第32話三日目、昼ー7
太陽が傾きかけた頃、シンジたちはミド=レイライン大学に到着した。
町の景観を損なわないようにだろう、多くの大学とは違い周辺には生け垣はなく、白い壁に覆われている。
学問という、文字や数字ばかりを追い掛ける日々を送る学生たちには、出来れば緑を見てほしいところだが、まあ、町全体の規則もあるのだろうし、仕方がない。
幸い、鉄門は開いていた。
門番の姿はない。ように見えたが、ネロがシンジの袖を引いて合図した。
「…………」
素知らぬ風を装いそちらを窺うと、物陰に隠れるように数人、神父服の男たちが佇んでいるのが見えた。
直ぐに視線を逸らすと、そっとシンジはネロに耳打ちする。
「……異端審問官か?」
「……恐らくは」
ネロも囁き返す。「大学を、見張っているようです」
「事件の関係かな?」
「それは、どうでしょうね。こうした祭りの際には、学校のような若者が集まる場所は警戒されるものですから」
「……そういうことか」
それならば。
同行しているネロ、ネロ・エリクィン、黒衣の司教を見ながら、シンジは思わず微笑んだ。
面白い手が使えるかもしれない。
二人の若い異端審問官は、与えられた任務に少々不満を抱いていた。
学生たちが騒いだという、リシュノワールの昔の記録は勿論見たことがあるし、そうでなくとも常識的に考えれば、宗教的な祭りの最中なのだから、自らの学ぶものに【神秘学】などという神をも恐れぬ名前を付ける連中のことを見張るのは当然の処置だと理解できる。
しかし、理解と納得とは違う。
そもそも見張りの二人は、異端審問官とはいえ若く、最近の時流しか知らない世代だ。
神の使徒と異端者との骨肉の争いなど知らないし、彼らにして見れば魔術とは、人々の生活を便利にするただの道具である。魔術師はその担い手、工具を担いだ作業員に他ならない。
勿論教会に、中でも彼らの所属する異端審問会には魔学製品は存在しないが、愛すべき信者たちが豊かになるのは喜ばしい。
生活が豊かになればなるほど、人々の信仰の度合いは増す。
信仰のきっかけこそ不幸や不足であろうが、それを育むのは幸福感だ。衣食住、生活の基盤があってこそ、神への祈りに時間をとれる。
生活を豊かにする技術は巡り巡って、神のためになるものなのだ。
だからこそ、彼らには実感がない。
魔術を学ぶ者たちが、現在の社会において、いったいどのような反抗を行うというのか。それが全く、具体的な像を結ばないのである。
具体的でない脅威への警戒ほど、心を削る作業はない。だから彼らはひどく退屈していたし、何より飢えていた。
自分たちの成果を、認められることに。
「……ご苦労様ですね、貴方たち」
そんな心理を見抜いたように、ネロは背後からそう、声をかけた。
ぎょっとした様子で振り返った見張りの若者二人は、ネロが纏う深紅のストラに直ぐ様姿勢を正した。
どうも自分のことを知っているようだな、とネロは頷き、それでも敢えて口を開いた。
「私はネロ・エリクィン司教。聖都より参りました、スフレ司教から、話は聞いているとは思いますが……」
「勿論です、エリクィン司教! スフレ司教の要請で、捜査にご協力頂いているとか」
「その通りです、その件で、少し聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
彼らは自分たちの任務と、本部から来た若きエリートの要望とを天秤にかけた。
揺れは直ぐに収まった。
「勿論です!!」
「ありがとう」
自分に向けられた二人分の視線に、ネロは笑顔で頷いた。
……二人の背後でこっそりと大学に入っていく、シンジに気付かないまま。
何とか難なく大学に入り込めたようだ。シンジはホッと胸を撫で下ろした。
別に見咎められたとして、ネロと一緒なのだから別に捜査協力をしているのだと言えばそれで済むのかもしれないが、念には念を、だ。
では同行します、なんて言われたら困る。何しろこれから向かう先には、疑惑の塊がいるのだから。
シンジとしては、確実な証拠がでない限りルカリオを教会の手に渡すつもりはない。過剰な警戒かもしれないが、一度でも関わりを持った相手だ、無下にはできない。
「先ずは、話を聞かなくてはな……」
ルカリオはどこだろうか。
騒ぎになっても困るし、うろうろしたり人に聞いたりは最小限にしたいところだが。
【マレフィセント】に比べると規模は狭そうだが、かといって、何も手掛かりなく一人の人物を見付け出せるとは思えない。
貝漆喰の白い壁を見ながら、学生たちだろう、若者たちの間を早足ですり抜ける。
錬金術部は、果たしてどこだろうか――純白の壁は特徴がなく、学部を特定する手掛かりは得られない。
落ち着け、とシンジは自分に言い聞かせる。
ミド=レイライン大学は、錬金術が盛んな学校だ。校舎も、きっとそれに則した、中心的な位置にある筈だ。
この大学においての中心といえば……。
「やはり、時計台か」
リシュノワールの高さの限界にして、象徴でもある時計台。
元々は灯台だったということだし、『光で照らす』という役割は、錬金術においても重要な暗示だ。闇を照らし、船を導く灯台の光は、人々を叡知へと導く象徴なのである。
とにかく、行ってみるか。
見付かるかどうかは解らない――もし、もしもだが、彼女が犯行に関わっているのなら、既に身を隠しているだろう。
言うなれば、試金石にもなるわけだ。彼女が見当たらなければ、疑惑はより深くなる。
その時に、果たしてどうするべきなのだろうか――通報か、それとも。
結論は出ないまま、シンジは歩き、時計台の方へと向かった。
「あ、カルヴァトス教授!!」
校舎に入った瞬間に。
迷いは、太陽みたいに晴れやかな声に吹き飛ばされた。
ルカリオ・ファビウムは平然と、にこやかに、ただただそこに立っていた。
……迷ったのが馬鹿みたいだった。
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