第22話三日目、朝

 目を覚まして一瞬、自分が今どこにいるのか、シンジは把握できなかった。


 夢見がちロマンチストと揶揄されることの多いシンジではあるが、その皮肉に本人はいつも苦笑せざるを得ない――シンジは睡眠をとるとかなりの頻度で夢を見て、しかもそれを記憶してしまっていた。

 魔術師になる才覚を持つ者は、得てしてそうした夢とか、宗教がと呼ぶ一種の閃きに対して敏感になる。金属という稀有な属性を持つシンジであったが、その点に関しては普遍的であった。


 の方が遥かにだ、とシンジは思う。神からのメッセージであれば、それはどれだけ判別が困難であっても、確実に意味を持つ。


 夢は、違う。


 記憶の整理であり、欲望の吐露であり、無意識の発露であるそれは、より単純に言うのなら混沌ケイオスだ。

 意味の有無など、神の有無を証明するよりも困難なインスピレーションの嵐は、昔からシンジを悩ませ続けてきた。

 無意味である、と断じられたならどれ程気楽だっただろうか――残念ながら、シンジの夢の中には時折そうではないものが交じり込んでいた。

 友人の失踪と、その監禁場所を夢で見た時点で、シンジは諦めた。自分の人生は、この無秩序の泉に意味を与え続けるためにあるのだ、と。


 幸い、今朝の夢は明らかに無意味だった。今回の事件に、山盛りになった水泳鳥ペンギンの素揚げが関係するのなら別だが。


「……祭りの三日目、旅行中」


 意図的に声に出した言葉は、シンジの意識を多少ははっきりとさせた。これ以上の覚醒には、砂糖をたっぷり入れたコーヒーが必要になるだろう。

 よろよろとベッドから起き上がりながら、ふと、シンジは記憶の整理に一言付け加え忘れたことを思い出した。


 事件は、解決した。


 言葉にしようとして、シンジは少し悩み、そして止めた。

 啓示を待つまでもない。まず間違いなく、そうはならないだろう。

 事件は確かに進展を見た――死体は数日の内に生み出されたものではなく、かなりの昔に生じたものをしただけと判明した。


 問題は、その過去が、一部の人間にとってはどうやら急所クリティカルらしいということだ。

 もしも――まぁ間違いなくそうだろうが――犯人が狙っていたとしたら。急所をさらけ出した相手に何もせずに手番ターンを終えはしまい。

 今は未だ、犯人の手番だ。即ち、こちらは応じる側である。


 打つ手を数個考えて、そのどれもが『情報不足』の結論に到達したのを切っ掛けに、シンジは頭を切り替えることにした。

 先ずはシャワーだ。

 熱い湯を潜れば、良いアイディアも浮かぶかもしれない。少なくとも、目は覚める。









「おはようございます、教授」


 シャワールームから出ると、ネロが居た。「鍵をかけたと思ったんだが」

「この町では」

 ネロは微笑んだ。「司教には皆、親切なのですよ」

「二十年前からな」

「有史以来、です。珈琲でも?」

「ありがとう」


 カップを受け取り、ベッドに腰掛ける。

 ネロは立ったままだ。座れば良いのに、と思ってから、シンジは自分の部屋の床がどのような状態だったかを思い出した。


「今日は、部屋の掃除でもした方が良いかもな」

「整理くらいは必要でしょうね。ホテルの方も、ベッドメイクが出来ないと嘆いておられましたよ」

「危険のあるものは、無いんだが……」

「魔術師にとっては、そうでしょうけれど」


 ネロの苦言を、シンジは渋々ながらも認めざるを得なかった。


 魔術師の部屋に散らばる紙切れ程、不気味なものはあるまい。魔術師の走り書きは、独り言と同じくらい危険なものだ。

 真に力のある魔導書は、その文面をちらりと視界に収めるだけで、対象に悪影響を及ぼすという噂がまことしやかに囁かれているのを、シンジは何度も耳にした。

 所詮噂は噂だ、現実には、紙に書いた呪文を誰かが目にしたところで然したる効果はない。


 誰彼構わず一瞥で発動するようなものは魔術とは言わない。それは、ただの呪いだ。


「要するに、悪評幻想ノセーボだ。毒だという思い込みで、ただの水がヒトを殺すように。魔術師の品というだけで、紙がヒトを呪うんだ」

「或いは」

 自らのカップを口に運びながら、ネロが呟いた。「

「そうだな」


 危険なほどに毒を含んだネロの言葉を、シンジはあっさりと受け流した。


 そんなのは、良くある話だ。殺されたり殺したり、疎まれたり、憎まれたり。

 それこそ、有史以来の原則だ。大多数と異なるものは淘汰される。それは善悪で論じられるべき問題ではない。


 異物を取り除きたい気持ちは、シンジだって解る。もしも逆の立場――魔術師が世界の中心で、魔術師でないヒトが唐突に自分達のコミュニティに生まれたなら、魔術師たちは彼らを迫害するだろう。

 ある意味で、ひどく合理的な結論なのだ。

 異質を放置すれば、異質は数を増し、やがて自分たちが異質になってしまう。中心から外れないためには、他を蹴落とさなくてはならない。


「私には解りません」

 ネロは珈琲の湖面を眺めながら呟いた。「クォーツ夫妻は、同じ神を信仰する同胞だった。それを、無慈悲に排斥するなど……」

「同じ神を信仰する同胞だった、赦されなかったのかもな」


 どれ程異質でも、ヒトは植物を迫害しない。あまりに違いすぎるからだ。

 共通点があるからこそ、異質は異質となる。


「悲しい結論です、教授。私たちは神を信じています。触れることも出来ない、形の無いものを、それでも自らを見守ってくださると信じているのです。

 遥か遠い御方を信じられるというのに、この町の住人は、隣人を信じられなかったのですね」

「身近な方が、信じるのは難しい。信用する相手が遠ければ遠いほど、気が楽だ。それに、過去の話だ、ネロ。全ては遠い昔に起きたことで、最早通り過ぎた悲劇だ」

「そうは思えません、教授」

「僕もだよ。でなければ、は出てこない」


 シンジたちは、揃って深く息を吐いた。

 事件そのものは、確かに過去だが――戸棚で埃を被るのを良しとしない誰かがいる。しかもその足音は、ごく間近に迫っているのだ。


。ただの悪戯とするには、どうにも奇妙だ」

「奇妙?」

「解説の前に」

 シンジはカップを軽く振った。「燃料を補給したいな」

「では、朝食にしましょうか」


 自ら誘導したネロの申し出を、シンジは吟味し、熟考し、それから漸く頷いた。


「あぁ、悪くない意見だよ、ネロ。但し、店でな?」

「かしこまりました」

 ネロは微笑んだ。「良い店を、ご紹介しましょう」

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