第16話二日目、昼―4

「……一説によると」

 最早死体と言うよりは、骸骨スケルトンと呼ぶ方が正確な死体を見下ろして、シンジは言う。「人は、土塊から生まれたらしいな」


 だからだろうか。

 人は死後、その尽くが土に還る。


「これは、正しい形だ。もし彼女の死後、適切な処置を経て墓に埋葬されていたらこうなっていただろう、そんな形が、これなんだよ」

灰は灰に、塵は塵にAsh to ash,dust t dust

 ネロが小さく呟く。「万物は、在るべき場所へと還るものです」

「……詰まり、この死体は古いものか。昨日今日で殺された訳ではなく」


 苦虫を噛み潰したようなスフレ司教の言葉に、シンジは小さくため息を吐いた。


「そうなるな、果たして何年前かは、解らないが」

「……なに?」


 思いもよらぬ断言に、シンジは大きく目を見開いた。


 人体がここまで完全に風化するには、環境にも依るだろうが、確かにそのくらいの年月は掛かるかもしれない。

 しかし、スフレ司教が例えば専門的な見地から死体を検分してそう結論付けた、

 彼の断言は、予想や推察といった程度の信用度ではない、もっと当たり前な、既知の事実を読み上げるような無機質な響きだった。


 シンジは、ちらりと白骨死体に目を向けた。

 何か、特定できるような情報を見逃しただろうか。


「死人に口無しだ、魔術師。そう心配せずとも、貴様が何か見過ごした訳ではない」

 スフレ司教はため息を吐いて首を振る。「単に、私には材料が揃っていた、というだけの話だ」


 ゆっくりと骸骨に歩み寄るスフレ司教は、何故だか急に老け込んだように見えた。

 先刻感じた死の予感は幻のように消えて。

 石の祭壇を見下ろすその姿は、年齢相応に朽ちていた。あたかも、死体の瑞々しさが失われたのに連動するように、歴戦の異端審問官は老いたのだ。


 打たれたような衰弱ぶりに、シンジの脳裏に光が閃いた。


 閃かなかったらしいネロが、首を傾げる。「どういう意味でしょうか、スフレ司教?」

「言葉通りの意味だ」

 スフレ司教は律儀に応じた。「私には、彼女が二十年前の存在だと断じる根拠があった」

「既知の相手、というわけかな」

面識はないがね」

 スフレ司教はため息を吐いた。「とにかく、出よう。に聞くべきことは、もう何も無い。戻ろう、生ける者の領域へ」


 それはどこのことだ、という皮肉を、シンジは大人しく呑み込んだ。

 死は常に隣に居る、それを生者が、無理矢理蓋をするだけだ。

 時としてその蓋が外れ、死が起き上がるだけだ――今回のように。








 司教の言う【生ける者の領域】は、遺体安置所から数回角を曲がった先にあった。


 これが生と死の境界か、とシンジは苦笑する。彼の口振りから推し量るよりも、存外、近くにあるものだな。


「私の執務室だ」

 歩く内に落ち着いたのか、スフレ司教の背筋はピンと伸びている。「ここなら、邪魔は入らんだろう」


 ドアはその素材の外見に反して、音もなく滑らかに開いた。

 しっかり手入れがされているようだ、シンジは【マレフィセント】にある魔導書保管室の黒樫のドアを思い起こした。

 果たして立て付けが悪いのか蝶番が古いのか、悪名高き『喧騒門ポルターゲート』は出入りの度に甲高く泣き叫んでいる。


 司書は手入れのやり方を学ぶべきだな、とシンジは思った。まさか、蝶番に祈る訳でもないだろうし。


「……おめでとうございます、教授」

「何がだい?」


 ドアを潜り生者の領域に踏み込んだ瞬間、ネロは振り返り、妙な言葉を言った。

 確か今年の管理者は、【紫煙魔女ディープパープル】メロウ女史だったはずだな、などと考えていたシンジは、ネロのやけに楽しそうな顔を胡乱げに見詰めた。


「記念に、と思いましてね。貴方はたった今、歴史に残る快挙を成し遂げましたよ!」

「……はあ?」

!」

 ネロは、周囲を置き去りにしたテンションで叫ぶ。「貴方がこのカーペットに刻んだ一歩は、かつて他の誰も刻むことの出来なかった一歩なのです!」

「…………すまない、少し考えたが、その、意味が良く解らないんだが」


 ごほん、というわざとらしい咳払いが室内に響いた。

 洒落たデスクに就いたスフレ司教が、少々ムッとしたような、不機嫌な表情でネロを睨んでいた。

 ジェスチャーで、ドアを閉めろ、とシンジに命じつつ、スフレ司教は神経質に机の縁を指で数回叩いた。


「エリクィン司教の思考回路をなぞる、という無謀に挑むのなら、恐らくこういうことだろう――カルヴァトス、君は、

「あぁ、そういう……」


 ふと、シンジはピンと閃いた。


「そうか、それで解った」

「ん?」

「貴方が僕らの芝居を、多少なり見逃した理由ですよ、司教。貴方は、魔術師に入って欲しくなかったのですね?」


 ばつが悪そうに、スフレ司教は顔を背けた。

 可能な限りにおいて最も雄弁な答えと言えた。肯定も否定も、彼は許される立場ではないのだ。


「そしてそれが、例の二十年前に絡んでいるのでは?」

「……鋭いな、魔術師」

「読み合いは得意でね。この町の住人が、少々過激なことも、予想はできているよ」

「であれば、何が起きたかも予想できているだろうな……」


 勿論、とシンジは思った。それに対する、貴方の苦悩もね。

 とはいえ、それを口にするほど無礼にはなれなかった。他人の苦悩を知った風に語るなんて暴挙が許されるのは、道化師か娯楽小説の中の名探偵だけだ。

 或いは――


 スフレ司教は、まだ生きている。

 生きている限り彼の苦悩は彼だけのものだし、荷を軽くするのは魔術師でなく宗教者の仕事だ。


 だから、司教は魔術師に口を開いた。


「二十年前。私がまだ、一担当者に過ぎなかった頃。この町で、祭りの最中に。

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