第3話一日目、昼
「さて、装備も整ったところで、これからどうしますか教授?」
「そうだな……」
コートのポケットから銀の懐中時計を取り出して、シンジは針の傾きを眺めた。
買い物は、三十分ほどで終わった。
元々シンジは買い物に悩まないタイプだし、ネロの行きつけの店は、悩むほどの選択肢を用意していなかった。サイズさえ合えば、色は黒しかないのだから。
「一応、大学に挨拶をしておこうかと思っているんだ。その前に、ホテルにも行きたいがね」
シンジはトランクケースを持ち上げ、軽く振る。「荷物を、預けておきたい。出歩くには少々邪魔だからね」
「約束は?」
「特にはしてない」
「では、荷物を置いて、ラウンジで昼食でも取りませんか? 魚料理は絶品ですよ?」
「構わないが……」
シンジは言い淀み、周囲に視線を向ける。
観光客と住人たちとが混じりあった、季節限定の人だかりを見詰めるその視線の意味を、ネロは正しく理解した。
「あぁ……屋台ですか」
「祭りといえば、やはり出店だからね」
あまり食事に拘りの無いシンジにとって、料理とは舌だけでなく、全ての感覚器で味わうべきものだった。香り、見た目、食器の清潔さから音楽、椅子の座り心地まで、環境全てが
賑やかな昼食も、静かな夕食も、シンジは好きだ。そして折角祭り見物に来たのなら、初日くらいは、名物よりも出店の軽食を楽しみたかった。
騒々しい野次の中で食べる、雑に焼かれた
学生時代、とある騒動の最中に掻き込むように食べたあれは、シンジにとっては最後の晩餐に並んでも良いような御馳走であった。
「魚というなら、塩焼きとかもあるんだろう? それとも揚げ物か? 見物がてら食べ歩きたいんだが……君の神は、そういうのは嫌いか?」
「そういうわけではありませんが……ふむ、教授はもしかして、あまり創世祭についてはご存じありませんか?」
シンジは首を振る。
宗教に関しては、魔術の運用に関係する事柄しかシンジは知らない。
特にシンジが心血を注ぐ魔獣学においては、神話生物という呼び名からも解る通り、各地の神話と化石との整合性を探ることが多い。その分他の魔術師よりはそれなりに詳しいが、行事の内容にまでは関知していなかった。
「僕が知っているのは、祈りの文句や象徴の意味だよ。詰まり、魔学の一般常識までだ」
「アズライト様の象徴が黄色い太陽だとか、そういったことを知っておられたので、もっとお詳しいかと思っていましたが……」
「魔術師の悪癖であることは、否定しないよ。不要なことは、学ばない」
「宗教学ばかり、ということですね。必要から学ぶのでは、えぇ、信仰とはなり得ない」
真面目な顔つきに豹変したネロに対して、シンジは肩を竦める。
「悪いが、僕が今知りたいのは、小エビ餅のフライが食べられるのかどうかだ、エリクィン司教。人生における信仰の是非についてじゃあない」
「そうでしょうね。ヒトはパンのみで生きるにあらずとはいえ、神の言葉だけでもまた、生きられない。しかしどちらが欠けても、人生とは虚しい」
「しつこいようだが、フライは?」
「今は準備中です」
ネロは呆れたように、両手を大きく広げて肩を竦めながら首を数回振った。
やれやれ、とでも言いたそうな、大袈裟な仕草だった。
言いたいのなら言えば良いのに。そうすれば、一言で済む。
「理由については後でお話ししますよ、長い話ですから、それこそ昼食時にでも。
……ホテルは、勿論【波の乙女】ですよね?」
「あぁ」
シンジは頷いた。
これは別に、ネロの組織が確りと事前調査をしている、ということではない。もっと単純な理由で、ネロはシンジの宿泊先を特定したのだ。
リシュノワールに、ホテルは一軒しかない。
予約のために調べてみて、驚いたものだ。
大陸中の秩序教徒が集まる町に、宿と呼べるものがまさか一軒しかないとは、誰だって思いもよらないだろう。
「集まる、といっても、結局は創世祭の時期だけですからね。それに、必要であれば下宿を探すことも出来ますから」
「学生たちは、そうしているらしいな」
歩き出したネロの後に続いて、シンジも歩き始める。
ヒトの波を吹き抜ける風は、しかし支払った金額の甲斐あって、朝ほど寒くは感じなかった。夜にどの程度冷え込むかは解らないが、これなら何とかなるような気がしてきた。
「ミド=レイライン大学ですね。本格的な神秘学部を持つ大学としては、大陸でも有数でしょうね」
「寧ろ、【マレフィセント】の外では最大規模だろう。塔に招かれない者や、或いは閉鎖的な環境を嫌う者は、皆ここの戸を叩くことになる」
極めて遺憾ではあるが、魔法研究塔はあまり先進的でも、開放的でもない。古い魔術師の価値観に沿って、内向的な研究活動を続けるばかりである。
世間に魔学が溢れ始め、人々の生活に密接に関わるようになった今日でも、その姿勢は変わっていない。
過去へ、内へ。
世界を顧みず、魔術師は没頭するばかりである。
「魔石を使い、魔術を用い、そうして生み出した魔法道具をメンテナンスする魔具技師なんて職もあるんだ。魔術師はもっと、その叡知を世界に還元するべきだと思うな」
「書を捨てよ、野に出よ、でしたか? 相変わらず、革新的な考え方ですね」
「そうでもないよ、それこそミド=レイライン大学では主流の考え方だ」
音もなく、川に浮かべた葉のようにすいすいと、人混みを抜けていくネロの背を懸命に追い掛けながら、シンジは口を動かし続ける。
周囲の目を気にしながらも、こういう話では熱が入るのがシンジの悪癖だ。息を切らしながら、語る、語る。
「君はこの町の宗教に関しては詳しいんだろう? なら、その担い手たちにも興味はあるか?」
「町の半分の話ですか」
「そう、住人の半分が魔術がらみだというのは、流石に有名だ。彼らも含めた全員が秩序教徒であることを考えたら、大した割合ではないかな」
「難しい質問ですね」
ネロは肩越しに苦笑を返した。「私の立場からすれば、多いとも少ないとも言い難い。世間から離れた魔術師が集まっている、と考えれば多いでしょうけれど、異端審問官としては、物足りない数かもしれませんね」
「物騒な話だが。しかし、君の答えは間違っている」
「間違っている?」
ネロは眉を寄せながら振り返った。
そして振り返ったまま、器用に先へと後退していく。
「議論の余地がある、とは思いますが。教授は明確に、間違いなく間違っていると仰るのですか?」
「その通り。君の答えは間違いだ、間違いなく。……魔術師の専門家としては、意外な無理解だとさえ言えるかもしれない。何も知らない多くの民衆が犯す過ちを、君もまた犯しているんだ」
「心外ですね。強い言葉で、且つ回りくどい。……もしかして、私が創世祭について指摘したことを根に持っていますか?」
「まさか、そんなことはないよ」
シンジは大袈裟に片眉を吊り上げた。「ただまあ、あくまでも一般的な意見としてだが。指摘されて大喜びする魔学者は少ない」
「根に持っているんじゃあないですか」
「一般的な意見だよ、心外だな」
ネロはわざとらしく肩を落として、微苦笑を浮かべながら両手を挙げた。
「良く解りましたよ、教授。魔学者の扱いに関しては今後、良く注意することとしましょう。降参しますから、えぇ、どういうことか教えていただけませんか?」
「それも良いが、長くなる。……そうだ、昼食時にでも、説明しよう」
ぽん、と両手を叩いたシンジに、ネロはやれやれの代わりを再び繰り返した。
それから、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、根に持っているんじゃあないですか」
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