第14話二日目、昼―2

 審問官の詰め所は、教会の真裏、北東の端にあった。

 表側の荘厳さに負けず劣らず立派な聖堂が、そこには鎮座して――


 そこにあるのは、どれ程言葉を選んでも単なる小屋でしかない。森の奥で、人生の余暇を持て余した独り身の老人が住むには丁度良いくらいの、貧相な馬小屋である。


 何かの間違いを疑うシンジを他所に、二人の聖職者は小屋へと向かっていく。思わず、シンジは声をあげた。


「僕は初めて来るのですが、解説してはいただけないんですか、ネロ司教?」

「おっと、失礼した」

 険のある言葉に、何故かスフレ司教が振り返り応じた。「


 試されたな、とシンジは敏感に察した。

 何をかは解らないが、しかし、この老人は明らかにシンジを試している。振り返った際の値踏みするような視線を、シンジは見逃さなかった――【マレフィセント】でよく、保守派の魔術師がこれと同じ視線をシンジに送っていたからだ。


 ネロは、きょとんとした顔で、シンジを見ている。事態を理解できていないようである。

 何となく予測はしていたが、この友人はこうした、染み込むような悪意には疎いようだ。権謀術数とは無縁の立ち位置なのだとしたら羨ましいが、多分鈍いだけだろう。


 対して、シンジ・カルヴァトスは専門家だ。


 魔術師の奇跡は、何も呪文にのみ宿るわけではない。

 ちょっとした仕草や目線で、呪詛の種を蒔くことは容易。形の無い悪意のやり取りは、社交辞令より頻繁に繰り返されるものである。

 その程度見抜けないようでは、たかが知れる。たかが知れた魔術師の運命は、言うなれば、この豚はこれ以上大きくは育たない、と確定したようなものだ。ベーコンかハムか、選ぶ権利さえない。


 十年余りをそうした魔窟で過ごした経験が、シンジに、老人の悪意を伝えていた。それも、最も質の悪い――悪意を。

 だってそうだろう、相手の性能ではなく性質を見極めるための試験など、悪意以外の何者でもない。


 シンジは、笑顔の仮面を被った。老人とお揃いの仮面を。


「お手間をお掛けします」

「構わんよ、こちらこそ配慮が足りなかったな。かの有名なネロ・エリクィン司教の友人と聞いていたのでね、同じものを見ているかと思ってしまった」

「人はそれぞれ違うものを見る」

 シンジはちらりとネロを見て、それから、彼の同業の老人を見る。「その方向を合わせるのが、宗教というものです」

「或いはかな。それか、異端か」


 スフレ司教の言葉に、シンジはふむ、と内心首をかしげた。

 どうやらスフレ司教の危惧する内容は見えてきたようだ――しかし、何故だ?


「この異端審問会アレキサンドライト教会支部は、少々

「あの小屋は、飾りですか?」

「入り口だよ」

「『狭き門より入れ』」

「そういうことだ」


 シンジの呟きに頷くと、スフレ司教は小屋に近づき、そのドアを大きく開け放つ。

 その向こうには一般的な内装は何も存在していなかった。代わりにあったのは――大きく口を開けた、漆黒の大穴。


「まぁこの場合は、狭き門よりだがね」


 スフレ司教はくすりと笑って言った。

 他には誰も、笑わなかった。









「先程、この教会に関する君の知識に関しては理解したが。この町に関してはどうかね、ブラザー・カルヴァトス?」

「一般的な部分だけは」

 ネロの反応を窺いながら、一先ず正直にシンジは答えた。「かつては海であり、干拓によって生まれた町だというくらいです」

「ただの干拓ではないが、概ねその通りだ。君のように若い審問官にとっては、それで充分なのだろう」

「歴史家にとっては、違いますか」

「私にとっては、生まれてから過ごしてきた故郷だよ。さておき、私が言いたいのは、この町にはある独特な決まりがあるということだ――大学の時計塔は見たかな? かつての名残で、この町では、あの塔よりも高い建物を建造することが出来ない。

 詰まり、ある程度の規模を持つ建物が必要だったら、上にではなく下へと道を伸ばす必要があるわけだ」


 司教の言葉には説得力があった。現在進行形で、シンジたちはへと向かっていたのだから。

 そこ、詰まり、底へ。


 大穴は、シンジたちが背を伸ばしたままでも悠々と入れるほど大きなもので、そして雑だった。

 どんな素材を用いたのか、壁の表面はでこぼこで、坑道のプロフェッショナルが作ったようには見えなかった。寧ろ、粗雑な道具で素人が掘り進めたような印象を受ける、強い執着を感じるような出来映えである。


 幅も高さもまちまちな階段を恐る恐る降りながら、シンジはスフレ司教を、その右手に掲げたランタンの橙色の明かりを見詰める。


「教会の敷地よりも、このトンネルは広く続いている」

 不器用なトンネル内に声を響かせながら、スフレ司教はかくしゃくと歩き続ける。「教会よりも古いのではないかという者もいるほどだ」


 何度曲がったのか、自分が今どちらを向いているのかさえ解らなくなった頃、不意にスフレ司教は立ち止まった。

 振り返った彼のランタンが、いつの間にか左手に現れていた、古いドアを照らしている。

 本来ドアノブがある位置には、鉄製の輪があるだけだ。鍵穴も、ドアベルもない。木材の感じからいって、相当な年代物だろう。


 ドアの唐突な登場に驚くシンジに、スフレ司教は笑い声を響かせた。


「やれやれ、気を付けてくれ、獣の巣のように入り組んでいる。道を失えば、誰にも気付かれずに天に召される事となるだろう」

「一人ではうろつくな、ということですか」

うろつくな、ということだ」

「ご安心ください、私は二度来ました。道は完全に把握していますよ」


 ネロが空気を読まない発言をした。

 にこにこと無邪気に笑うネロを二人分の視線が射抜き、やがてどちらともなくため息を吐いた。


「……遺体はこちらだ。エリクィン司教の話では、過去の事件では君が特別な手法を用いて、遺体の身元を特定したということだったが」

「えぇ、まぁ」

「えぇ、まぁ。……率直に言って、ブラザー・カルヴァトス。事態は行き詰まっている、操作の糸口さえ見えない状況だ。どんな小さなものでも、手掛かりであれば何でも欲しい。手掛かりであるのなら、な」


 好好爺めいた笑みの奥で、スフレ司教の瞳が鋭く輝いた。

 先程までのものとは毛色の違う冷ややかさに、シンジは軽く肩を竦めた。


「最善を尽くしますよ」

「そうして欲しい。結果が保証できんのなら、せめて誠意だけは保証して欲しいものだ」

「人の願いには、誠意を尽くしますよ」

 シンジは、挑発的に微笑んだ。「人間として、当然のことですから。


 鼻を鳴らすスフレ司教の前で、シンジはドアを開けた。

 その先に何があろうとも、いいともせめて、この老人の鼻くらいは明かしてやろうじゃあないか。









 ドアと同じくらい、部屋の中は古い気配に満ちていた。


 壁に備え付けられたランタンの明かりが、雑に削られたでこぼこに陰影を刻む。

 ここを掘った誰かは、部屋だからといって丁寧に作業することは無かったようだ。踏み出した足の裏は、廊下と同じかそれ以上に歪んだ感触を伝えてくる。


 家具はほとんど無い。


 壁に幾つか、恐らくは死体処置用の機材が入っているのだろう、戸棚があるくらいだ。

 そして、石のベッド。

 人一人がぎりぎり仰向けになれる程度の、背もたれの無いソファーのような形状のベッドである。寝心地が良いようには見えないが、そこに寝かされる者は、寝心地の良し悪しを気にすることはないだろう。


 少なくとも今寝かされているは、文句を言うつもりはないらしかった。


「被害者の女性、身元不明」

 ネロがドアを閉めたのを見届けて、シンジは口を開く。「死因なんかは、解ってるのか?」

「恐らくは、その脇腹の傷です。槍か、或いは棒か。鋭利なもので刺された傷、ここが一番深い。ここからの出血によって、生命を維持できなくなったと思われます」

「失血死か、ウィータの摘出に、影響がなければいいが」


 生命元素ウィータは血液の中に多く存在する。その血液自体がなくては、ウィータの分析どころではない。

 無惨な状態の死体にとりあえず術をかけるべく、シンジは歩みを進め、そして。


「……スフレ司教はどうした、ネロ」

「部屋に戻ったのでしょう。彼にも実務がありますし、私としても、貴方の手法を見させるわけにはいきませんから。教授も勿論気が付いたでしょうが、スフレ司教は貴方を疑っていますから」

「……え?」


 驚愕に目を見開くネロには目もくれず、死体を睨みながら、シンジは静かに言った。


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