第28話三日目、昼ー2
「基本的に、錬金術に関して僕は素人だが」
自分の声が状況に対して冷静に過ぎることを自覚しながら、シンジは舌を回す。
冷静というよりは冷酷だと、ネロならば言うだろうか。
そんなつもりは無い。ただ単に、自身はやはり魔術師であると自覚しただけだ。
魔術師とは、神秘を追う者である。
恩師の言葉は今でも、シンジの脳裏に刻み込まれている。しかしそこに敢えて付け加えるのなら――先人のレシピに独自のソースを付け加えることを許すのなら、シンジは自身も属するコミュニティをこう、評価するだろう。
魔術師とは、神秘を追わされる者である、と。
神秘を前にした魔術師に、選択の余地は無い。
さながら赤を前にした猛牛のごとく、そこへ突き進むしか無くなる。
樹系図のように入り組んだ数多の道筋。
その果てに真実があると気が付いてしまったら、全ての魔術師はそこへと突進せざるを得ない。
猛進せざるを、得ない。
あらゆる些事は、その場に置き去りにされる――周囲の状況から、一般的に尊ぶべき情というやつに至るまで、全て。
例えば、異端審問官の用意したローブを身にまといながら錬金術師の死体を検分するなんていう状況も、全て、だ。
教会の壁に寄りかかるようにして座り込んでいたオズマン氏の遺体は、ネロとスフレ司教が苦心して地面に仰向けにした。
本当ならアレキサンドライト教会まで運んで、然るべく検死をするのだろうが、それは異端審問官の中の専門家が行うことだ。それに何より、この巨体をそこまで運ぶのは正直めんどうである。
今は、最低限の検分が出来ればそれで良い。
周囲をテントのように囲む布を眺めてから、シンジは改めて、遺体に注意を戻した。
「君たち門外漢よりは理解があるだろうから、それなりの自信をもって解説させてもらうけれど。錬金術においては、万物の分類こそが鍵となる」
「分類?」
「分析、分解と言っても、良いかもしれないがね」
スフレ司教に貸与された袖付きの前掛けは、リシュノワールのように純白だった。
衣服が汚れないための前掛けなのに純白とは、何というか、本末転倒のように思える。これなら真っ黒の方が、汚れが目立たないのではないだろうか。
そんな余計なことを考えながら、シンジはオズマン氏の遺体、その下腹部に手を突っ込んだ。
「…………」
嫌そうな顔で、ネロが顔を背けた。繊細なやつ。
「世界に存在するあらゆるものは、何か、君たちで言うところの神のような存在の定めた法則によって形作られていると、錬金術は考えている。幾つかの要素の組み合わせが、物質を物質たらしめるのだ、とね」
「……以前、死体に刻まれていたような四元素のことか」
「火、土、風、水。あれはどちらかというなら、魔術的な考えだ。魔力によって各属性の元素を操ることが、魔術の本質なのだからね。錬金術は、そこから更に深く、物質の中へと踏み込んだ」
反面、シンジの手元から目を離す気配の無いスフレ司教の言葉に首を振る。
異端審問官の理解としてはまぁまぁだが、まだまだ浅い。
「錬金術はもっとその――概念的な方向に深化していった」
「概念?」
「火は燃える、水は流れる、そういったものだ。そして概念を【乾】と【湿】、【温】と【寒】に分け、組み合わせと変質で物質を説明する」
四元素で言うなら、火は【乾】で【温】である。その【温】を【寒】に変えると、火は土となる。
元素は物質を構成する要素である。それを分解することは、物質を果てしなく細分化することになるわけだ。
「そして要素が細かく、小さくなればなるほど、それを変質させることは容易くなる。火をまるごと石のつぶてに変える魔術は大魔術だが、要素をわずかに変えることは片手間で済むというわけだ」
「石を黄金に変えることも?」
「比喩的な表現ではあるが、そうだね、不可能ではないと思う」
その場合、必要となる金の量は精製される金よりも遥かに多くなるだろうが。
「それとこれと、どのような関係がある」
「要素は、すなわち象徴になるんだ」
例えば、火と同じ要素を持つものならば、それは火の象徴になる。
もっと言ってしまえば、火と真逆の象徴である水でさえ、間に風か土を挟めば、火に変換することが可能なのだ。
どれだけ火と関係なく見えたとしても、錬金術的なアプローチならば、火と関連付けることは不可能なことではないのである。
スフレ司教が、苛立たしげに地面を蹴った。
「だから、それが何だと聞いている。錬金術師のこじつけに、どれだけの価値があるというのだ?」
「無価値だよ、本来の錬金術師からすればね……ただし」
虚を突かれたようなスフレの隙を逃さず、シンジは畳み掛ける。「ただし、魔術師としては正に黄金の価値がある」
「考えても見てくれ、スフレ司教。異端審問官。どんなものでも自分の属性の象徴として扱える魔術師の危険度を」
「っ!!」
二人の専門家が、揃って息を飲んだ。
魔術とは万能の奇跡ではない。
材料を揃え、手間をかけ、魔力を消費する料理のようなものだ。
魚もなくシーフード料理は作れないし、練習していない料理や、知りもしない国の民族料理は作れない。
つまり逆説的に、魔術師の用意している材料や調理器具を見れば、彼が何を作ろうとしているかは事前に解るのである。そしてそれが解れば、対抗することだってできるのだ。
その読み合いが、まるで意味を無くすことになる――錬金術の象徴学を修めれば。
「君たちが十字架に信仰を捧げ、精神的にも物理的にも力を得るように。魔術師は象徴を魔術の補助として使っている。そこに制限がなくなるということは、少なくとも戦闘行為においては、圧倒的なアドバンテージとなるだろう」
「それに、犯罪者にとっても」
ネロがため息を吐いた。「逃亡するにしろなんにしろ、強力な援軍となるでしょうね」
「魚に羽が生えたようなものだ、どこにでも行ける」
「それでは窒息するがね。それで? こんなところで死体の腹を探っているんだ、何か考えがあるんだろうな?」
「……錬金術においても、代替の利かない材料というものはある」
シンジは大きくため息を吐きながら、遺体から手を引き抜いた。
ローブを脱ぎ捨てると、くるくると丸める。血に染まった布は、今後どれだけ洗っても、もう一度使えるようにはならないだろう。
ローブ一着を使い捨てる結果になったが、勿論、得るものはあった。
「万物の母である水銀に、父である硫黄、それからさっき言っていた黄金もそうだ。術師によっては路傍の石こそかけがえの無い素材であるという表記もあるが、これは多分過剰表現だろうね」
「かけがえが無ければ、それは路傍の石では無いでしょうからね」
「ありふれたところにこそ真理は宿っている、といいたいのかもしれないが。とにかく、これだけは外せない、という素材は、組み替えと置き換えの魔術とでも言うべき錬金術においても存在している」
「……それは、まさか」
腹の中を探り、見付けたもの。
いや、見付からなかったもの。
神が泥を捏ねて生み出したという、上位存在の似姿。
自然の究極にして異分子。
楽園を与えられ、そこから追い出された罪の申し子。
「人体だ。オズマン氏の遺体からは、胃が抜き取られている」
「……胃か」
「そうではないか、と思っていましたけど、改めて言われるとその、キツいものがありますね」
青ざめた顔で首を振ると、ネロは遺体に十字を切った。
スフレ司教も簡単に祈ると、ぎょろりと目を見開いた。
「胃も、何かの象徴なのかね?」
「勿論だ。しかし、通常の象徴とは少しだけ、意味合いが異なる」
「ほう」
「胃は、消化する臓器だ。酸を溜め込み、肉を溶かす。そのため、錬金術においては、精製を象徴するんだ」
肉を溶かし、栄養に変えるように。
物質を溶かし、元素と変える。
「なるほどな、こいつの胃ならば、かなりの容量だったろう」
「……もう一つ、懸念するべきことがある」
シンジは遺体を、それから、辺りの地面を眺めた。
それから万年筆を取り出し、軽く息を整えると、周囲にそれを振り向けた。
瞬間、地面が淡く発光し始めた。
「……人避けの結界だ、既に破棄されているけど、かなりの強度だったらしい」
「また魔術か……!」
「大問題だという顔ですね、教授?」
「そうだな、致命的と言ってもいい」
残念ながら、これで確定してしまった。
「相手は魔術の知識を持つ錬金術師じゃあない。錬金術の知識を持つ魔術師だ」
「……? 同じことでは?」
「全く違うのさ、その二つは、水と油くらいかけ離れている。前者なら凡人だが、後者なら、正に最悪だ。
その、致命的な違いに関しては、専門家の意見を聞こう。……もう一度、商会に向かおう。どうしても、話を聞く必要がある」
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