第34話三日目、昼ー9

 階段は、それなりに長く続いた。


 相当深いところにある、というわけではなく、単純に階段が多いのだ。

 一段一段が低く、螺旋構造になっているため、通常よりも長くなっているようだ。恐らくは運搬のためだろうが、それならいっそスロープにでもしてもらう方が本にとってもヒトにとっても楽だっただろう。


 我らが【マレフィセント】においては、無用の配慮だ。

 書物の運搬は【六手連弾マルチプレイ】が担当しているし、そもそも全てのドアがコードで管理され、あらゆる施設に直結している。どうやって運ぶか、という点に関して突き詰めた結果とんでもないことになっているのだ。


 散歩する魔術師というのは、だから稀である。

 シンジの悪友のように趣味でそうする者以外には、『廊下を歩く』という行為を経験したことのない魔術師はけして少なくない。


「……商会へは、良く行くのかな?」


 足音のしない階段がどうにも居心地悪く、シンジは口を開いた。沈黙は金、というのは魔術師と錬金術師にとっては常識で、彼らが社会に溶け込めない要因の一つだ。


 ルカリオは大きく頷いた。


「はい! あそこだと、色々なものが手に入りますし、資料とかも揃ってますから!」

「なるほどね。そうした研究材料の不足などは、フォローしてもらえるというわけかな?」

「えへへ、私は失敗ばかりなので。ワニウムさんには、迷惑ばかりかけてます」

「イカロス師も、君に期待しているんだろう」


 謙遜するルカリオに、シンジは偽らざる本心からそう言った。

 件の商会代表は、不確かな研究へ出資するような人物には見えない。彼が手助けをするのなら、ルカリオの研究にはそれなりの勝算があるか、或いは彼女本人が優秀ということだろう。


「教授にそう言ってもらえるとは、感激です!」


 階段を降りている最中だというのに、ルカリオは跳び跳ねて喜んだ。

 それどころか、本当に嬉しそうに、危なげなく階段を降りながらもくるくると回り出したルカリオに、シンジは苦笑しながら肩を竦めた。


「僕も感激だよ。事実を言うだけで感激してもらえるとは、気安い仕事だ」









「着きましたよ、よっこいしょっと」


 結局もう十分ほど歩いて漸く、シンジたちは目的地に辿り着いた。

 古びた、けれど小綺麗に保たれたドアを、大した感慨もなくルカリオは押し開けた。


 途端、びゅう、という風がシンジの背後から吹

 き抜けた。


なのか……!」


 風の正体に一瞬で勘づいたシンジは、思わず感嘆をこぼした。


 書物、特に優れた先達の残した由緒ある書物の多くは、その管理に途方もない労力を要する。時の流れはあらゆる物を劣化させるが、中でも書物は目の敵にされているのだ。

 気温、湿度、日光。

 生命を育むのに欠かせない自然の恵みは、こと文明の保全に関しては正に悪魔へと変貌する。ほんの些細な温度の変化で、1000年の努力があっさりと水泡に帰すのである。


 ミド=レイライン大学の地下書庫は、自然界の反文明に対して真っ向から挑んでいるらしい。


 穴蔵のような書庫は、どれだけ見回しても松明の類いが全く存在していない。

 それでも不便でない光量を確保する秘密は、やはり例の光苔だろう。繊細な生命体である彼らが死滅しないよう、彼ら自身が適切な証明を保っているのだ。


 そして、空気。


 部屋を見回した末に松明を見付けられなかった視線は、代わり幾つかのファンを見出だしていた。

 部屋の四隅、それから、一定の間隔をおいて計十六基。

 角度の付いた四枚の羽が回転し、空気を循環させているらしい。恐らく、一定の気圧と湿度を保つよう、中では空気に対する調節がなされているに違いない。


 ドアはゆっくりと、勝手に閉まった。

 直ぐにファンが回転し始め、ルカリオは鼻を摘まんで耳抜きした。


「気を付けてくださいね、教授。この場所は本のためにあるのであって、ヒトのためにある訳じゃないですから」

「運動会には、向かないってことか」

「もしかしたら、生存にも向かないかもしれませんね。探し物にも、向かないかもしれないですけど」


 急速に、唇が乾いていく。

 ある意味で慣れ親しんだ感覚だ。シンジは軽く唇を舐めながら、「さて」と呟いた。

 呟いて、顔をしかめる。


 さて――


 探し物、というのはあくまでも方便だった。というよりも、一番の探し物にいきなり出会って何してるんですかと聞かれたため、思わずそう言っただけなのだ。

 そうしたらあれよあれよとここまで来てしまった――さて。


 次の手と、その次の次の手辺りを考えるシンジを、ルカリオは無邪気に追い詰める。


「どんな本を探すんですか? 並び方に特徴ありますし、良ければ私、手伝いますよ!」

「あー、それは、その……」

「あ、あっちに机ありますよ! 荷物とか置きますか?」

「…………そうだね」


 先送りにするしかない。

 踊るような足取りで上機嫌に奥へと進んでいくルカリオの後を追いながら、シンジは必死に頭を回す。


 しかし一向に、良い案は生まれない。


「商会の方は、大丈夫なのかい?」

「あ、大丈夫ですよ、夜にでも行きますから!」


 悪あがきは失敗に終わった。

 本棚を三つほど通り過ぎたところで、シンジは結局観念した。


 誤魔化す手段が、なにも思い付かない。

 そもそも生徒に対して嘘を吐くということ事態、経験がないのだ。小利口に振る舞える筈もなかった。


 ざっと辺りを見回す。幸い人の気配はない、秘密の問い掛けにはもってこいだ。


「ホント、ワニウムさんには頭が上がらないですよ」

 覚悟を決めたシンジの前で、ルカリオはコートを脱ぐとテーブルに放り投げた。「色々とお世話になってしまって……

「……お父さん?」


 その単語に、何かが引っ掛かった。


「お父さんも、錬金術を?」

「はい! それも、私なんか足元にも及ばないような、とんでもなく凄腕の錬金術師だったんですよ! ……二十年前に、亡くなりましたけど」


 また……二十年前か。

 奇妙な符合だ。偶然か、それとも、これはまさか。


 振り向いたルカリオの顔は、急に痛み出した古傷を押さえるような、必死の笑顔で覆われていた。


「ワニウムさんとも親友だったとかで。お葬式とか、遺産とか、色々管理をしてくれたんですよ」


 それよりも。

 その、抱き締めたくなるような悲しい笑顔よりも、その胸元にシンジは目を奪われた。


 豊かな谷間に揺れているのは、

 見覚えのある歪さに、とは色違いの深紅の宝石。


「……お父さん、凄腕だったって?」

「はい、それはもう! アルビレオ・ファビウムといえば皆が知ってるくらいで……」

「商会の運営にも、携わっていた……?」

「ご存じなんですか? はい! !!」


 四人、

 運営者五人。

 


「……

「え?」


 きょとん、と首を傾げるルカリオ。

 ピンと来ていないらしい。明らかに自分の発言についてこれていないらしい彼女に、シンジは配慮する余裕がなかった。


 どうしてルカリオに脅迫状が送られたのか、不思議だった。単なる一介の錬金術師に過ぎない少女に、意味も通じない筈の手紙をわざわざ。

 だからシンジは、ルカリオが手紙の出所に関わっているのだと予想した――手紙が目的の相手に届かなかったときに、教会か商会に届けてもらえるように。


 そうでは、なかった。


 ルカリオ・ファビウムこそが、送られるべき相手だったのだ。


「錬金術において『光』とは知恵や真理、答え、それに、。教師、師匠、そして組織におけるトップのことだ」

「はあ、そうですね。けど、それが何か?」

「脅迫状には『五つの光』とあった、その輝きをまるで自分のものであるかのように扱うような文面も。五つの光。光は組織においてはトップの事で、だとすると、錬金術師にとって五つの光は……!」


 シンジが閃くのと、ほとんど同時に。

 がちゃり、という音が、ドアの方から響いてきた。


「い、今の音は?」

「……鍵が掛けられたような、音だな」


 続いてぶうううん、と、天井でファンが唸りを上げ始める。


「今度は何ですか?!」

「僕らを殺す音さ」


 送風機が回る。

 急速に、空気が追い出されていく。

 書物にとっては最高の環境へ、そしてということは詰まり、生命には厳しい環境へと、世界が瞬く間に変貌し始めた。

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