第33話三日目、昼ー8

「ルカリオ……」


 開けたドアの先、唐突に現れたルカリオに、シンジは思わず息を飲んだ。

 探していた人物の登場は喜ばしいことの筈なのだが……人懐こい少女の笑顔に何となく、不穏なものを感じてしまったのだ。

 ついさっき考えていた黒い疑惑が、心の奥からじわりと染み出してくる。


「カルヴァトス教授、どうしたんですか? こんなところで……」


 シンジの内心を知る由もなく、ルカリオは可愛らしく首をかしげた。

 美少女の魅力的な仕草にも見えるし、秘密を隠しているようにも見えてしまう。

 こちらを見詰める瞳には、初めて出会ったときと同じく無邪気な憧れで満ちている。その輝きは強すぎて、他の感情を悟らせない効果を発揮していた。


 捜査に関して、自分は所詮素人に過ぎないと、シンジは実感せざるを得なかった――もしもこれがネロだったなら、彼女の動作からなにかを読み取ったかもしれないのだが、シンジにはルカリオの仕草は何の変哲もなく見えるだけだった。


 笑顔は、その起源を遡ればであるという説の信憑性を、シンジは今更ながらに痛感していた。

 意図の読めない笑みは、時として、その起源に相応しい効果を発揮するものらしい。


 とは言え、その可能性も勿論あるぞ、とシンジは自らに言い聞かせた。

 シンジの推理はあくまでも予想でしかなく、犯人の行動全てに合理的な理屈を見出だすことなど、出来なくて当たり前なのだ。

 もしかしたら、犯人はアトランダムに脅迫状をばらまいたのかもしれない――受け取った者が深刻に受け止めずに廃棄してしまい、結果としてシンジたちが把握している以上の手紙は山羊の腹に落ちたのかもしれないのだ。


 とにかく今は、情報を集めることだ。些細な仕草から真実を見抜くことが出来ないのなら、ヒントを多量に集めるしかない。


「ちょっと、調べたいことがあってね」

「錬金術に関してですか?」


 しまった、とシンジは顔をしかめた。

 錬金術を探る魔術師なんて、どこにでもいる訳じゃない。

 他人を疑うあまり、自分の足元が疎かになっていた。やはり、シンジは素人ということか。


「それは、えっと……講演……そう、講演に関してだ!」

「講演?」

「ああ、実はそうなんだ」

 思い付いたままに走り出した言い訳だが、こうなったらどうにかして、終点まで運ぶしかない。「魔術と錬金術、相違点と歴史について、講演しようと思ってね」


 ルカリオの首が、逆方向に傾げられた。


「教授は魔獣学者テイマーですよね? 錬金術とどのような関係が?」


 流石に鋭い。

 いくらぼんやりとしているように見えても、ミド=レイライン大学という最高峰にて錬金術を学ぶ才女なのだ。

 油断しては、矛盾を突かれる。シンジは、奥の手を使うことにした。


「それは……あー、そう、詳しくは言えない。講演を楽しみに、というところだね」


 我ながら全く苦しい言い訳だったが、ルカリオは神妙な面持ちで頷いた。


「解りました、サプライズですね!」

「あ、あぁ、それだ。……それと、声がでかい……」

「そっか! ……講演自体、秘密なんですね……? では、こっそりとご案内します……!」

「ご案内?」

「調べものなら、図書室ですよね? 道も解らないでしょうし、それに教授。私と一緒なら目立たないです……!」


 力強く頷くと、ルカリオは先に立って歩き始めた。……かと思うと、曲がり角でガバッ! と勢い良く壁に張り付き、こっそりとその先を覗き込んでいる。

 その左手が送ってくる、何やら、理解不能なハンドサインを見ながら、シンジはため息を吐いた。

 ため息と共に、身構えた気持ちが流れ出ていくようだった。代わりに心に浮かび上がってきたのは、悟りにも似た諦めである。


 もしもこれが演技なら、いっそ気が楽だ――彼女の素の性格だと、考えるよりは。









「図書室は、地下なんですよ」


 必要以上に周囲をきょろきょろと警戒しながら、ルカリオは廊下を進んでいく。

 立ち止まり、小走りで進み、また立ち止まって辺りを見回す彼女の足元は、ブーツだというのに全く足音がしない。彼女の技術というよりは、床の素材の影響だろう。

 一見すると単なる古い木製の床なのだが、実際に歩いてみるとどうも違うように思えた。何の素材なのか解らないが、感触的に、壁に木の絵を描いたような、木の柔らかさがまるで感じられないのである。


 壁も、同じだろうか。


 木目に沿って指を這わせてみるが、その感触はやはり、木というよりは石のような、固く冷たいものだった。

 錬金術の本場は、建物からして違うようだ。


「……地下に書庫があるのは、驚くことでもないよ。紙は脆く、管理するのに日光や外気からは出来る限り独立させたいものだからね」


 加えて、リシュノワールは港町だ。

 潮風の影響も強いだろうし、野ざらしには出来まい。


 ルカリオは、嬉しそうに顔をほころばせた。


「流石は教授!」

「……声がでかい」

「まあ、学生からは不評ですけど。階段の登り降りとか、とか」

「そうか」


 【マレフィセント】よりはましだな、とシンジは密かに思った。

 魔術師の聖域において、魔導書の価値は計り知れない。

 それを閲覧するにあたってそうした、息苦しい程度の精神的な負荷で済むのなら、多くの魔術師は恥も外聞もなく歓声を挙げるだろう。


 件の魔術師の書架において、魔導書を管理する栄誉が与えられるのは、――優秀過ぎて、


 【司書】の任を与えられた魔女の機嫌を損ねれば、本を読むどころではなくなる。【司書】によって、生きたまま自伝にされた魔術師は数多い。

 そしてあいにく、魔女の機嫌は猫よりも変わりやすいのだ。


 命の危険もなく知識を得られるというのは幸せだ。

 その環境に文句まで言えるとあっては、望外の幸運でさえある……それを言っては、不幸自慢のようであまり面白くはないが。


 慣れた手つきでドアを開けるルカリオを眺めながら、シンジはふと、彼女の服装から思い付いたことを口にした。


「……君は、もしかして帰るところだったかな?」


 童顔に似合わぬ女性らしい身体つきを、今日のルカリオはシンプルな紺のコートに包んでいた。

 校内は、暖房用魔具の恩恵だろうがかなり暖かい。外に出るのでなければ、コートなど必要はない。


「流石は教授! 鋭いです」


 脈絡のない誉め言葉を、ルカリオは平然と言った。頻発する『流石』という言葉には最早価値は感じられなかったが、嫌みで言っているようにも思えない。

 だとすると本気で、今の指摘を流石と思っているのか。

 シンジはそっと、ため息を吐いた。


「講義は終わりか、すまないね」

「いえいえ。ちょっと商会の方に行こうかと思っていただけなので」

「商会に?」


 思わずシンジは聞き返した。

 町に住む、卵とはいえ錬金術師なのだから当たり前といえば当たり前なのだろうが、何しろタイミングがタイミングだけに引っ掛かる。


 ドアの向こうは、闇へと続くような階段。

 大人でも一瞬躊躇するような不気味な穴へ、ルカリオはあっさりと入っていく。

 あとに続いたシンジを振り返り、少女はにこにこと簡単に頷いた。


「はい! 研究のことでちょっと、相談があったので……」

「ふうん」


 そう言われてしまえば、それ以上は聞き辛い。

 錬金術師は個人主義の塊だ。各々のプライベートに必要以上に介入しようとすると、反感を買う恐れが高い。


 ……

 どうしたものか、と首を捻るより早く。


「実は私、塩樹の研究をしてるんですよ! ほら、塩樹って土壌の塩分を吸い取って成長するじゃないですか? あれをうまく使えば、土から塩を取り除けるんじゃないかなって!」


 ルカリオが白状した。

 しかも、結構な重大性を持つ内容を。


 リシュノワールは干拓地だ。

 かつて海だった名残か、土には塩分が過剰に含まれていて、環境に適応した固有種以外はどんな植物も根付かない。

 そのため昔から、野菜や穀類は輸入で賄うよりなかったわけだが――それを、改善しようというのか。


 正直に言って、シンジは感心した。


「すごいな」

「えへへ、まだまだ失敗ばかりですけど」


 照れたように頬を掻きながら、ルカリオが壁を撫でる。

 どのような仕組みなのか、階段がぼんやりと、白く光り出した。ただの石にしか見えなかったが、廊下と同じくこれもまた特殊な素材らしい。


「……錬金術は、すごいです」

 光る階段を軽快に降りながら、ルカリオはぽつり、と呟いた。「こんなにも簡単に、世界を変えることができます」

「まるで魔法のようだ」

「それ以上かも。だってこれなら――使


 それは、魔術と錬金術の根本的な差だ。

 使い手を選ばないことを美徳ととるか、それとも責任感の欠如ととるか、議論は常に平行線をたどる。

 例えば、爆弾を作るとしたら?

 誰でも作れて誰でも使えることが、何より喜ばれることだろうか?

 例えば、かまどを作るとしたら?

 選ばれし者にしか作れず一人にしか使えないことが、尊ばれることだろうか?


「私は、そんなすごいものを学んでいます。だから、すごいことをしたいんです。この町を、救えるようなことを」

「……そうか」

「はい! さあ、階段を降りると直ぐですよ教授!」


 れっつごー、と明るく前進する彼女の背に、シンジは何も言えなくなった。


 これが若さだろうか。それとも、賢明さか。


 机上の善悪論に終始する我が身を振り返りながら、シンジは言葉を失ったのである。

 ヒトより優れた技術は、ヒトを助けるためにあるべきだ。そんな原則を今更ながらに思い出したシンジは最早、彼女へ抱いた無遠慮な疑惑を、恥ずかしいとさえ思っていた。


 これは、理想の美ステンノーだ。


 ただ諸人のために。

 忘れ難く実現し辛い理想を、ルカリオ・ファビウムは目指している。


 ――僕ならAダブルプラスを付けるな。


 自身に出来る最大限の尊敬がその程度だという事実に、シンジは苦笑した。


 まあもっとも。


 学生であるルカリオにとっては、それこそ理想的な評価かもしれないが。

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