第18話二日目、昼―6
リシュノワールの町を誰かに説明するとき、もし絵や図を使わないとするなら、シンジが選択する単語は『足跡』だ。
獣、例えば狐の足跡。
大きめの円。その上部にやや小振りな円を三つ、下には一つ付け加えて出来上がる、あの形を伝えるだろう。
それぞれの円には、名前が付いている。
一番下の円は、リシュノワール港。干拓の歴史を考えれば、新リシュノワール港と呼ばれるべきかもしれないが、町の住人たちは単純さを良しとしたようだ。
北東の一つは、アレキサンドライト教会。大規模な聖堂と、人知れぬ地下を持つ異端審問官の一大拠点。
北の一つは、ミド=レイライン大学。過去の海岸線の名残、大時計塔を有する、神秘学の最高峰。
そして、もう一つ。北西に位置する最後の円が、スフレ司教が示した目的地である。
「……不思議な気分だ」
「奇遇ですね、私もですよ、教授」
純白の塀と、その間、アーチ型の門の前に立ち、シンジとネロは揃ってため息を吐いた。
奇妙な――精一杯気を使った表現をするのなら、だが――奇妙な取り合わせが、奇妙な場所に立っている。
教会の領域を侵しかけている魔術師と、信仰の守護者たる異端審問官。奇妙どころか、全く両極端とさえ言える組み合わせ。
そして、そこに今日は――もう一人。
「埋葬を担当したのは、ここで間違いないのですか? スフレ司教?」
「あぁ」
簡単に頷いたもう一人の異端審問官、スフレ司教。
神の使徒二人に挟まれたシンジの気分は、ただ最悪だった。そして門を見上げる度、最悪はより最悪へと更新されていく。
その名前を、シンジは何度も耳にしたことがあった。
聖王国内に流通する魔学工芸品を、ほぼ百パーセント独占しており、一方魔術師用の実験器具や素材を販売する、ヒトと魔術師とを金銭で繋ぐ組織。
神秘を切り売りし、神秘に肩を貸す。黄昏を舞う蝙蝠のようなその姿勢の善悪はともかくも、経済における広い影響力から一大勢力となった錬金術師の組織。
「ルミアレス商会。神に見放された者の埋葬場所としては、これ以上は無いだろう?」
事も無げに口にされたその名が切っ掛けとなったかのように。
深く重い地響きと共に、非日常が口を開けた。
「さて、何が出るかな」
教会の、神の教えに殺された人物を葬るには、確かに最適な選択だっただろう。
だが今、こうして異端審問官と並んで探索に向かうにしては、どうだろうか。錬金術師たちの下に飛び込むのが、最適な選択の結果だとしたら、少々皮肉な結果と言わざるを得ない。
あとは、祈るだけだ――幸い、祈り手には事欠かない。
「……行きましょうか、教授」
「……あぁ」
息を整え、覚悟を決めて。錬金術師の穴蔵に、シンジは足を踏み入れた。
入って直ぐ、シンジたちは錬金術史上最高の発明に出迎えられた。
大人の上半身ほどもある、巨大な深紅の宝石だ。円筒形のガラスケースに浮かぶそれは、適切なカッティングも為されていない、歪な原石である。
「見事な宝石ですね。磨き上げたなら、結構な価値が出るのでは?」
「残念だが、見当違いだな、ネロ」
そして呑気すぎる反応だ。
錬金術師の関係で赤い石があったときに、それが単なる宝石な訳がない。
あれは――【賢者の石】という。
「賢者の石、即ち
「人工、魔石?」
「……まさか、今のでピンとこないとは……異端審問官の教育ってどうなってるんだ?」
「遺憾ながら、エリクィン司教は、恐らくド級だ」
首を傾げたネロを、シンジとスフレ司教は可哀想なものを見る目で見詰めた。
もし教え子が同じような反応をしたら、シンジは怒るより空しくなるだろう。僅かばかり持っていた自分自身の教育能力に対する自信を砕かれ、自殺さえ考えるほどである。
選択肢として自殺を禁じられた秩序神教徒のスフレが、どれほど苦悩するか、他人事ながら同情する。
「……魔石について、君はそれなりには知っているか?」
「えぇ、勿論です。様々な魔力のこもった宝石ですよね?」
「正確には鉱石だし、より正確に言えば、極めて貴重な鉱石だよ」
「それを宝石と呼ぶのでは?」
確かに、とシンジは認めた。
「宝石と呼ばれる条件は、美しさ、硬度、そて稀少性だ。そういう意味では確かに、魔石と宝石とは近似の関係にある。魔石を意味するジェムという言葉も、昔は宝石の意味で使われていたようだしね。しかし、魔石は鉱物ではない」
「……? しかし先程、魔石は鉱石だ、と教授は仰いませんでしたか?」
「鉱石は鉱物の一種、というか、鉱石の一部が鉱物と呼ばれるんだが……まぁ、細かいことはこの際省くが、詰まり鉱石の不純物を取り除いた物が、鉱物と言われるんだ。その中でも先の条件を満たしたものを、我々は宝石と呼ぶ」
「魔石には、不純物が含まれているのですか?」
「あぁ、とびっきりのがね」
そしてどちらかと言うのなら、不純物こそが魔石の真骨頂だ。
「魔石に含まれているのは――【
「魔術師が操るという、あの?」
「そうだ。火の魔石には火の元素、水の魔石には水の元素が、それぞれ多量に含まれている。その種類によって、石に自体に色が着くほどにね」
魔石が宝石と違う理由の一つは、これだ。
魔石の鮮やかな色は、元素が放つ属性が視覚的に再現されているに過ぎない。元素を使いきった魔石を見れば一目瞭然だが、魔石それ自体は宝石のように解りやすい美しさを持ってはいないのだ。
「その元素を燃料にしたものが、魔石工芸品だな」
スフレ司教があとを引き取る。「仕組みに詳しくはないが、魔術師の魔術を汎用化したものと聞いているが」
「まあ、それなりの性能はあるだろうね。ストーブとか、ライトとか」
「それは、私も知っていますが……」
「そこまで知っていて、何故ピンとこないんだ? 良いか、ネロ。魔石工芸品は魔石に含まれている元素を動力源としている。そして、元素は使えば無くなる。止めに、魔石は稀少品だ。それが人工的に確保できるとしたら、どうだ?」
あ、と間の抜けた声を出したネロに、シンジはため息を吐いた。
「……魔石科も頭を悩ましているが、魔石はあくまでも自然の産物で、宝石と比べられるほど稀少性がある。やがて、そう遠くない未来には、枯渇してしまうだろう。賢者の石は、それに対する切り札となる、筈だった」
「筈だった?」
ネロは改めて、赤い石を見上げた。「……失敗したのですか?」
「成功しなくなった、という方が正しいだろうね。諸々の資料にも、或いは遺品として賢者の石は伝わっているが、その製作方法はある日を境に消えた」
神秘の最高峰にして錬金術の秘奥は、その他の神秘と同じ運命をたどった。神の真似事は、神によって粛清されたのだ。
【聖伐】、数多の神話生物を道連れに、かつての【可能】は【不可能】と化した。
「現代のエネルギー問題を解決する、素晴らしい発明だったのだけどね。神様のお眼鏡には敵わなかったようだ」
「……流石、博識ですな」
「っ!?」
声に。
その場の全員が、一斉に驚かされた。
そんな単純な響きであることが、ひどく残念だとシンジは思った。衝撃を表すには、ヒトの言葉は貧弱に過ぎる。
それでも言葉を尽くすのなら、そう、全員が、という部分だ。
魔力の感知に長けた魔術師と、気配の探知に長けた異端審問官二人の意表を突いたのだ。その有り得なさを他人に実感してもらうとしたら、シンジの語彙力では力不足を認めざるを得なかった。
そんな、不可能を体現して見せながら。
イカロス・ワニウムが、舞台に登場した。
「……驚きましたね」
現れた男を油断なく見詰めながら、ネロは唇を歪めた。「気にしていた
「気配、というやつかね? それとも、君も魔力を感知するのかな?」
君も、か。
先程の『流石』という単語選びからも、予見していたが。
「……僕のことを、知っているのですか?」
「向日葵が太陽を知るが如く、な」
「…………」
ただ一言しか、会話をしていないのだが。
何だろう、このめんどくさそうな感じは。
「狼は己が狼であることを自ずから知る、河馬の驚異も同一である」
あぁ、解った。
こいつは、
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