第5話一日目、昼―3
「
ネロは腕を組み、考え込むような仕草を見せた。「彼らのことは知っていますが、その、彼らは魔術師ではないのですか?」
「錬金術師が怒るだろうね、その感想は」
くすり、とシンジは唇を綻ばせた。「彼らは、魔術を扱ってはいない。どちらかというのなら、ネロ、君の領分に近い存在だよ」
「解りません、私は、魔術の内一つの体系として、錬金術があるのだと思っていたのですが……」
「魔術師の甥の甥にも当たらないよ」
まぁ、良く知られた誤解ではある。世界中で尋ねて回ったら、恐らく十人中九人は同じように答えるだろう。
「魔法薬学部や、魔石工学部と良く混同されるんだが。錬金術と魔術の間には、大きな隔たりがある。錬金術はその過程において、一切の魔力を用いないんだ」
薬品の温度管理、器材の細工など、いわゆる物理系の学問においては環境を整えることが何より大切となる。
魔力を使えれば、薬品の温度を下げたり上げたり、大気元素を操って独立させたりと、実験環境を理想的な条件に調節し、それを維持できる。『一切の抵抗がないものとする』なんて机上の空論を、現実にも当てはめることが出来るのだ。
錬金術師は、それをしない。
彼らはあくまでも、誰にでも手に入れられる薬品を用い、何処ででも見かけられる器材を使い、神秘を実現しようとする。
手順と分量さえ間違えなければ万人の手に神秘の鍵が、渡されることとなるのだ。
「聖なる水と彼らが呼ぶのは、水銀だ。恐らく、薬品か、或いは別の金属を混ぜて、温度変化によってそうした鳥の像を造り出したんだろうね」
「魔力を、用いない……」
「時代と共に、その定義も厳密ではなくなってきたがね。魔力を持つ者でも錬金術を学ぶことはあるし、錬金術師が魔法薬学部を見学することもある。中には、錬金術のレシピを魔力を用いて行えば、最も優れた結果を産み出せる、と思う者も居るようだ」
時代が変わった、ということか。
それとも――無知だということか。
「無知、ですか。変化に対応するのは、知的生命体の常では?」
「だとするなら、魔術師はもっと神を信じるべきだな。錬金術の開祖に、敬意を払うのならね」
「はぁ……有名な方なのですか? 教会の関係者とか?」
「それどころじゃあない。世界一有名な人間で、多分教科書にも載っているよ。彼の前にひざまずく者も、少なくないんじゃないかな?」
眉根を寄せ当惑するネロに、シンジは実に楽しそうに笑いながら、ある一人の人物の名前を告げた。
神による創世の最後に、初めて地上に生まれたヒト。
神の啓蒙の光を真っ先に浴びた神の似姿、全ての人間の祖とも呼べる、世界最初の男性の名前。
「【楽園を追われた者】……まさか、あの方が……」
全身で驚愕を表現しながら、思わず、といった風体でネロは尋ねた。「本当なのですか?」
「少なくとも、錬金術師たちはそう主張しているよ。神話時代、神の存在を身近に感じられるかの【
世界最高の錬金術師、レウム・R・ドルナツはその論文でこう述べた――『九百三十歳で没した彼は、自然の並外れた知識と叡知と光を賦与されていた』」
「自然の知識でしょう、錬金術とは限らない」
「主張しているのは錬金術師だと言ったろう、ネロ。仰る通りこれは錬金術の起源に確信を与えるものではないが、しかし、面白い主張ではある」
ネロは、ひどく不満そうに息を吐き出した。「愉快な主張とは、思えませんが」
「錬金術の真髄は、奇跡の実現でも神話の再現でもない。自然の模倣だ」
不意を打たれたように、ネロは大きく目を見開いて停止した。
再起動までには、時間と数回の瞬きが必要だった。彼が立ち直るのを待って、シンジは話を続ける。
「多くの魔学において共通する考え方だが、完全さは過ぎ去ったものの中にしかない。そして錬金術師にとっては自然こそ完全だった。今の地上に残された自然じゃあない、神話に語られる【楽園】、そこに満ちていた神秘の自然だ」
シンジは軽く目を閉じ、自分が人生を賭けて研究してきた一枚の絵画を思い起こした。
【色彩の魔女】カメレオンによって描かれた、
神の裁き、【
現在の生物とはかけ離れた個性を持つ彼らの生活には、同じくらい個性的な環境が、自然が必要だったに違いない。
シンジが神話生物に、その
「自然は完璧で、完全で。だからこそ、彼らはそれを目指したんだ」
「……それで、創世祭に協力を」
「天地創造の再演だ、自信がある錬金術師なら、誰だって挑戦したいだろうね」
「不敬な……」
「どうかな」
錬金術師は、天地創造でさえ彼らが行う実験過程の【分離】と同一である、と見なしていることに関しては、伝えない方が良さそうだ。
代わりに、シンジは弁護の道を選んだ。
この町で、彼らの大学で講演をするのだから、恩義の一つもあるだろうと考えたのだ。
「彼らは神を、【偉大なる巨匠】と呼んでいる。神々が造り上げた世界に対して、最大限の敬意を持って向き合っているんだ。それは、少々歪ではあるが、信仰の道ともいえるだろう?」
「…………」
ネロは黙り込んだ。
無理もない、シンジの言葉は嘘ではないが、過分に美化した意見でもある。
作品に尊敬を向ける芸術家ではある、しかし、憧れを持った芸術家の次なる一手は、自分でも創ってみたいだ。
神の御業に尊敬はする。
だが――尊重はしない。
「……まあ、良いでしょう。教授、貴方の言うことにも一理ありますしね」
かなり渋々ながら、ネロは不満を抑えたようだった。
現実として、教会最大の祭りに対して彼らが果たす役割が、最早無視できないほど大きいということに思い至ったのだろう。
そしてまた、信仰の道はそれぞれにあるという事実についても。
「それはそれとしても、確かに楽しみだな。錬金術師の実験は、見応えのあるものが多いからね」
「石を金に変えたり、ですか?」
「それもまた、勘違いだけどね……」
本当に、庶民的なゴシックが好きな司教だ。あれは単なる、比喩表現だというのに。
まあ、出し物としてはあり得る話だ。こういう勘違いが多い以上は、それに答えることも必要なのだ。
もしかして、とシンジは閃いた。
「さっきの広場の封鎖。何か、錬金術師の準備があったんじゃないか?」
「準備、ですか……」
顎に手を当てて、ネロは首を傾げる。「確かに例年、広場が封鎖されることはありませんから、何かあるのでしょうけれど……」
「派手な演目があるのかもしれないぞ」
「あり得なくも、ありませんね。神輿の装飾は、年々派手になっていますから。そう言えば、去年も…………」
他愛ない会話を続けながら、シンジたちは広場の前を通り過ぎた。
もし。
もう少し広場に近付いていれば、二人は気が付いただろう。
広場を封鎖しているのが、正規職員ではなく、異端審問官であるということに。
「…………」
部下たちに封鎖させたサンピュルセル広場で、スフレ司教は紫煙を吐き出した。
葉巻でもパイプでもない巻き煙草は、吸い始めた頃から、同僚たちに安っぽいと常に馬鹿にされてきた昔馴染みだ。
その評判通り安っぽい煙を深く吸い込むと、肺が悲鳴を上げる感覚と共に、精神が若い頃へと立ち戻るような気がする――素朴ながらも信心深い、長閑な退屈の住人たちを、ひた向きに守っていたあの頃に。
今や町は変わり、世界は変わった。
住人たちの生活も変わったし、何よりも、スフレ司教自身が大きく変化した。がむしゃらさは鳴りを潜め、慎重さが頻繁に顔を出すようになったのだ。
老人たちのことを退屈だと思っていた時代が懐かしく思える。いざ歳を食ってみて解ることだが、彼らは臆病だったわけではない。変化よりも維持を、選んだだけだ。
そして、スフレも。
「…………」
無言で再び、紫煙で身体を充たす。
実際のところ、維持は上手くいっていた。この数十年犯罪らしい犯罪は起こらず、祭りの期間もそれは同じだった。
昨夜、その退屈な平穏は破られた。
今必要なものは、維持ではない。その、正反対の熱量だ。
老練した精神を、煙に乗せて吐き出す。
苦く不健康な若さを、煙と共に吸い込む。
「……司教様! 目撃者が出ました!! 昨夜、怪しい人物を見掛けたという者が」
「ここに呼べ」
事態は動き出した。
自分もまた、動くべき時だ。
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