第40話三日目、夜ー4
ウルカ・トゥシウムの遺体は、彼女の部屋にあったらしい。その部屋は錬金術師たちの宿舎の四階、詰まり最上階の一室にあった。
彼らにとって上層が下層より上等という認識があるのかどうかは解らないが、その階に部屋は四つしかないことを考えると、恐らく選ばれたメンバーしか使えないと思って良いだろう。
「四部屋ということは……四人の幹部向けの部屋というわけですか?」
「いや。我々向けの階層ではあるが、オズマンは自室を持っていたから使っていなかったよ。だから最近は、一部屋は常に空いていた。ウルカは……ここだ」
エングレオ氏は黄色の宝石があしらわれたドアを示した。
他のドアにもそれぞれ赤、緑、青の宝石が輝いている。象徴するのはそれぞれ火、風、水、それに土だろう。
「錬金術師は、色彩が様々ですね」
「魔術師のセンスについて、なにか文句でもあるのか」
「先ず緑一色のローブは止めた方が良いかと思いますが?」
「それはごく一部の習慣だ、ネロ。僕なんか……」
「茶色以外のジャケットはいくつお持ちなんです? ネクタイは?」
「…………」
それを言ったら君なんて黒一色じゃないか。
そう言うと、どうせ答えは信仰上の理由と決まっているから言わないが。
それより、実務だ。
「……入り口は、この階段だけ?」
「あぁ」
四つのドアに囲まれた中央には、ついさっきシンジたちが上ってきた螺旋階段がある。
侵入口は一ヶ所だけ、それも、商館の地下を通ってでないと通れない階段だ。
「守りやすいな、ここは」
「その分不意打ちには、弱いようですが」
「だが、もう不意は打たれた。次は起こらないさ」
「次を起こさせないのが、我々の仕事なんですがね」
「それは、この先で何を見付けられるかによるだろうね。……その前に、どこか部屋はないかな」
シンジはわざとらしく荷物を背負い直した。
彼女を連れて、死体の前には出たくない。
「それならば、ルカリオはここに寝かせよう。今後この階は閉鎖するし、安全なはずだ」
「空室があるのですか? その、何方かの部屋だと、本人に化けられた場合に困るのでは?」
「そこの赤い部屋は空室である故、構わんだろうさ。唯一の住人は、やがて山となる素朴な欠片たちに過ぎん」
「……?」
「……掃除はしてない、っていうことだろう、多分」
『ゴミも集まれば山になる』、クードロン諸島で確か、そんな言葉を聞いたことがある気がする。
魔法市の路地裏の、不親切なほど解りにくい道筋のような錬金術師の言葉が何となくでも翻訳できていることに、シンジは危機感を覚えながら、ドアを眺める。
複雑にカットされた、赤い宝石。
ドアを飾る宝石になにか――既視感。赤、赤、赤……。
「あ……」
ルカリオの十字架だ。
彼女の見せてくれた秩序十字架に、確か同じような宝石が付いていたような気がする。
彼女の十字架は、他の多くの十字架と同じく父親から受け継いだものだろう。
そう言えば、ウルカ氏が持っていた十字架の宝石は、確か黄色だった筈。
もしドアの宝石の色が彼らの十字架とリンクしているのなら、この赤い部屋はもしかして、ルカリオの父親の部屋だったのではないか?
「……どうかしたかね、魔術師殿?」
「あ……」
思わず黙って考え込んだシンジに、エングレオ氏が尋ねてくる。
ちょうど良い、疑問をぶつけようとシンジは口を開きかけて――エングレオ氏の目を観た。
その焦げ茶色の瞳に浮かぶ、強い猜疑の絵画。
事件のあらすじを考えれば無理もないことだ、自在に姿を変えられる怪人が犯人だとすれば、その目に映るありとあらゆる全ての者が怪しく見えたとしても。
だから問題は、その絵の具だ。
エングレオ氏の瞳に描き出された絵画に使われていたのは――強い怯えの色。
見覚えのある色合いだ、試験の朝、呪文を書き殴った
見られたくない、知られたくない、そんな意味の感情だ。
彼は、シンジに知られたくないらしい。何かを。だが、何を?
怯えるということは、詰まり、シンジがその情報を知り得る立場にあるということだ。
「…………いや。早く彼女を休ませてやりたいと思っただけですよ、長い一日だったから」
結局。
シンジはその思い付きに口をつぐんだ。
誰が敵で誰が味方か、それ以前に、味方さえも信用できるわけではないのだから。
「僕は、ルカリオを置いてくる。死体の検分は頼むよ、ネロ」
「……解りました、教授」
唯一信頼のおけるネロにそう言って、シンジは赤の扉を開けた。その背中に注がれる、疑いの視線を感じたまま。
「へぇ……」
ドアの向こうは、商会最高幹部の錬金術師が使うにしては、思ったよりも質素で平凡な部屋だった。
開けた瞬間泡立つフラスコに出迎えられることも、床に足の踏み場もないほど書物が散らばっているわけでもない。魔術的な素材も、作りかけの魔法道具さえも置かれていなかった。
掃除をしているということだし、まあ散らかっているということも無いとは思っていたが、これだけ清潔になっているとは驚きだ。
「……僕の部屋の、三倍は綺麗だな」
とにかく、先ずはベッドだ。
入って直ぐ右手のドアを開けると、予想通りそこはベッドルームだった。
結構な広さがあるベッドルームには、部屋を埋め尽くすような大きさのベッドがある。ダブルサイズだろうか、シンジが三人くらいは横に並べそうだ。
「ベッドしか、無いな……」
クローゼットさえ、部屋にはない。何しろベッドルームなのだから、ベッド以外には必要がない、というわけだろうか。
極端な考え方だ、この部屋を作った人物は、寝巻きや着替えはどこに置くつもりだったのだろうか。
まあ、今はベッドさえあれば良い。
今夜ずいぶん長い間背負っていた少女を、シンジはそっとベッドに横たえる。ふわり、と舞い上がった甘い香りを柔らかい毛布で包むと、ようやく一つ息を吐いた。
重かった、という感想は、ルカリオには聞かせない方が良いだろう。
安らかな寝息を立てるルカリオを残し、ごりごりと首の関節をほぐしつつ、シンジはベッドルームを出た。
ばたん、と音を立ててドアが閉まり。
「…………」
むくりと、ルカリオが身体を起こした。
ベッドルームを出て、シンジは部屋の出口ではなくリビングへと向かった。
誰が訪れても平気なほど神経質に片付けられた部屋はそれでも、錬金術師の部屋らしい雰囲気があった。
一方の壁際にはシンジの背丈より高い棚に、本がぎっしりと詰まっているし、もう一方には実験器具が収まった棚がある。
カーテンの引かれた窓の前にはやや広く大きい書き物机が置かれていて、整理された筆記具が卓上の半分ほどを占めていた。
全く『らしい』部屋だ、研究生活には困らないが、生活感が全く無い。
「いや……無いのは、個性か」
ガラス棚の向こう、並べられた三角フラスコや試験管は綺麗に磨かれていて、まるで新品のようだ。
本棚の書物、その背表紙をざっと眺めてみても、並んでいるのはごくごく一般的な資料だけ。講演のためにシンジが個人的に集めた錬金術の資料の方が、ここより深く貴重な品が揃っているだろう。
魔術師も錬金術師も、何かを研究している者の部屋というのは個性的になるものだ。
書物はもちろん専門化するし、器具だって、研究者が使いやすいような形にカスタマイズされる。例えばペンの一本を見ても、同じものを使っている魔術師は一人もいるまい。
どんなに未熟な魔術師であったとしても、部屋にはその匂いが染み付くものなのである。
この部屋には、不自然なほどにそれがない。
ルカリオの父親が死んだのが二十年前だとして、確かにそれだけの年月が過ぎれば住人の匂いは消えてしまうのかもしれないが。
その場合、それ以降誰もこの部屋を使っていないということになる。
二十年間、これだけの部屋を、誰も使わないということがあり得るだろうか。
「いや、或いは……使わせなかったのか……?」
部屋が無人のまま、二十年を過ごす理由。
過剰なまでに整理整頓がされ、徹底的に消された部屋の個性。
「……何かあるのか、この部屋に」
調べてみる必要が、あるかもしれない。
シンジは周囲を気にしながら銀製の懐中時計を取り出して、探査魔術のため鎖に魔力を流し始めた。
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