが出来た。勿論そうでなくとも、彼には通常の人間には無い優位点があるが。


 彼の瞳は、人間とは違う。

 月の明かりや星の輝き、そんな微かな光でさえ、彼の視界を照らしてくれる。


 彼の足も、そして腕も、人間の脆弱さとは無縁だ。音もなく忍び寄りながらも、その歩みは形振り構わない人間の走りより鋭く早い。

 彼は捕食者だ――弱い人間を狩る、生まれながらの狩人だった。


 彼は慎重に、そして大胆に、男の後を追っていく。彼の予想通りだったら、このままで良い。

 程無く男は、自らの墓穴に自分の足で辿り着くことになるだろう。


 そして、その時こそ。

 

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