第23話三日目、朝ー2
駅のすぐ近くにまで足を伸ばして、シンジたちは一軒のカフェで朝食を採ることにした。
「……高いな」
メニューに書かれた値段に、シンジは眉を寄せる。「イカのアーリオオーリオが1100ロラ? 相場の二倍以上じゃないか」
「イベント価格というやつですよ、仕方がありません。ホテルの側の店は、どこも混んでいますしね」
「確かにな。どうしてあそこまで行列が出来るのかと思っていたが、あそこは良心的だったというわけか」
「機会がヒトを貪欲にする。要求されればされるほど、応じる側は横柄になるものですからね」
とはいえ、背に腹は代えられない。
シンジはエイのフライとコーヒー、ネロはくるみパンにハーブティーをそれぞれ注文すると、無個性に並べられたテーブルの一つに座る。
驚くほどの早さで揃った注文に顔をしかめてから、ネロが早速口を開いた。
「脅迫文が奇妙、というお話でしたね」
「あぁ。……妙な言葉遣いにも思えるが、そういうことだ」
想像通りと言うか何と言うか、フライは冷めていて、衣もしんなりとしていた。
出来立てではなく、昨夜の残りかもしれない。何せ昨夜は水神の夜だ、溺れるほどの魚介料理が振る舞われた事だろう。
まあ、とシンジは自分を慰めた。ここで期待外れを引いておけば、夜の食事をより楽しめるじゃないか。
「死体を見せる、その効果は昨日充分見させてもらった」
「二十年前の事件に、何かがあるようでしたね。どうやら額面通り、町の人間による迫害だけではなさそうです」
「そうだな。その効果を、犯人は狙っていた筈だ。そして、それは成功した。……なら」
頷いたネロに、シンジは鋭い視線を送る。
「この手紙に意味はないだろう?」
脅迫文の意味は大きく分けて二つ――世間に対する持論の誇示と、相手に恐怖を与えることだ。
そのどちらの意味も、この脅迫文は果たしていない――何故なら。
これは、一人の少女に届けられたものだからだ。
「例えば教会や、昨日のワニウム氏に届けるのなら未だ解る。事件は衝撃的だが、隠匿行為も中々周到だった。報せなければ、気が付かない可能性もあっただろうからね」
だが。シンジはため息を吐いた。「これはルカリオ・ファビウム。単なる一学生に届けられたものだ」
「……そのルカリオ嬢から、広められることを期待したとか?」
「なら、もっと楽な方法がある。死体と共に置いておくことだ。そうすれば間違いなく教会に伝わるし、観光客の目に留まれば更に広まることだろう」
「……確かに、妙ですね」
死体を用意する周到さ、遺棄する際の手際。
それと手紙の出し方が、どうにもちぐはぐで、一致しない。
何と言うか、精緻に織られた犯罪の敷物の中で、この脅迫文の存在は浮いている。意図も意味も、まるで不明なのだ。
確かに、ルカリオは怯えていたが。
ルカリオに伝えることに、何の意味があるのか。それが解らない限りは、この違和感は解消されないだろう。
「ところで、文面を覚えてるか?」
「複雑だったな、ということくらいですね」
「……『我は神霊、我は悪霊。未だ目を閉ざし、顔を背ける者よ。我が魂の見えざる輝きを見よ。五つの輝きで、お前たちの目を開かせよう。邪魔をするな、震えて夜明けを待つが良い。啓蒙の光は、もう目の前にある』、だ」
「複雑ですね」
「まぁ、そうだな」
ネロの言葉に、シンジは頷いた。「確かに複雑だ……それも、覚えのある複雑さじゃないか?」
コーヒーもまた、特徴の無い味だった。
砂糖を数回入れ溶かす間、ネロは首を傾げていた。相変わらず、鈍い男である。
シンジはため息を吐いた。
「……この回りくどく大袈裟な言葉選び、使われている単語。これは、錬金術師の言葉遣いだ」
「何ですって……!? それは、まさか……」
「落ち着け、ネロ」
名前を呼ぼうとしたネロを、シンジは遮る。
気持ちは解るが、結論を出すには早い。
「錬金術師といえば確かにワニウム氏と思うだろうが、それは僕らだからだ。この町には錬金術の学舎、その最高峰があるんだぞ。石を投げれば錬金術師に当たるくらいだよ」
「ブラックジョークに聞こえますが」
「笑えないがね。詰まり、容疑者は錬金術の知識を持っているということだけで、無限大だというだけだからな」
加えて言うなら、このリシュノワール在住の、というところか。
例えば、霊という単語。それも神霊或いは悪霊という言葉は、錬金術師の中でも【信教派】と呼ばれる派閥が使う言葉だ。
錬金術は神より授けられた叡智であると考え、神の時代へ帰ることを究極目的とする一派である彼らは、ここ、リシュノワールのミド・レイライン大学を主な本拠地としているのだ。その理由をかつてシンジは知らなかったが、今では良く理解している。
「霊、という表現は、珍しいのですか」
「そうでもないが、敢えて使う単語ではないかな。自分のことを表現するなら尚更だ。
あとは、『魂の見えざる輝き』という部分かな。こうした矛盾する言葉の並びは、錬金術師の専売特許さ」
例えば、『火のごとき冷たさ』とか、『大きく小さき獣』、『無価値なる路傍の石こそ貴重である』なんて教えまで。
彼らがどうにも胡散臭げな雰囲気を払拭しきれない理由が、その好みだ。相反する言葉を並べる言い回しは、もっともらしいが、中身の薄さを際立たせるのである。
こんな言葉がある。
錬金術師の論文は、究極的には幾つかの数式のみに要約される――それが何枚、何十枚、何百枚であろうとも。
衝撃的な発言だ、しかもこうした皮肉な指摘をしたのは、同じ錬金術師なのである。言葉遣いどころか、在り方そのものにも矛盾を孕んだ存在なのだ。
「もう一つ、気になる言葉がある――文章の最後、『啓蒙の光』という部分だ」
「啓蒙、なんですか?」
「『
どちらかというと、ネロの専門分野だが。
そう前置きして、シンジは口を開いた。
「ここの祭りは、神が世界を創った際の伝承を元にしたものだ。その最後の段階は?」
「ヒトです」
ネロは即答した。「邪神の影を秩序神が打ち払うと、影からヒトが生まれた」
「そう。それだ」
影を、秩序神が打ち払った。
どうやって。
その、方法は?
「光。闇を打ち払うのは、やはりそれしかない」
「それが、ルミアレス? 犯人が匂わせているものは、神の光だと?」
「そういうことだ。ヒトの目を覚まさせる、導きの光。知恵を与える伝説の光」
この場合、とシンジは思う。
与えるのが知恵とは限らないが。
「強い光は、時として闇よりもヒトを傷付けるものですが。その
「解らない、錬金術師の間でも、それは秘奥としか伝わっていないんだ。詳しいことは、錬金術師しか知らないんだよ」
「では、どうするのですか?」
「僕は学び手だ、ネロ。解らないことがあったら、採るべき手段は一つしかないよ。……知ってるヒトに、聞くことさ」
「錬金術師に?」
ネロは眉を寄せた。「昨日のワニウム氏の態度を見るに、彼は好意的な教師とは思えませんが」
シンジも頷いた。「それはそうだろうね」
「では、教師に聞きに行こうか」
幸い。
この町には、錬金術の知識を教える最高峰があるのだから。
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