第41話三日目、夜ー5

 黄色は神聖な色だと、ネロ・エリクィンは感じている。全ての秩序神教徒にとってもそうであるだろうし、全てのにとってもそうであるべきだと思っている。


 秩序神アズライトは黄色い太陽を象徴としている。

 赤い太陽は恵みを与えるが、同時に力強く在りすぎる。黄色い日は春、昼下がりの微睡みのように優しく微笑む。しかし同時に、いつでも赤い火へと転じるものでもある。

 神の恵みは、得てしてそういうものだ。ヒトにとっては有り難いが、時として深すぎる。


 果たして黄色い宝石は、何の象徴なのだろうか。

 教授に聞けば、きっと喜んで教えてくれるだろう。だがそれは、今の状況と直接関係のある答えではない。


 ネロにとってこの黄色いドアは、単なる不吉の予兆でしかない――いや、予兆ではないか。


 錬金術師ウルカ・トゥシウム。

 紅茶とクッキーを愛した気品溢れる錬金術師の死体がこの先で、神の下へ送られるのを待っているのだから。









 穏やかな日差しを思わせる黄色いドアの向こうは、草原と同じように穏やかな部屋だった。草と太陽の代わりに、紅茶の香りが鼻孔をくすぐるような。


「…………もっと、薬臭いかと思っていましたが」

「偏見であると言えないところが辛いところではあるが、これはウルカの部屋だからである」

 左頬をひきつらせ、イカロスは苦笑した。「彼女の人生の半分は、紅茶と共にあった」


 絨毯を踏みしめる度に、紅茶の香りが沸き上がる。

 動き、風が起きる度に、本の隙間から香りが進み出る。

 部屋中のあらゆるものに、茶葉の香りが染み付いているようだった。彼女の人生が何十年だったかは知らないが、半分では足りないのではないかとネロは思った。


「彼女の『お茶会』は有名だった」

 スフレ司教もまた、穏やかな調子だった。「熟練者も学生も関係無く呼び出され、を強いられた」

「研究の情報交換の場であったのだが、何分、彼女は薬草を加工し霊薬を生み出そうとしていたのでな。手ずから淹れる紅茶に、或いはハーブクッキーに、良い印象は持てなかっただろうな」

「儂も、学生から言われたものだ――物騒な話題無しで、お茶を飲みたいとね」


 だとすると。

 学生たちの夢はもう永遠に叶わないことになる――研究も商会の運営も関係無い、ただ穏やかに茶葉の味を楽しむ機会は、永遠に失われた。


 ……部屋の最奥、部屋の大きさに比してずいぶんと大きな窓の前。

 天秤などの器具と、カップ、ティーポットなどが一緒に並んだ机に突っ伏すように。

 ウルカ・トゥシウムの遺体が、ネロたちを出迎えている。


「主の光、天使たちよ急げ。この者の魂を、全ての魂の主人の下へと運べ」


 思ったよりも綺麗な状態だ、ネロは無神経な感想を呑み込んで、代わりに聖句を唱えながら十字を切る。

 スフレ司教も、二人の錬金術師もネロに続いた。各々のロザリオを片手に為された鎮魂の祈りは、本職の司教と並んでも違和感がない程に手際が良かった。

 流石は奇跡の町、というわけだ。作法だけで信心深さを計ることは出来ないだろうが、信心深さを予想させる手際である。


 さて、とネロは遺体に歩み寄る。次はこちらのを見るとしよう。


 遺体に近付くと、紅茶の香りは更に強くなった。

 出血が少ないのだ――彼女の血にまで香りが残っているのなら別だが、そうでない以上は、血の臭いに普通は負ける筈だ。そうならないのは、詰まりそういうことだ。


「……背後から、一突き。目立った外傷はありませんね」


 全身をざっと眺めて、ネロは頷く。

 羽織ったガウンにも、床を埋める黄色い絨毯にも、血痕は見当たらない。背中の一ヶ所に、刺し傷を縁取る赤い水溜まりがあるくらいだ。


 両手を伸ばして机に頭を付けた姿勢も相まって、服を着せ変えたら、眠っているようにしか見えない。


「動かせるかね?」

「……えぇ、可能でしょう。しかし……」

「出来ることなら、運び出すのは遠慮してほしいものだが」

 エングレオはぎらり、と眼光を尖らせる。「貴様のところが、安全な保証が無い以上はな」

「何だと」

「……で、では、ここで最低限の検死を行いましょうか」

「教授を呼ばなくて良いのかね? 彼の新発見した魔術は、こういう場面において輝くと思うが」

「魔術的な側面はそうでしょうが……」

「物質的な捜査は、我々の方が専門家だ。例えば……」

 スフレ司教は机を一瞥し、鼻を鳴らす。「

「詰まり、作られた平穏ということです」


 イカロスが首を傾げると、スフレ司教はもう一度鼻を鳴らした。

 ネロは、スフレ司教が余計な口を聞く前にと口を開いた。


「ご遺体の腕、位置関係から見て、被害者は座っている間に背後から刺されたと思われます。そのまま、こうして勢い良く机に倒れ込んだ」


 にもかかわらず、机の上には天秤などの実験器具やティーポット、カップが整然と並んでいる。


「ぶつかった様子も、ずれた様子さえ見当たらない。あり得ないことです」

「犯人が並べ直したということだろう。わざわざ、な」

「何故、そのようなことを?」

「ずれたことを、知られたくなかったということでしょう。もしかすると、犯人は何かを探していて、それを悟らせたくないとか……」


 突如入り口から聞こえてきた声に、ばっと全員が振り返った。

 多くの者が驚きをもって、そして――ネロだけは、微かな苦笑をもって。

 紅茶の香りを蹴散らすように、無音の足音を響かせながら、ある意味で町で最も異端なる者が、必要に応じて現れたのだ。


「……タイミング良すぎませんかね、教授?」

「何の話だ?」


 首を捻りながら、シンジ・カルヴァトスが現場に到着した。邪なる者の残した神秘を、打ち消すために。

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