第51話四日目、朝ー4

 自分の言葉が全身に染み渡るにつれ、その恐ろしい意味もまた、シンジの身体を巡っていく。


 光。

 魔術においては、物質の上位存在として考えられている。

 敵に放てば言の葉より素早く到達し、時には火のように広く肌を焼き、時には刃のように鋭く肉を裂き、毒よりも致命的に命を奪う。

 味方に放てば火のように暖め、傷を癒す。


 相反する二つの属性を持っているようにも思えるが――実のところその属性はただ一つ。

 【神聖】。

 信奉者には加護を、背徳者には天罰を。光が与えるのはただそれだけだ。それだけの単純な概念が、全く異なる二つの顔を見せるのである。まぁ、振りかざす者によってその方向が変わるのもまた、神聖さの特徴ではあるが。


「光を用いた兵器、か」

 エングレオ氏は軽く首を振った。「世迷い言だな」


 シンジは頷いた。神秘学における世界最高峰の大学で教鞭をとる錬金術師は、魔術に関しても詳しいようだ。


 そう、厳密に言えば、光を用いた魔術


 勿論かつては存在した――神秘華やかなりし太古においては。

 文献にも、或いは絵画にも、光の剣を振りかざす者や矢のように打ち放す場面が残されている。一部の者は広範囲に光を放ち、敵対者を焼き尽くしたとさえ語られているのだ。

 だが今では。


「ろうそく程度の明かりさえ、現代の魔術師には操れません。【マレフィセント】の魔術師が何十人揃っても、剣どころかペーパーナイフさえ造れないでしょうね」

「魔術師以外は、造ろうとさえ思わなかったろう。光の剣も槍も、弓矢さえ神の持ち物だったのだから」


 シンジはため息を吐いた。いっそのことその方が良かったかもしれないと、今では考えている。

 かつてあったもの、二度と取り返せぬもの。世界の誰もがそう思えていたら、今回の事件は起きなかっただろう。


「魔術とは、魔力を使って様々な属性の元素を操ることです。操る属性にはそれぞれ偏りがあり、適正のない元素を操るためには、集中した呪文と共に割りに合わない程の魔力を注ぎ込まなくてはなりません。逆に、適正があれば、呼吸より容易い」

「そうらしいな」

「それが問題の全てです。魔術師は元素を操るだけ、ところが、光とは? どんな元素が含まれているのか、誰にも解らない」


 それでも、適正のある者が居れば、研究は進んだだろう。

 例えば、つい最近まで雷は神のものだった。だが、つい五十年ほど前にとうとう、一人の魔術師が奇跡を起こした――曇天に集う雷素を操作して、小規模ながら落雷を起こして見せたのである。

 人々の反応は両極端だった。

 魔術師にも信仰は必要だというドクター・フォーシーズンの提言は正しかったということだろう。神の領分に踏み込んだ件の魔術師は、賛成派と反対派双方の合意の末【マレフィセント】から追放された――少なくとも、表向きは。

 件の魔術師の故郷で不自然な落雷が観測されたという報告が、魔術師の末路が穏やかではなかったことを暗示している。誰によるものかはさておき、奇跡は内密に葬られた。

 だが、魔術師が一度実演したことで、『雷は操作可能である』という認識が魔術師界には広まった。落雷は天の意思、神の裁きなどではなく、雷の気を持った特定の元素が集まって起こす現象に過ぎないと判明したのである。


 また一つ、神は神秘のベールを剥がされた。あといくつ残っているのか、宗教家は気が気でなかっただろう。


 現在のところ、光に適正のある魔術師は発見されていない。万が一発見されたら、信仰は更なる苦境に晒されることになるだろう――適正の持ち主を犠牲にして。


「魔術師としては、光を操作する方法は無い。これが現在の公式見解です」

 シンジは、極めて慎重にエングレオの顔色を伺った。「どうやら、狭い常識だったようですが」


 エングレオ氏は、頑なにシンジを睨み付けていた。挑むような、或いは迎え撃つような視線の大半がしかし単純な意地の産物であることを、シンジは直ぐ様見抜いていた。

 固いだけの拒絶は、数秒で自壊した。

 拒む意思が失われた細身の錬金術師は、一瞬で枯れたように見えた。


「……まさか魔術師に、そんな目で見られるとはな」

「エングレオさん……」

「気にすることはない、魔術師。何より、

 シンジは目を剥いた。「どういう意味ですか?」陳腐な質問は、衝撃を受けたという証明でもあった。

 エングレオは軽く笑った。「我々の起源を、君は知っているだろう? 講演を頼んだのだ、それくらいは調べた筈だ」

「……最初のヒト。秩序神の光を受けて最初に影から立ち上がった彼の者は、自然の使い方を知っていたと聞いています」

「【楽園の叡知】。エデンの園を生んだのは神だが、それを維持する方法を役目と共に授かったのは、他ならぬヒトだ。その知識こそ、今日の錬金術の礎の知識である」


 今度は、エングレオの番らしい。シンジは自らが学生に期待するように、彼の講義を黙って聞くことにした。

 饒舌は、沈黙より得難い。聞きたいことがある場合には、尚更。


「神にのみ、それらの権能は備わっていた――かつては。多くの神話は、それらがやがてヒトの手に渡ったことを謳っている。ヒト、詰まりは我々に、神は奇跡の鍵を委ねたのだ」

「神話を読んだ多くの方は、その意見には賛同しかねるでしょうね。ヒトは神から、権能をと」

「【原初の魔女トーチ・パンドラ―】の逸話か。確かに、魔女は神の魔法を盗み、をヒトに配ったようだが。それとこれとは話が別だ」

 シンジは肩を竦めた。「誰もが罪とは無関係で居たがるようですね」

 エングレオ氏は無視した。「錬金術師は、魔術の才能をけして持てなかった。才能などという過去からの遺産に、手を付けなかったとも言えるが」


 勝手な意見だと、シンジは鼻を鳴らした。

 魔力の条件は、今もって謎のままだ。誰が魔術に目覚めるか、予測できる者はこの世にいない。選ぶことも、選ばないこともできないのだ。

 もっとも。シンジは自身の研究である【ウィータ】を思い浮かべた。これもまた、というやつだが。


「才能は、所詮神からの簒奪物の思い残しに過ぎない。汲めども尽きぬ黄金郷の井戸ではないのだ。だからこそ、我々はそれに頼らぬ技術を磨くことになった」

 どこか誇らしげに、エングレオの顔が輝いた。「錬金術の根元は、詰まりそれだ。神よりさずかりし知識を、神から奪った魔力を使うことなく再現することだ」

「だとすると……」


 ひとつの疑念が、シンジの脳裏をよぎったが、一先ず無視することにした。

 その影は天空を行く鳥のものに等しく、まだ切羽詰まったものではない。


 代わりに、良識的な質問を口にした。


「……【啓蒙の光ルミアレス】も、そうしたの一つですか?」

「君が見出だした物に関しては、な。【完本】を見たのだろう? あれの通りだ、錬金術師にとって真実なんてものは、見方によって姿を変える陽炎に過ぎん」

「陽炎の一つのために、貴方の友人は殺されることになったのですか」


 必要以上に厳しい言葉だと自覚していたが、シンジは止めることが出来なかった。

 煙に巻くような、回りくどい韜晦はもう沢山だ。重要なことはたった一つ、彼らが見付け、そして隠した秘密は今や、風前の灯であるということだけである。


「誤解があるのかもしれないから、はっきりと言いましょうか錬金術師。秘密の錠前は、もはや破られたのです。犯人は【啓蒙の光ルミアレス】を知っている。それが単なる陽炎でなく、現実に、ヒトを殺し得る手段であると」

 得体の知れない怒りをどうにか踏み留まらせながら、シンジは固い口調で断言した。「言いたくなく、認めたくなく、考えたくもないのなら。僕の方から言いましょう。【啓蒙の光ルミアレス】。それは、!!」


 太陽の光は眩しく、あれだけ離れているのに地上を暖めている。

 充分に計算したレンズを使うと、光を集め、レンズの焦点位置に集めることが出来る。これは、レンズの設置位置が太陽に近いほど強力になる――地上全部を多い尽くす力を、一点に集めることが出来るのだ。


「勿論そんなことはできない――かつて地上を旅していた歩く家、巨人族でさえ、太陽に手は届かなかったでしょう。我々が扱えるのは、地上にまで到達した太陽の力のごく一部に過ぎない。ですが――


 ルカリオに読んでもらった文。そこに記された通りに計算した場合、そうなる。


「【啓蒙の光ルミアレス】が完成した場合、地上の光を集中させるだけではない――?」


 そして、その出力は。


「……ファビウム氏の考えた理論に基づけば。【啓蒙の光ルミアレス】の形状はヒトが一人で持ち運べるサイズでありながら、その出力は厚さ五〇センチの石壁を三秒で貫通出来るとあります。

 良いですか、これは魔術ではない、単なる技術です。詰まり、。一度完成すれば、住民全員が簡単に扱えるんです!」


 シンジは、リシュノワールの町民を想像した。彼らが漁に使う船に乗り、他の町の沿岸に陣取り。釣竿の代わりに【啓蒙の光ルミアレス】を構える姿を。


「世界は平和になった、神話が終わり、奇跡の時代が終わり、魔族の時代が終わったから。そして魔学の時代になったからです、錬金術師、エングレオ、ヒトの努力と学習の成果が、神の領域から離れたからなんです!」

「……貴様に、貴様などに、何が……」

「僕が何者でも、関係はない。【啓蒙の光ルミアレス】は神の御手に残すべき宝だった。今からでもそうすべきだ、僕はそう思っています。だから」


 シンジは、右手を差し出した。


「貴方の十字架を渡してください、エングレオさん。それが、それらこそが。【啓蒙の光ルミアレス?」

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