第19話二日目、昼7

 賢者の石、まあその模造品レプリカだろうが、赤石の飾られたガラスケースの影にひっそりと設置された螺旋階段を昇り、二階へ。

 廊下には、が並べられていた。


 錬金術の実験に用いられる器具が、時代毎に展示されているのである。

 水瓶のような簡素な土器に始まり、三つに分かれた注ぎ口の細工、石器、真鍮の精製器に差し掛かった辺りで、シンジたちは目指す部屋に辿り着いた。


 全体をメッキ加工してあるのだろう、金色のドアを見上げ、その中ほどに彫られた図柄に、ネロが顔をしかめる。


「……悪趣味なドアですね」

「錬金術の説話だよ。王が王子を食べ、出産し直す。万物の父たる硫黄が、石と結合し熟成する過程を意味している」

「趣味の話です、教授。部屋の入り口に息子を丸呑みにする老人の絵を飾るセンスのことを、一般的には悪趣味、と呼ぶのですよ」


 シンジは肩を竦める。

 実のところこのモチーフは、秩序神を含んだ創世七神の神話から抜き出されたものなのだが、それについて言及する必要はないだろう。


 錬金術の基本は、観察と気付きだ。

 難解な示唆が何をモチーフにしているのか、自ら気付かない者には叡知の光はもたらされない。その逆もまた、真なりである。


 そして皮肉にも。

 神もまた、ものである。









 男に案内されたのは、どうやら会議室のようだった。

 深みのある赤いカーペットに、十人は座れそうなほど大きい円卓。テーブルの天板には一回り小さな円形の板が載っており、どうやら、回転させることが可能なようである。


 ここまで沈黙の内にシンジたちを先導してきた男は、纏ったローブの裾を翻しながら部屋を進み、円卓の上座に腰を下ろした――本来円卓に上座も下座もないのだが、平等の中に不平等を見出だすのが、文明の得意技である。


 とはいえ、無理もないとシンジは思った。

 ここは男の居城であり、彼が座するは全て玉座。事実はともかくそう思わせるだけの風格が、男にはあった。


「……イカロス・ワニウム」

 獅子のたてがみのような金髪を軽く撫でると、男は平坦に名乗った。「五光が一、錬金術師である」


 鋭い視線が、シンジたちを順繰りに眺めていく。容赦の無い眼光が何かを見定めたのか、ワニウム氏は軽く頷いた。


「静謐なる神の森に並ぶ、苔むした石像のような風情であるな」

「……妙な取り合わせ、という意味でしょうかね?」

「多分、な」


 ネロの耳打ちに、シンジは小声で応じる。


 錬金術師相手の通訳は、魔術師といっても困難な仕事だ。

 意味深な単語選びから繰り広げられる独創性に満ちた世界は、論文の分析に携わるものをして悪夢と呼ばれる地獄である。何かが隠されているのならともかくも、空の宝箱を無意味な暗号で覆い隠すような言い回しが、錬金術師流の雑談なのだ。


 少なくとも、客の組み合わせに関する感想ではあるだろう。そう当たりをつけシンジは、交渉を担当するべく一歩前に踏み出した。


「ワニウム、さん。先ずはお招きに感謝します。組み合わせの妙に、異を唱えない寛大さにも」

「周到な言霊であるな」

 ワニウムが無表情で頷く。「寛大さを出汁に、

「……弁解の余地がある、面子ではあるかと。とかくヒトは、肩書きに誤解しがちです」

「無用である。……気配りの常ではあるが。少なくとも、

「どういうことですか?」

「……幾度も言ったが、魔術師」

 助け船は、入り口付近で佇むスフレの口から差し出された。「

「司教の訪問を拒む子羊は居らぬ。錬金術師とて、例外にあらず」

「……先に言って欲しかったな」


 相当無意味な警戒を、してしまったことになる。

 魔術師とは違うとはいえ、一応は神秘の担い手。異端審問官を引き連れての登場は、あまりにも物騒だろうと思っていたのだが。


 今回に限っては、逆。

 司教の方が、彼らにとっては慣れ親しんだ相手だったわけだ。


「しかしならば、話は早いな。スフレ司教、早く用件を済ませよう」

「……あぁ」

「……?」


 どういうわけか、老司教は気乗りのしない様子であった。

 疑問が疑惑に変わるよりも早く、スフレは気だるさを振り払う。


「死体が出た、ワニウム」

「あたかも燃える氷のように言うが。あらゆる命はやがて消え、重荷を残すものだ、司教。不審にはあたわず」

「っ!?」


 がたん、という音は、あまりにも意外だった。

 それよりも予想外だったのは――


 


 青白い肌の中で、感情のこもった目玉がぎょろりと蠢いた。

 変貌を、スフレ司教は粛々と受容した。


「祭りの神輿から首が見付かった。昨夜は、ミセス・クォーツの遺体だ」

「……それで、ここに来たのか?」

「当時の話を、聞きたくてな」

「良い度胸だな」


 

 錬金術師らしい妙な単語だ――しかし、錬金術師らしくない、単純な言葉でもある。


 彼らの過去に、何かがあったのか。錬金術師をして、直接的な怒りを覚えるほどの、何かが。


 シンジと、そしてネロの疑惑に気付いたのか、ワニウム氏は軽く瞬きをする。

 それで意識を切り替えたのか、ワニウム氏は何事もなかったかのように椅子を引き起こすと、殊更ゆっくりと腰を下ろした。


 一呼吸の後に、ワニウム氏の眼からはすべての感情が消え失せていた。


「……話すことは、無い。言葉には鮮度がある、損なわれたら、客には振る舞えぬ」

「……そうか」


 潮時、という言葉が、全員の脳裏に浮かんでいた。


 過去に何があったにせよ、そしてそれがどれ程重要なことであったとしても、聞き出すためにはもう少し時間を置く必要がありそうだ。

 ワニウム氏の硝子の瞳は、質問を拒むように輝いている。引き下がるしか無いだろう、少なくとも、今のところは。


「邪魔をした、ワニウム。しかし、どうかまた協力を」

「……神の御心のままに」


 是非の解らないワニウム氏の答えを信じるしか、手は無かった。

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