第31話三日目、昼ー6

 イカロス氏の執務室を出ると、シンジは懐から愛用の銀時計を取り出した。

 蓋を開け、時刻を確認する――良し、この時間ならばとシンジは頷いた。日の入りまでには何とか間に合うだろう。


 懐中時計を仕舞うと、そのまま早足で商会の廊下を進みかけ、背後からの声に振り返った。


「ちょっと待って下さい、教授!」


 ネロだ。

 突然動き出したシンジに驚いたのだろう、血相を変えて駆け寄ってくる。


「……声がでかいぞ、ネロ」


 それに、廊下は走るな。


 一先ず歩調を緩め、シンジは、錬金術の実験器具が飾られた廊下を進む。出口はあまり覚えていないが、確か、器具が古くなればなるほど外に近かった気がする。


 流石に肉体派司教なだけあって、ネロは直ぐに追い付く――肉体派司教という言葉の意味はシンジにも良く解らないが、とにかく似合っている――そして、詰問するようにじっと、シンジの瞳を見詰めてきた。

 夜の闇を固めたような黒瞳に映る自分の姿に辟易して、シンジは目を逸らした。


 ネロは、逸らさなかった。


「……次の目的地が決まったというのは、どういうことですか?」

「言葉通りの意味だが」


 ネロの到着からほぼ間も無く追い付いたスフレ司教をちらりと見ながら、シンジは惚けた。


 未だネロは、視線を逸らさない。

 舌打ちしたい衝動を抑え、シンジは肩を竦めて見せた。


「……犯人は、錬金術に精通した人物だ」

 考えをまとめながら、言う。「およそ一般的な錬金術師にとっては解らないような秘奥の一節とやらを、わざわざ引用するんだからね」

「高位の錬金術師が、犯人だと?」

「或いは、高位の。錬金術師でなくとも、彼ら四人……いや、三人の身近にいる人物なら、言葉を使うくらいは不自然じゃない」

「範囲が広すぎますね」

 ネロはため息を吐いた。「メンバーの関係者まで含めれば、かなりの人数になる」

「それを狭めに行くんだ」

「え?」


 上出来だ、とシンジは自分の話にそう評価を下した。

 理路整然としているし、論理の飛躍もない。何の変哲もないロジックだ。


 それに、聞き手の運もある。

 そんなこと考えもしませんでした、とでも言いたげに反応するネロがいるお陰で、が信じてくれ易くなっている。

 これが、シンジの意図を察してそうしてくれているのなら、文句は無いのだが――無邪気に目を丸くしているネロを見る限り、それは無理難題らしい。


 とはいえ。

 贅沢な悩みでは、あるだろう。彼の鈍感さが、シンジにとってプラスに働いているのは間違いないのだから。


「だから……ミド=レイライン大学に向かう」

「成る程、裏を取るわけか」

 感心したように、スフレ司教は頷いた。「彼らの言う『秘奥』が、どの程度の秘密なのかを調べるのだな?」

「その通り」


 自信満々に、シンジは同意した。

 実際、彼の納得は予想通りといえた――歴戦の異端審問官ならば、先の話の流れからその結論に辿り着いてくれるだろうと期待した通りだ。


 あとは、何とかを取らなくてはならない。


「貴方は、どうするんだ?」

 何気無い風を装って、シンジはスフレ司教に尋ねた。「僕らと一緒に、錬金術の本を解読してくれるのかな?」

「……ふむ」


 スフレ司教の瞳が、探るような輝きを見せているような気がして、シンジは自分の額に汗が浮かんでいないだろうかと煽ってくる、不安の延焼を必死に防いでいた。

 冷静に、冷静に。

 重みを、シンジは懸命に忘れようとした。


 息を潜める身にしては長過ぎる時間の後、スフレ司教は苦笑にも似た笑みを浮かべた。


「いや、それは遠慮させてもらおう。錬金術師どもの言葉遣いに一刻触れるよりは、私に向いている時間の過ごし方があるのでね」

「それは残念だ」

 内心の喝采を堪えながら、シンジはさも残念そうに首を振った。「僕が解読する間、珈琲でも淹れて貰おうかと思ったのだが」

「それなら、君専属の司教を使うと良い。彼には向いているだろうからね」

「そうします。では、行こうか、ネロ」

「……えぇ、そうですね」


 やや不満げに、ネロは頷いた。

 説明を要求する瞳に、シンジは解ってるさ、と頷く。

 幾らネロが鈍くとも、今のやり取りに不審を感じないわけがない――異端審問官という職に関係無く、シンジとネロとの間に共有しているとある情報のお陰で。


「……気を付けろ、魔術師」


 不自然にならない程度の早足で立ち去ろうとしたシンジを、スフレ司教は呼び止めた。

 一瞬ひやりとしたが、しかし振り返ったシンジを見る眼差しには、言葉通りの真摯な気遣いが浮かんでいた。


「あれだけのことをしてのけて、犯人は未だ影も形もない。恐ろしく慎重で狡猾で、隠匿に長けた奴だ。お前が進めば進むほど、奴に近付くことになるのだからな」









 しばらく歩いて後、ネロがとうとう口を開いた。不機嫌そうな口調は、露骨に説明を要求している。


「それで、どういうことですか、教授。先程のやり取りは、どうもスフレ司教を遠ざけようとしておられたようですが」

「……スフレ司教は、連れていくわけには行かないからさ」

「ミド=レイライン大学に?」

 ネロは、不思議そうに首を傾げた。「魔術師の学校だからですか? 確かに、異端審問官の訪問は少々異例でしょうが、この町では宗教と魔学とは融和関係にある様子。別に、おかしくはないのでは?」

「その様子だと、君は僕の思ったほど鋭くはないようだな」

 なら黙っておけば良かった。「会わせたくなかったのさ、これから会いに行く相手に」

「……もしや、件のルカリオ嬢ですか?」


 シンジは頷くと、苦笑しながら軽口を叩く。


「理論が解っていないのに結論に達するのは、どういう理屈なんだろうな……」

「現状、登場人物は多くありませんからね」

「どちらかと言うのなら。彼女を

「異端審問官に紹介したくない、という気持ちは解りますが。しかし、過剰な警戒では?」

「……確かに、現在では異端審問官と魔術師の間に、以前ほどの敵対関係は無い」


 この、から生まれた町リシュノワールに限らず、世界的にもその姿勢は目立つ。

 魔術師はかつての、ヒトをヒトとも思わない陰鬱な実験者ではなく、もっと身近な存在に変化した――生活に便利な魔学製品を提供する、勤勉な技術者に。


 それを堕落と呼ぶ魔術師も多い。そもそも魔術師は俗世から離れ、自身の研究とのみ向き合うべきであるという意見が、【マレフィセント】にも根強い。

 しかしシンジからしてみれば、それはお門違いだ。


 そもそもと言うならそもそもの魔術師は、

 勇者と共に魔族と戦い、魔王を倒した何てお話、枚挙に暇もない。選ばれた者のみが使える神秘を、全ての者を救うために使っていたのではなかったか。

 それこそ、神の使徒ととも手を組んで。



 そう、しかしだ。


 主語を大きくすると、得てして本質を見失うものだ。

 大切なのは異端審問官と魔術師の関係、。個人間の相性である。


「まあ、確かに私もルカリオ嬢とお会いした訳ではないので何とも言えませんが。どうでしょう、スフレ司教はどちらかと言えば、年下の女性には優しそうですが。何と言うか――孫に甘いお爺さん、という感じで」

「その印象には僕も同意するがね。では聞くが、ネロ。?」

「……何ですって?」

「本当に、過程には何も気付いていないんだな……良いか、ネロ。さっきのイカロス氏の言葉を、思い出してみろ」


 彼は、脅迫文が商会のごく一部にしか効果を及ぼさないと言っていた――一般的な錬金術師にとっては、意味が解らないとも。


「だとすれば――?」


 ルカリオ・ファビウムは、一介の錬金術師

 ミド=レイライン大学で神秘学を学ぶ、単なる学生に過ぎない。そんな、錬金術師の最高峰にあてた脅迫状を送られるような、身分ではないのだ。


 だとすると、どういうことになるのか。


「脅迫状が届いた、というのは嘘だと?」

「それか……」

「それか?」

「……いや、何でもない」


 まだ、確定したわけではない。

 推測だけで語るのは、良くない。


 シンジは、こう思ったのだ――確かに嘘の気配はある。問題は、その場所だ。

 手紙の出所か、或いは。


 


 本人に聞くしか、無いだろう――彼女は何者なのか。


「尋問はともかく、質問にスフレ老人は向いていないだろうからね。穏便に行くなら、置いていくしかないだろう?」

「それで、あのような芝居を?」

「知り合いが脅迫文に関係あるかもしれません、何て言って、彼が大人しくしていてくれるとは思えなくてね」


 ネロはくすりと微笑むと、大きく頷いた。


「まぁ、その判断は正しいでしょうね。……割りと話の解る私でさえ、その少女を野放しにするのは反対です」


 自信満々に自分のことをおおらかだと言い切るネロに、やれやれとシンジは肩を竦めて首を振った。

 彼の感性が現代的で、本来敵対している筈の魔術師に対しても理解があり、寛容な人物であることは理解しているが、全く。


 それを、自分で言うか?


「反対するのは自由だがね」

 シンジは肩をすくめる。「反対のが問題なんだ。昔からね」

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