第4話一日目、昼ー2
「ホテルには、広場を通るのが解りやすくて近いですね」
「サンピュルセル広場か」
世界一有名な祭りに関してさほど詳しくないシンジでも、その名前には聞き覚えがあった。
というより、恐らくは見覚えだ。
今回の休暇の過ごし方に関して、賢明な内弟子は不精者の師に資料を用意してくれていた。リシュノワールという町の名所に関しても、いくらか調べてくれたのだ。
読み飛ばしたから、あまり覚えてはいないが。
確か、創世祭において重要な場所だった気がする。
「裏を返せば、創世祭において重要だから、名所になったとも言えるのですが……この町には勿論歴史はありますが、やはり重要視されるのは創世祭ですからね」
「その創世祭なんだが」
聖都ではまずあり得ない、土が露出した道を歩きながら、シンジは首を傾げる。「具体的に、どんな祭りなんだ?」
当然だが、ネロは眉を寄せた。
自分の宗派における最大の祭りに関して、良く知らないと言われるのはあまり気分の良いものではないのだろう。
それでも、無知なるを導くが彼の務めだ。行き交うヒトの波をかわしながら、ネロは口を開いた。
「この世界の創世に関しては、教授もご存じですよね?」
「まぁ、そのくらいはね」
曰く、世界は闇だった。
空にアズライト神が浮かび、闇を払った。
その秩序の下で、神々は世界を創り始めた。
一日目、土の神ランドリクスが横たわり、大地となった。
二日目、水龍神クードロンが大地を囲み、海となった。
三日目、地に落ちたマチューバ神の火を、四日目、風の女神ユンハルトゥラが吹いて散らした。
五日目には女神エーマが躍り、そこが空となった。
六日目、ワーズワースが影を産んだ。
そして、七日目。
改めて天に座したアズライト神の光が影を照らし、彼らに啓蒙を与えた。
影はたちまち己の姿を思い出し、世界には、生命が溢れ出したという。
「……そうして、世界は生まれた。それが神々による、七日間の創世記というやつだ」
「【始まりの七日間】。偉大なる上位存在が、世界に与えた祝福の記録です。創世祭は、それを再現する祭りです」
「再現? 世界を創り直すのか?」
「まあ、あながち間違っていないかもしれませんが……教授、本当にご存じ無いのですか?」
「くどいな、知らないと言ってるだろ。魔術師は、そういうことは詳しくないと……」
「しかし、これは魔術師にも関係のあることですよ?」
「……何?」
町は、【白】で溢れていた。
漆喰、それも、貝殻を使ったものだろう。純白の壁は、長年の生活によって汚れながらも未だ褪せず、白さを保っている。
何処と無く神聖さを感じる白壁を横目に、ネロが講釈を続ける。
「創世祭は、神技を再現するための祭りです。ワーズワースの月の最後の夜から準備を初めて、七日目の日の出と共に終わります」
「最後の日の出は、随分盛り上がるね。学生や、一部の教師も、その日は一日中酒杯を手放さない」
「それも良いでしょう。新たな一年を祝うには、しかめ面より笑顔の方が相応しい」
シンジは肩を竦めた。「その七日後からは、試験が始まるがね」
「学生にとっては、忙しい一週間となりますね」
「教師にとってもね」
試験というのは、学生ばかりが苦しむ荒行ではない。矛盾せず、解決可能であるがある程度の困難が伴い、明確に採点可能な問題を考えるのは他でもない、教師である。
勿論実技試験もある。かく言うシンジの講義も課題を提出するスタイルであり、問題文の言葉遣いに頭を悩ましたことは一度もないが、それでも課題を考えるだけで想像以上の苦行であった。
何故、試験など必要なのだろうか。関わる人間の誰もが苦痛を味わうような手間なんか、無くしてしまえば良いのに。
授業に確りと参加し、話を聞いていれば、それで良いではないか。
わざわざ問題を解かせて確かめる必要はない、ただ一言、こう尋ねれば良い。『貴方は私の講義を理解できましたか?』と。
現実はそうはいかない。
影から生まれた我々は、常に清く正しい言葉だけを吐くわけではないからだ。
「七日間の創世は、一日毎に異なる神が主役となります。祭りの間、その神からの恩恵を食するのが習わしです。一日目は野菜、二日目は海産物。六日目のワーズワースに関しては……」
「心を乱す、闇の恩恵か……何だろう、断食でもするのかい?」
「いえ、酒を飲みます」
「……成る程」
確かに、酒は心を乱すものだ。
ヒトによって程度の差はあるだろうが、完全にまともではいられないだろう。
「今では、それほど厳格に行っているわけではありませんがね。教会の内部でも、例えば夕食だけはその決まり事に従う、というのが精々でしょう」
「習慣は、簡略化されるものだからね」
「えぇ、信仰が伴うのなら、構わないのかもしれませんね」
しかし、夕食か。
それでネロの言った『準備中』の意味が解った。屋台などが売り時にするのは、夕食時からなのだ。昼間は寧ろ、皆好きなものを食べるのだろう。
一つの疑問が解決し、結果、もう一つの疑問がその姿を大きく広げていた。
「……祭りの概要は、解ったが。それと魔術師と、どんな関係があるんだ?」
「そう思うということは詰まり、未だ概要さえ解っていないということでもあります」
「なら、勿体振らないでくれないか」
若干苛立ちながら促したシンジは、ネロの次の言葉に驚愕する羽目になった。
得意気に微笑むネロの思う通りというのは、実に不愉快だった。
「簡単な話ですよ、教授。……この祭りは、ある意味では魔術師が主役なのです」
「……どうやら、広場は閉鎖されているようですね」
白い町並みを抜けた先、一層清らかに輝く純白の塀を遠目に眺めて、ネロが残念そうに呟いた。「現地でお話しするのが、何より効果があるのですが」
鉄格子で閉ざされた塀の前には、行き場を無くした人だかりが見えた。明るい内に広場を見物しようという、観光客だろう。
気持ちは解る。
闇の邪神が関わって生まれたとはいえ、ヒトの目には闇より光の方が適している。
「まぁ、良いでしょう。
……祭りが始まるのは、この広場からです。ワーズワースの最後の晩、詰まりは昨日と今日の境目に、広場には神輿が設置されます」
「ミコシ?」
「神を運ぶ、神聖な祭壇のようなものです。箱に納められた光の化身、即ち鏡を載せて、持ち運ぶための神具です」
「鏡か、それは確かに、神秘には色々と関わりの深い道具ではあるが……それが魔術師とどう関係するんだ?」
「先程も言いましたが、祭りは創世記をなぞる形で進みます。まず神輿が造られ、そして、一日毎にそこに変化が加えられるのです。神輿を大地に見立て、そこに水や火、風、空を加えていく。魔術師によって」
中々の見物ですよ、とネロは、やや頬を紅潮させながら興奮気味に語った。
「ただの塩樹製の神輿に、海が生まれ、風に揺られる火が点り、鳥が舞う。聖なる水が、それらを可能にしていると聞いたことがあります」
「……聖なる水?」
「不思議な水です。飲むことはできず、触れることも禁じられている。しかし、魔術師の呪文に応じていかなる形にも変わるのですよ、あれこそ正に、奇跡的です」
「……そういうことか」
シンジは、漸く全ての疑問が氷解していくのを感じた。
大きく堅牢に思えた謎の塊は、打ち砕かれて大きな波紋を立てながら海へと落ちていく。
興奮しているネロには悪いが、そう、これは単なる勘違いだ。
世の中の多くの人間が陥っている無理解に、ネロもまた足を取られたのだ。
思えば、
単純な、極めて単純な話だ。
その【聖なる水】とやらは魔術ではない、それを操る者も魔術師ではない。
聖なる水、またの名を銀の水と称されるそれを扱う彼らは、魔術師ではないが、時としてその奇跡は魔術と混同される。
元素に依らない、魔力も用いない、人々が追い付けない技術によって神秘を起こす、神の徒にとっても魔術師にとっても異端な存在。
この町の半分を占める魔学関係者の正体。
「彼らは――錬金術師だ」
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