第38話三日目、夜ー2

 懸命に走って辿り着いた夜の商会、その門前を一目見ただけで、シンジは自分達が間に合わなかったことを悟った。


 神秘と俗世とを隔てる門の前には、


 何かあったのか、当たり前の疑問がシンジの脳裏に浮かんで消える。

 何かあったのだ、恐らくはシンジが想定する内でも悪い方に属する出来事が――ルカリオの殺害に失敗した犯人が、大人しく祭り見物に行ってくれるとは思っていなかった。


 残念ながら、犯人は勤労だった。直ぐ様ここに来て、次の獲物に手を付けたらしい。

 それは良い。理解することはできる。しかし問題は、何が起きているのか、だ。


 シンジの想像している出来事、詰まりは、んだとしたら、異端審問官の仕事は迅速な調査と捜査だ。門の掃除ではない。


 にもかかわらず彼らはそこにいて、しかも、何をしていいのか解らないというような所在なさげな表情を浮かべている。


「どういうことだ……?」

「何か、揉めているようですね、教授」


 耳を澄ますと、ネロが示した先から確かに声が聞こえてくる。

 正しく門前らしい。シンジはネロと頷くと、審問官の列を掻き分けるようにして建物の方へと進んでいった。


「…から、言って……」

「……! とにか……出て」


 門に近付くにつれ声は大きくなり、その主も見えてきた。あれは――。


「スフレ司教と……」


 もう一人、老人の応対をしているのは、まるで枯れ木のように細く長い、老齢の男性だ。

 イカロスの下で会った、商会の代表メンバーの一人だ。


 彼がここにいるということは、詰まり。


「何を揉めているのでしょうか」

「解る気がするがね」

「ん、エリクィン司教とカルヴァトスか。それに……」

「ルカリオ君!」


 シンジたちの到着に気が付いたスフレ司教は静かに、シンジの背負うに気付いた眼鏡の錬金術師は酷く狼狽して、こちらに駆け寄った。


「何ということだ……まさか、ルカリオ君までもが」

「安心してください、彼女は無事ですよ」

 ネロが二人を制すように、シンジの前に立つ。「教授が、守ってくださいました」

 老錬金術師は、深く安堵の息を吐き出した。「感謝します、シンジ・カルヴァトス教授」

 シンジは苦労して肩を竦めた。「まあ、教え子を守るのが教師の責務ですから。しかし――彼女と言いましたね?」

「……ウルカ・トゥシウムだ」


 重々しく、スフレ司教はその名前を告げる。

 あぁやっぱりと、シンジはため息を吐いた。犯人の目的が五人に絞れている今、残った四人の内一人はここにいて、もう一人は背中にいる。そしてイカロス氏がもし殺されていたなら、騒ぎはこの程度ではないだろう。


 イカロス氏の会議室で会った、上品そうな女性の姿を思い起こす。

 ヴィンテージワインのように有意義な時を過ごしたらしい彼女は、老いをドレスのように見事に着こなしていた。若さで着飾る魔女よりも、余程美しく立派な姿勢である。


 紅茶が似合いそうな女性だった。

 その予想を確かめる機会は、最早永遠にやって来ない。


「商会の奥には、主要メンバーや研究者用の宿舎がある。彼女は、そこで……」

「それなのに、どうしてここに?」

 ネロが首を傾げる。「中の捜査は済んだのですか?」

「いいや」

 スフレ司教はぎょろりと、威圧するように錬金術師を睨んだ。「そうしたかったが、我々は追い出されたのだ」

「イカロス氏の、命令ですね?」

「そうなんだ……どういうわけだか、イカロスが血相を変えてな。詳しい事情も聞かされないまま、『異端審問官は全員出ていけ!』の一点張りだ。あの理屈屋にしては珍しい、感情的なやり方だ」


 シンジとネロは短く視線を交わす。

 イカロス師の豹変の理由が、シンジたちには解った。町一番の錬金術師は、恐らくシンジと同じ結論に達したのだ――犯人は身元の隠匿に、神秘を用いていると。


 姿を変える能力で変身するのなら、異端審問官は正しく適任だ。捜査の名目で何処にでも入り込めるし、信仰の後光のお陰で誰にも疑われない。


 スフレ司教は、眼光をシンジへと向け直した。


「……どうやら、何か事情に心当たりがあるようだな、カルヴァトス教授」

「恐らくは。それも含めて、我々は話し合う必要があると思いますが?」

 シンジはちら、と視線を背に向け、付け加える。「それと、彼女を寝かせるベッドがね」

「……イカロスに、取り次ごう」

 老人は、ため息を吐きながら頷いた。「少なくとも、一人分のベッドくらいは用意できるだろうからな」









「大活躍だったそうだな、教授」


 門を潜って直ぐ、イカロス・ワニウムが出迎えに出てきたことに、シンジは勿論錬金術師も酷く驚いたようだった。


「イカロス、わざわざ出てこずとも……」

「友人の娘を救ってくれた恩人の登場だ、華々しさはなくともせめて、誠意の面では全力を尽くさなくてはな」

 白いたてがみのような長髪の向こうで、イカロス氏の頬が微妙にひきつった。「ルカリオの来歴に関しては、もうご存じなのでしょうな、教授?」

「大方の予想はついていますが、出来るなら、貴方の口からお聞かせ願いたいですね」

「勿論だ。君とは、相談したいことが山ほどあるのでね」


 その、多くの人間には誤解されるであろう独特な笑顔のまま、イカロス氏は視線をシンジたちの横、スフレ司教へと向けた。

 途端、その灰色が凍りついた。


「……お前は活躍しなかったな、専門家」

「だから追い出したのか?」

「あの場合、それが最適解だった」

「今は変わったのか? それとも、単なる慈悲の心かね?」

「それも含めて、教授とお話ししようというのだ。必要があるときまで黙っていろ……さて、教授。一先ずは宿舎まで宜しいか? ルカリオを寝かせたい」

「え、はい、それは構いませんが……」


 目まぐるしく変わるイカロス氏の態度に、シンジは目を回しかけていた。

 確か初対面の時には、多くの錬金術師が魔術師に対するような辛辣さで応対された筈だが、今では彼なりの笑みさえ浮かべて、かなり丁寧に扱われている気がする。


「それは、当然だ教授。君は私にとって最も望ましい形でその能力を証明したのだからね」

「はあ……」

「それに加えて、事態は酷く困難だ」

 イカロス氏の灰色の瞳を、痛みが掠めた。「信頼できるのは、この場にいる君たちだけなのだからな」

「そこには私も含まれているのか、イカロス?」


 ふん、とイカロス氏は鼻を鳴らした。


 二人の昔話もまた、聞かなくてはならないだろう。ルカリオの父親、そしてクォーツ夫婦。彼らの死もまた、二十年前の昔話なのだから。


「こちらだ、教授」


 イカロス氏の案内に続き、続々と『信用できる』面子が商館の奥へと進んでいく。

 その後ろ姿を見ながら、シンジはため息を吐いた。


「……誰か、代わってくれはしないのかな……」


 肉体派なわけでは、無いのだが。

 ぼやき声に、誰も足を止めなかった。シンジは再びため息を吐いて、ルカリオを背負い直した。

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