第29話三日目、昼ー4
オズマン・フィアチウムの死は、無機質な雄弁家、イカロス・ワニウムに多大な衝撃を与えたようだった。
昨日と同じルートをとって案内された部屋には、イカロス氏の他にも新たに二名、聞き手が増えていた。
細身ながらも貫禄のある初老の男性と、柔和さを感じさせる女性の二人。こちらを見る目付きから、彼らもまた錬金術師であろうとシンジは目星を付けた。オズマンの悲報を、共有するべき立場だということだろう。
二人の胸元で、同じデザインの秩序十字が寂しげに揺れる。
イカロス氏も、胸ポケットから同じ十字架を取り出して、強く握りしめた。
中央に輝く宝石の種類だけが違う、銀製のロザリオ。そこから導き出される悲しい結論に、シンジはそっと息を呑んだ。彼らは、単なる同業者ではないようだ。
「御察しの通り、彼らは錬金術師にして我が生涯の友人である。そして商会を支える、大いなる柱でもある」
「四本の柱だ」
イカロス氏の言葉を、男性が引き取る。「四本の柱だったと言うべきかもしれないが」
「オズマンは、私たちと同じく、商会の運営を担う立場にあったわ」
神経質に眼鏡を弄る男性に続いて、ため息混じりに女性が口を開いた。
白髪混じりの髪を片手で撫でながら、彼女は極めて抑制された憂鬱を、上品に示す。
「……我々は、三十二年ものあいだ、友人として切磋琢磨してきた。錬金術の腕前を磨きながら、商会をより大きく、好ましい組織にしようとしてきたのだ」
「……心中、お察しします」
銀髪の獅子、イカロス氏のこぼした苦悩に静かに頷いたのは、ネロだ。
ありふれた言葉だが、それが嫌みにも無責任な放言にも聞こえないのは、彼の司教としての力量なのだろう。
目を伏せ、心から沈痛そうな表情を浮かべる青年に、彼の年齢よりも長い時を過ごした友人の死を伝えられたイカロス氏は、言葉短く謝意を伝えると、祈るように目を閉じた。
「せめてご友人の死が、安らかであったと伝えられたら良かったのですが」
「……殺人、と聞いた」
「拷問の痕跡があった」
対照的に、スフレ司教の言葉は鋭角だった。「その件で、話を聞きたい」
「拷問、だと?」
「スフレ司教、そのような言い方は……」
「全身に切り傷、深いところでは肉を抉られるほどだ」
ネロの緩やかな牽制を、スフレ司教は無視する。力強い足取りでカーペットを踏み荒らし、机で腕を組むイカロス氏に詰め寄っていく。
その顔は、怒りそのもののように、怒り狂っていた。
「現場は血の海だ。あれほど激しく、執拗で、幼稚な手際は見たことがない」
「スフレ司教!」
「犯人はオズマン・フィアチウムに個人的な憎悪があったか、或いは、彼の持つ何かを聞きたがった――内臓を抜き取ってまで!!」
ネロを睨みながら、スフレ司教の語調は激しさを増していく。「拷問そのものに快楽を覚える異常者でないのなら! 犯人はオズマンの持ち物に、それだけの価値を見出だしていたことになる! それは何だ、イカロス!」
ばん、机に叩き付けられたスフレ司教の掌が叫んだ音を最後に、しん、と沈黙が部屋に落ちた。
はあ、はあ、はあ、という荒い呼吸が、老司教の喉から響いている。
「……オズマンの、持ち物を見せよ」
痛いくらいの沈黙は暫く続き、やがて漸く、商会の王によって破られた。
シンジたちの間には安堵が、そして王の友人には何やら衝撃が拡がっていた――有り得ない、起こってはならないことが起こったとでも、言うように。
観客たちが各々の感想を叫ぶよりも早く作り物めいた無表情な瞳が蠢き、「だが、」とスフレ司教を睨み付けた。
「貴様に協力するのではない。我が友オズマンの無念を晴らすため、そして――年若い司教からの、祈りへの礼である」
「…………」
「感謝します、
スフレ司教が何事か言うよりも速く、名指しされたネロが頭を下げる。
シンジはほっと胸を撫で下ろした――イカロス氏が頷いた以上、どれだけスフレ司教が憮然としようとも、この場の流れは変わるまい。
となれば。
シンジは脳を回す。後は、いかに流れに乗るかが肝要だ。
「幾つか、お尋ねしたいことがあります。よろしいですか?」
「……そう言えば、君も居たな、魔術師」
淡々と、想いの籠らない声で紡がれた侮辱ともとれる発言に、シンジは怒るべきかどうか、当惑した。
錬金術師と魔術師との間の確執はひどく静かなもので、ごく一部で波風が立とうとも海全体は凪いでいるように、極めて小規模の愚痴が主だったのだが。
当たり前と言えば、当たり前だ。
けして相容れない二者の間には、極めて強い結び付きが存在しているのだ――万人を踊らせ、想像主を嘲り、世界を救う鍵にも滅ぼす魔剣にもなり得る絆が。
その名は、【経済】という。
互いに互いから何かを買い、何かを売り付けている以上、両者の間に完全な断絶はあり得ない。
にも拘らず、だ。今度の発言は、その暗黙の境界に随分と踏み込んだ発言にも思えた。
イカロス氏の表情からは、何の情報も得られなかった。シンジは悩み、そして直ぐ、安直に結論を出した。
無視したのだ。
「……オズマン氏は、町外れの教会で見付かりました。シレーヌ教会です」
「聞いている」
錬金術師の王は頷いた。「君は、シレーヌという言葉の妙に皮肉を感じたことだろう。魔術師にしてみれば、それは【海の魔女】を意味する言葉だ」
「言葉は、使う者によって意味を変えるものです。それは当たり前のことだ」
「退屈な感想だな」
「…………」
「勘違いしないで欲しいのだが。別に非難するつもりはない――ただ単に、巧妙だ、と思っただけなのだから」
「巧妙、ですか?」
「あぁ。争いを避けるもっとも効率的な手段は、他人の意見に対して反論しないことだ。言葉の上でも、或いは本心から、相手を認めないことがないようにすること。それでいて、相手からの影響を避けることだ。彼の言うことは正しいかもしれない、だが、自分には関係ない。君の言葉には、そうした姿勢がにじみ出ているようだ」
シンジは肩をすくめた。
この意見に何と答えようとも、イカロス氏の意見を補強するだけだろう。
代わりに、聞きたいことを聞くことにシンジは決めた。イカロス氏は言いたいことを、言ったのだから。
「かなり遠いところです。オズマン氏の体型からすると、移動は一苦労だったでしょう。にも拘らず彼はそこに行った――その理由に、心当たりは?」
「あそこは【海】の教会だ」
イカロス氏はやれやれと、いかにも失望した、というように首を振る。「そして昨夜は水神の夜だ。見物するのはありきたりな発想だと思うがね」
ネロが、無邪気に首を傾げた。「彼は、そうして出歩くのが趣味だったのですか?」
良いぞ、とシンジはネロに、心の中で歓声を贈った。
シンジのような理屈屋が同じことを言っても、イカロス氏は理屈で逃れただろう。人はどんな行動でも取り得るのだから、彼が昨夜教会見物に行くことだってもちろんあり得る。
しかしネロのように、感情で聞かれると話は違う。彼の行動に貴方は不自然さを感じませんか、そう聞かれてはイカロス氏も、正直に答えるしかない。
わずかに顔をしかめてから、イカロス氏は渋々頷いた。
「……確かに、彼は出不精だった。何しろ常人よりも、少々腰が重かったからな。よほどの用件でなくては外出しないし、するにしても、専用の馬車を仕立てていただろう」
「現場には、馬車のわだちは残されていなかった」
淡々と、スフレ司教は報告した。「彼は歩いてきたようだ」
「であれば、そうだな、彼の外出は不自然だった、と言わざるを得まい」
「彼にそうさせるだけの何かに心当たりは?」
「……無い、と思う」
会見中初めての曖昧な表現だった。
意外さに自覚があるのか、イカロス氏は直ぐにこう続けた。
「と言うよりも、解らないのだ。昨夜は定例の会議があり、オズマンももちろん出席した。我々はいつも四人で、今後の商会の動きについて意見を戦わせていたのだ」
「その時に、なにか異常は?」
「異常は、むしろ私にこそあっただろう。二人に聞いてもらえば解ると思うが、昨夜の私は取り乱していて、会議のことさえ忘れていたほどだ」
「驚いたとも」
細身の老人が、力強く頷いた。「これまでそのようなことはほとんど無かった。我々が着いたときイカロスはまさしく呆然としており、出迎えの言葉もなかったほどだ」
「そんな有り様ゆえ。恥ずかしながら、オズマンの方に何か異常予兆があったとしても、私は気が付けたとは思えんのだ――実に情けない」
「それも当然でしょう。それだけ大切なご友人だったということです、ヒトとして、不自然なことではありませんよ」
「心遣いに感謝する、聖都の司教殿。貴殿は、善き導き手であるのだろうな」
「……オズマン氏との最後は、どのような会話でしたか?」
ネロの評価に対して思うところはあったが、茶化すような場面でもない、シンジは気持ちを切り替えることにした。
しかし予想通り、イカロス氏の返答は芳しくなかった。
「申し訳無いが、魔術師よ。本当に、覚えていないのだ。彼らと会い、いくつかの話をしたことは覚えているが、それが全く形を成そうとしないのだ」
「そうですか……」
悔しさと無念とを噛み締めるイカロス氏の表情を見てしまうと、それ以上、シンジは何も言えなかった。
やはり錬金術師は、魔術師とは違う――彼らはヒトらしさを、非常に色濃く残している。
それは、ヒトとして正しいことだ。そして魔術師は、ヒトであろうとしていないということでもある。
研究者としては、どちらが正しいのか。その答えを求めるような者は、多分魔術師ではない。
だから、シンジは自らの声に苦々しい響きが含まれるのを止められなかった。手がかりなし、という状況は、そうした控え目な不満を抱かせるのに充分だったのだ。
常に比べられるものとしてそれが理解できるからか、錬金術師は心底無念そうに深々とため息を吐いた。
「全く、我ながら情けない。知性と理性の権化たるべき錬金術師として、自失というのは即ち自殺に等しいというのに……オズマンに、塵拾いまでさせてしまった」
「……塵拾い?」
どうにも話の流れにそぐわない単語の登場に、シンジもネロも揃って首を捻る。
錬金術師にありがちな、隠語だろうか。頭上に疑問符を浮かべるシンジに、錬金術師は自嘲するように頬をひきつらせた。
「そのままの意味だ。最後の会議で、彼はあの身体を窮屈そうに屈めて、何やら紙屑を拾い上げていたよ。普段ならば塵ひとつ、私が見逃す筈もないのだが……」
「はあ……」
初めてそうしたような歪な笑顔を浮かべながら語られる何気無い思い出話に、シンジたちは何とも言いづらく、思わず顔を見合わせる。
死者を偲ぶ生者の気持ちは、大切にしたいものではあるが。無関係な自分たちにとっては、踏み入るのも無視するのも無作法な地雷に過ぎなかった。
「……紙屑、だと?」
ただ一人、スフレ司教を除いては。
「司教? 何か……」
「…………それは、これのことか?」
そう言って、スフレ司教は懐から、一枚の紙を取り出した。
一度丸めて、それから丁寧に広げたように、紙にはしわが一面刻まれている。
「いや、どうだろうな……私は、紙屑としか見えなかったからな」
「これは、オズマンが持っていたものだ。現場で拾った」
「では、そうかもしれん。しかし、それがどうしたというのだ」
スフレ司教は答えず、紙を円卓に放った。
ひらりと舞った純白の紙は、机の上に見事着地した。
そこに書かれていた文章は――シンジが見たことのある文面だった。
――『我は神霊、我は悪霊。未だ目を閉ざし、顔を背ける者よ。我が魂の見えざる輝きを見よ。五つの輝きで、お前たちの目を開かせよう。邪魔をするな、震えて夜明けを待つが良い。啓蒙の光は、もう目の前にある』。
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