第49話四日目、朝ー2

 暫くして、ドアが開いた。


 エングレオ・トリミウム。

 商会のトップファイブの一角であり、同時に、ミド・レイライン大学の理事長でもある。

 勤勉で、熱心な教育者の多くがそうするように、彼の家は大学内部にあった。学生寮の最上階、四階に幾つかある内の一室が、頂点から五番以内に属する錬金術師の自室と聞いて、シンジは僅かに驚いていた――それほどの地位ならば、ワンフロアー丸ごと自室にしていてもおかしくない。


 負けず劣らず驚いたような声が、エングレオの喉から漏れた。


「……早いな、魔術師殿」

「いずれ来るとは、思っていたようですね」

「そうだな」


 細長い身体を乗り出して、エングレオはシンジの背後を覗き見る。

 日の出間もない早朝の廊下、落ち着いた色合いのカーペットの他に見当たる者がいないと知ると、彼の瞳に更なる驚きが浮かんだ。


「……?」

「えぇ」

「この状況で、それがどういう意味を示すか解らない君ではあるまい?」

「……えぇ」


 犯人は、他人への変身能力を有している。

 錬金術か、魔術か、或いは未知の魔法薬か。根拠は解らないものの、その性能は既に痛いほど解っている。

 犯人が単独であるということも、含めて。

 今犯人がどこに潜んでいるのか――もしかしたらかもしれないが――解らない以上は、複数人での行動が欠かせない。

 それを理解して尚、シンジは一人でここに来た。今個人で行動しているものの信用度など、陸に上がった船乗りと同じくらいのものだ。


 一先ず、ドアが空いたことに感謝をするべきだろう。問題は、彼が話を聞いてくれるかどうかだ。

 エングレオは油断なく身構えながら、探るようにシンジを眺める。


「ルカリオは、どうしている?」

「寝ています。昨夜、遅くまで起きていたので」

 エングレオの眉が軽く上がった。「それは、誤解を招く表現だな」

「すみません」

 自分の教え子が無理させられたと思ったのだろうと、シンジは頭を下げた。「しかし、有意義な発見があったのです。彼女の機転と機知は、とても助けになりました」

「…………そうか」


 何故だか難しい顔をしたエングレオに、シンジは首を傾げる。

 妙なことを言ってしまっただろうか。


「いや。その辺りの鈍さは、魔術師殿らしいと思っただけだ」

「……はあ」

「とにかく、ルカリオは無事なのだな? 一人ではないだろうな?」

「勿論、ネロは残っています。彼の信仰を欺ける者は、この町には居ないでしょう」

「結果、君が一人か」

「後進の安全を確保するのは、教師として当然のことです」

「君も教師だったな、そういえば」


 何かの試験に、シンジは合格したらしい。

 やっとエングレオは身体をずらし、シンジに中へ入るように促した。


「狭い部屋だが、くつろいでくれ」


 謙遜するようなエングレオの言葉は、その実全く正確な表現だった。

 室内は一般的な集合住宅アパルトメントに似て、玄関のドアをくぐると一本の廊下、左右と正面にドアが一つずつ。その内正面の方のドアは開け放たれ、窓が見えている。


 さして長くない廊下と同じくらいの奥行きしかないその部屋には、質素な家具と幾つかの本棚しかない。


「落ち着いた雰囲気ですね」

「もっとはっきり言ってくれて構わんよ、地味だとね」

「どちらかというと、僕もこのような部屋が好みです。手の届くところに全てがあるのが理想ですから」


 何しろ自室なんて、論文を読むか寝るかしかすることの無い空間だ。

 研究は研究室で行うし、食事は食堂がある。自室に興味のある本を厳選して二十冊用意すれば、残りは図書室に行けば事足りるのだ。わざわざ自分だけの空間に本棚を誂える必要なんて、何一つ無い。


 とはいえ、それが自分だけの感覚であることを、シンジは正しく理解していた。

 魔術師だからといって誰もがそうした閉鎖的な空間を好むわけではないし、好む者がいたとしても、その理由が同じであることは滅多に無い。

 予想通り、エングレオはシンジの言葉を下手な冗談と受け取ったようだった。「適当に座ってくれ」示された先には、本人のための椅子とは別に、ソファが一脚ある。

 来客のための家具だ、シンジの部屋には存在しない。用意しようとも、思ったことはない。


「教員寮に居るとは聞いていましたが、一般的な教員用の部屋と同じとは思いませんでした」

「研究室は商会にあるし、大学運営のための執務はそれ専用の部屋があるからな。大袈裟な部屋は必要ない」

「ごもっともです」


 優秀な錬金術師なのだろう、合理的な判断だ。

 そして教師としての彼もまた優秀らしい。部屋の壁一面には、様々な記念メダルが飾られているが、その名目は全てが、彼の教え子たちの活躍を評するためのものだった。


 生徒の優秀さが、教師の価値を示す。

 それが全てではないが、少なくとも真理の一面ではある――エングレオ・トリミウムの教え子は、教師のために全力を尽くすことを嫌悪することはなかったわけだ。

 全力の尽くし方には、人それぞれある。これほど解りやすい成果を伴う教え子に、彼は恵まれた。


 もしもエングレオ・トリミウムの死がもたらされた場合、嘆く声は多いだろう。それを思えば、こんな質素な部屋に身を置くのは不用心にも思える。

 それを問い詰めても無駄だろうとは、シンジも解っている。歴戦の錬金術師が何も備えていないわけがないし、それを他人に教えるわけもまた、無いだろう。


「僕が来ると思った理由は?」

「ルカリオ・ファビウムのロザリオを見たんだろう?」

「そうです」


 シンジは慎重に頷いた。

 錬金術師たちは何かを隠している。自分たちがどこまで知ったかを教えることは、相手によっては危険だ。

 理想を言えば、こちらが何を掴んだか知らせず情報を手に入れたい。


 エングレオ氏は、構わず踏み込んできた。


「あれに込められた暗号は、見たかね?」

「……えぇ」

 シンジは頷く。「貴方の十字架にも、暗号があるんですか?」

「交渉ごとには向いていないな。その口ぶりでは、暗号を読み、解いたと言っているようなものだ」


 手近な壁に魔術弾を滅茶苦茶に撃ち込みたい衝動を、シンジは懸命に押さえ込んだ。

 腹芸が苦手とは思っていたが、まさか、錬金術師にまで言われるとは。


 エングレオは笑いもせず、難しそうな顔で自分の書き物机に座る。


「何が解った?」

「アルビレオ・ファビウムが何を残したか、貴方はご存じの筈だ」

「……予想以上に君は、我々の秘密に近付いているようだ」

「その我々とは、五人のことですか? それとも……」

「こういう場合、君が先に手札を晒すべきだぞ魔術師。それが、謎を解く者の礼儀というものだ」

 どこか面白がるように、エングレオは笑う。「言ってくれ、魔術師よ。君は一体、どんな秘密を見付け出したのだ?」

「…………」


 シンジは小さく息を吸い、そして吐き出した。それからもう一度肺に空気を満たしたときには、決意が満ちていた。


「ファビウムからファビウムに伝えられたのは、


 ルカリオが解読した文章を思い出しながら、シンジは口を開いた。


「錬金術師の辿るべき道順と、アルビレオ・ファビウムは述べています。良く学び、良く調べ、そして良く見ること、と」

「基礎的な教えではあるな。今さら敢えて、殊更に伝えるような内容ではあるまい」


 枯れ木のような痩せぎすの錬金術師が、愚者を演じていることにシンジは当然気が付いている。

 思考の切っ掛けを与え、論理の展開を促すためにそうしているのだろう――試される学生の気分を、シンジは久し振りに味わっていた。


「道に大切なのは、歩き方とそして、その道がどこに続いているかです。目的地がどこであるかによって、地図の価値は変わる」

「犯人はこの価値に、人命以上の額を付けたようだな」

「不思議ではないと、貴方は思いますか?」

「私は秩序神教徒だ。他人の命を奪ってまで得られる黄金はないと、信じている」

「この場合、重要なのは何を得られるか、ではないでしょう」


 エングレオの視線が、鋭さを増した。

 受けて立つと、シンジも睨み返した。


「犯人はこの秘密に、人命以上の価値を認めています。そして貴方たちは、秘密を守るためなら人命を支払うことも辞さない覚悟を持っているようですね」

「…………」

「先程の質問に、答えましょう。僕は――この秘密は、守られるべきだと思います。

 ルカリオ・ファビウムの十字架が、僕らに示したもの、それは、道順の目的地。つまり……【啓蒙の光ルミアレス】の、正体です」

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