第24話三日目、朝ー3
狐の巣穴は狩人に聞け、というわけで。
錬金術のことを聞くなら、やはり錬金術師に限る――それも、教師として活動している錬金術師にだ。
「しかし、教授も錬金術にはお詳しいのでは?
先程の推論を聞く限り、という前置きは必要でしょうけれど」
「本は読んでいるよ。しかし、それだけだな」
「それだけでは、不十分なのですか?」
「不十分どころの話じゃないな」
シンジは苦笑しながら、テーブルの上では未だマシな方のコーヒーカップを口に運ぶ。
目の前の皿には、エイのフライが二個残っているが、それに手をつけるつもりはシンジには無かった。
外食とは、金を払って満足を買う行為だ。満腹ではない。
ネロは、もしかしたら宗教上の理由でもあるのだろうか、くるみパンを千切ってはひたすら口に運んでいる――そう、驚くべきことにバターも出なかった。
勿論、ジャムもだ。くるみに対して過剰な期待を持ちすぎではないだろうか。
「錬金術は」
彼の努力には感動するが、共感はできない。シンジは言葉を続けた。「さっき少し言ったが、『矛盾と比喩の学問』だ。一見何の関係もないような絵や寓話に、彼らは真理を交ぜ込む」
「『息子を食べる老人』の絵などですか?」
「元々、彼らは
「大それた考えですね」ネロは肩を竦める。
「そうとも限らない」シンジは苦笑する。
不機嫌の混ざった疑問を表現するように、ネロは首を傾げる。
それはそうだろうと、シンジは頷いた。神の仔が錬金術師の開祖というのは、魔術師の同類と言われているようで不快なのだろう。
ネロ、そしてその他の多くのヒトは錬金術師を魔術師と誤解しているし、錬金術師もまた、弁解に熱心ではない。致命的な誤解は、ある意味で仕方がないことなのである。
とはいえ、誤解からは正解は生み出されない。無秩序からの奇跡的な到達を待つよりは、それを解く方が手っ取り早いだろう。
「どちらかといえば、彼らは敬虔な信徒だよ。錬金術の殆どはかつて、神が創り上げた自然を目指している。神話時代、当たり前に存在した楽園の法則を読み解き、それを再現するのが目的なんだ」
彼らは、自然を神聖視している――かつての自然を。
石、草、森林、山。自然には全てがあると錬金術師たちは考えていたのだ。全てがある、考えるべき謎も真理も、偉大なる自然の中に存在している。全て。
ネロは、パンの最後の破片をようやく食べ終え、ため息を吐いた。
「どちらかといえば、教授。それをこそ、私たちは不敬と言うのですよ。自然を神が創りたもうたと理解し、それを尊敬しながら、なおもそれを再現できると思う傲慢をこそ、ね」
「だとすると魔術師は、なおも悪いかもな。僕らは似たようなことをしていながら、神への尊敬さえ無いんだから」
「それは悪徳ではありますが、不敬とは違いますね。教授、貴方も、勉学の入り口に立った者の無知を責めはしないでしょう? それと同じです、神の奇跡に対する無理解は、単なる無知でしかない」
「リシュノワールの人々が、君と同じくらい寛容だったら良かったんだが。或いは、過去の魔術師たちも」
「どういう意味ですか?」
「前にも言ったが、錬金術師は魔術師じゃない。彼らが目指すのは自然法則、扱うのは、けして魔術ではないんだ」
「し、しかしその……【賢者の石】は? あれは人工とはいえ魔石でしょう? 魔力を伴った石を扱うのは、その、魔学の領域なのでは?」
シンジは頷いた。
そう、そこが問題なのだ。
「正にその通りだ。彼らは魔学の領域を侵していたわけだ――魔力も無いのに。
良いか、ネロ。魔力もないのに魔学を扱い、あまつさえそれを量産しようとする錬金術師のことを、魔術師がどう思うかな?」
「錬金術師を、迫害したのですか?」
「少なくとも、和気あいあいとはいかなかった。魔術師は錬金術師のことを、才能も無いのに神秘を求める愚者と呼び、蔑んだ。そして錬金術師も、魔術師のことをストーンと呼んだ」
「ストーン?」
「『路傍の石を路傍の石としか見ずに捨てる者』、だったかな。長過ぎるから、『
「悪口でも回りくどいのですね……」
「険悪だったが、錬金術師は魔術師に器具を売ったり、材料を調達したりしていた。その逆もあって、下手に交流を打ち切るわけにはいかなかったんだ。そこで彼らは、自らが見出だした真理を隠すことにしたんだ。魔術師向けの書物には、肝心なことは何一つ書かれてはいないんだよ」
勿論最近はそうでもない。
こうしてシンジを講演に呼ぶくらいには、両者の距離は縮まっている。錬金術の論文に魔術師が参照を付けたりすることも多くなった。
だが、過去の事件を探るのなら、その険悪な時代を想定しなくてはならないだろう。魔術師であるシンジの知識では、恐らく核心には至れない。専門家の知識が、必要なのだ。
「大学に向かおう。僕は講演を依頼されている身だし、ルカリオの紹介があれば、無下にはされない筈だからね」
「あぁ!」
店を出た瞬間、すっとんきょうな声が辺りに響き渡った。
何事か、とシンジたちは首を巡らす。祭りの最中だ、なにかトラブルでもあったのかもしれない。
或いは、シンジたちにも心当たりのあるトラブルか。
まさかこんな町中に、死体が現れたのでは。そんな想像は、しかし強ち間違いでもなかった。
「見付けましたよ、ブラザー・ネロ様、ですよね?」
駆け寄ってきたのは、ネロのものと同じ制服に身を包んだ、年若い、異端審問官の少年だった。
短い栗毛の下で、滝のような汗と安堵の笑みを浮かべる少年に、ネロが微笑みながら頷く。
「スフレ司教の使いですか。どうかしましたか?」
「あ、あの、その……」
少年は、何か言いたげにちらちらとシンジの方を見る。
視線の意味を察し、ネロは大きく頷いた。
「安心してください、こちらは私の友人で、今回のことにもご協力いただいています。スフレ司教にも、ご理解頂いていますよ」
「そ、そうでしたか。そういうことなら、構わないですよね……」
二人の司教からのお墨付きに、少年は納得したようだった。
シンジはため息を吐いた。
部外者への情報提供をためらうということは、詰まりそういうことだ。
ネロも、理解しているのだろう。険しい目付きで少年を、彼のもたらすであろう悲報を待ち構えている。
シンジたちの覚悟を、察したのかどうか。
少年の言葉は、その内容の重さに反してひどく簡潔だった。
「死体が出ました――殺されたのは、錬金術師です」
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