第53話四日目、昼

 失意のままエングレオの自室を辞したシンジの足は、ふと気が付くと教会の方へと向いていた。

 恐らくは無意識の内に、スフレ司教にエングレオ氏の警護を依頼する算段を立てていたのだろうと、シンジは思い込むことにした。落ち込んだときについ教会に向かっていたのだと思うよりは、幾分か魔術師らしいからだ。


 大学と教会の距離は、その政治的立場に比べれば近い。昼時を告げる鐘が鳴る頃にはもう、シンジはアレキサンドライト教会の前にまで辿り着いていた。

 あとは、裏手に回れば良いだけだが。

 豪奢な正門の前で、シンジは顔をしかめた。どうやって裏に回るのだったか、思い出せなかったのだ。


「……む、カルヴァトス教授か」

「スフレ司教」


 渡りに船、ともいうべきタイミングの良さで、スフレ司教が姿を現した。神の導きではないとしたら詐欺師の才能があると思うくらいに、良いタイミングだった。


 彼は平時の動きやすそうな服装ではなく、裾の長い、純白の儀礼服に身を包んでいた。

 権威をヒトに感じさせるための服装だ。どう見ても不自然な、老人の顔よりも大きな白い帽子にも、異端審問官の証でもある深紅のストラにさえ、金の刺繍で何かしらの記号が描かれている。纏う純白のローブは言うまでもない。


 シンジの視線に、司教は肩をすくめた。「昼の式典があってな。ヒトの信仰を受け止めるには、器もそれなりの荘厳さが求められるものなのだ」


 揶揄するような口振りと表情から苦悩を感じ、シンジは思わず辺りを見回した。誰かに聞かれたら、問題視されるに違いない。

 誰かの信仰が疑われた時に、傍に居たくはない。


 幸いにも自分達の他に人気はなかった。神のご加護か、単純にスフレ司教が用心深いというだけかもしれない。

 シンジは安堵の息を溢しつつ、司教に事態を説明しようと口を開いたが――スフレはそれをそっと遮った。


「式典はもうすぐ終わる。間も無くここは敬虔な信徒たちでごった返すことになるだろう。話を落ち着いてしたいのならば、付いてきなさい」

「……解りました」


 よろしい、と言うように頷くと、スフレは敷地の中へと歩いていく。その先にあるものを思うと、知らず知らずシンジの口からはため息が漏れていた。


 異端審問官に導かれて教会へ入る魔術師はそう居まい――しかも、シンジはこれが二回目だった。









 予想に反して、シンジたちはアレキサンドライト教会に向かっているようだった。

 間近に迫った、この地方独特な建材である貝漆喰の白い建物を見上げながら、シンジは首を傾げた。


「式典が行われているのではないんですか?」

「人々が祈るのは大聖堂だよ、そら、あっちの方に見えるだろう?」


 スフレの指し示した先には、同じく純白の、しかし目の前のものより遥かに豪華な建物が見えた。

 シンジはため息を吐いた。目の前の建物さえ、一般的な民家より遥かに大きいが、遠近を考慮すると、大聖堂とやらは更にでかい。

 視線を戻せば、先程より幾分か質素に見えてきた建物がある。清貧こそ信仰の友だというのは、いささか時代遅れの考えらしい。


「なぜ十字架があれほど輝いていると思う? その方がヒトの目を集めるからさ」

「であれば、ご神体は金で作るべきでしょうね」

「似たような考えを、かつての司教たちは思ったようだな」

 スフレは苦笑した。「大聖堂にある十字架は、大聖虹石から切り出したものだ。恐らくだが、ある程度の中流階級の家族ならば、一生養える程度の価値はあるだろうな」

「何故、そのようなものを?」

「宝石は光によって輝く。そして我々秩序神教会アズライトワークスが信仰する神は、光を主に象徴するのだ」

「光を解りやすく示すものが、貴金属というわけですか」

「宗教は金が掛かるのだよ、魔術師。誰もが誤解しているが、無償で出来るのはだ、宗教ではない」


 ならば節約すれば良いのに、とは流石に言わなかった。

 昔話にもある――誰からも愛され、賢者として評判の良かった名士が食事に招かれたとき、薄汚れた服装で出向いた彼は追い出されてしまったという。着替えて着飾った後は、彼は問題なく御馳走にありつけたのだ。

 見た目は重要だ。食事には食事の、そして信仰を集めるにはそれ相応の着飾りが必要となる。


「とはいえ、我々が共有する重要な要件はここにも勿論備えている。屋根があり、ドアがあり、ヒトの目がない」

「充分ですね」

 シンジは、軽く腹を擦った。「昼食も出るのなら、最高なのですが。場所に見合った、それなりのものを、ね」









 階段を駆け下りるルカリオの背中を、ネロは、彼にしては珍しいと評されるであろう表情を浮かべながら見詰めていた。

 一段飛ばしで快活に降りていく彼女の速度は、その意気込みに比してみると、少々物足りないと言わざるを得ない。困惑しつつ丁寧に降りているネロでさえ、彼女と大きく距離を離されることはなかった。


 四階の部屋を出てから、必要以上に時間を掛けて一階にたどり着くと、ルカリオは振り返った。

 あどけなく見開かれた碧眼には、何故だろうか、怒りに満ちているように見えるが。


「何を落ち着いているんですか、聖都の司教様!」

「え? えっと、まぁ、そうですね。何に焦れば良いのか解らないもので」

「何でですかっ!!」


 何でと言われても。


「いえ、その。行き先も目的も、そもそも出発の動機さえ、私は理解していないというか……」

「そうでしたっけ?」

「そうですよ」


 言ったと思ったのになあ、おかしいなあ、と頭を捻るルカリオに、ネロは呆れている。

 シンジ・カルヴァトスという友人を思い起こしながら、やれやれと首を振った。魔術師という研究職だからだろうか、教授は推理の過程を同行者である自分に、あまり積極的に明かさなかった。

 うら若き錬金術師も、どうやらそれは同じらしい。彼女の思考回路の中に、周囲への説明という機能は含まれていないようだ。


「ですからそろそろ教えてくださいね、お嬢さん。私たちがどこへ、何をしに向かっているのかを」

「あ、向かう場所も言ってませんでしたっけ」


 ネロはぐっと感情を堪えた。忍耐力は、信仰の道を歩む上では杖のように欠かせないものだ。それを抱えることで、ネロはどうにか笑顔と穏やかな声を絞り出すことが出来た。


「聞いていませんね」

「シムチエールです」

 ネロの頬がひきつり、ルカリオは焦った様子で付け加えた。「詰まりその……墓場シムチエール、言ってしまえば、物置小屋です」

「それは、どのような場所なのですか? 魔術師、いえ、錬金術師にとってのゴミがどういう物なのか、私は知らないのですが」

「ごみ捨て場じゃありません、墓場です! お墓は死者を埋めるところですけど、それは必要ないからじゃないでしょう」


 話の流れが見えないながら、ネロは渋々と頷いた。

 墓所というものは死者の冥福を祈るための場であり、詰まるところ生ける者のための場所なのだ。死んだ者は天界に迎えられるにしろ地の底に落とされるにしろ、直ぐ様神の下へと向かうことになる。埋められた棺は、魂がのんびり休むための場所というわけでは無い。


 ルカリオはその場でくるりと回った。多分、意味のある行為ではないだろう。


「錬金術師の墓場シムチエールも同じです。そこは死者のための場所ではなく、生者のための場所です」

「生者のための?」


 ここで言う生者とは、錬金術師のことだろう。

 穴蔵の賢者の気持ちを、ネロは懸命に推し量った。錬金術師にとって役に立つ場所とはなんだ。そして、そこに埋められるべき死者とは誰のことだろうか。


「……死とは、ヒトの人生の集大成です」

 自分なりに考えながら、ネロは口を開いた。「生きているものならば誰でも、やがてはそこにたどり着く。言い換えれば、生きることの最終的な目標こそが死であるのです」

「死ぬために、生きている訳じゃないですけど」

「けれど、生き続けるために生きているわけでもまた、無いのです。ヒトはやがて死に、神の前へと導かれる。重要なのは、何を残すことが出来るかです」

「えぇ。錬金術師も同じですよ、司教様。大事なのは何を残すかです」


 少しの間考えて、ネロは気が付いた。「研究成果ですか」

 ルカリオの顔に、弾けるような笑顔が浮かんだ。どうやら、正解だったらしい。


「【完本ヌース=ホルフ】ですね?」

「そうです! この町で死んだ錬金術師たちが遺した【完本ヌース=ホルフ】を、商会は全て保管しているんです。その鍵と一緒に」

「なるほど」

 それは確かに、ゴミどころか生きる者にとって役立つ死者だ。「しかし」


 しかし、今それが、どのような価値があるというのだろうか。焦らなければならないようなことなのだろうか。


 ルカリオは瞳を大きく見開くと、ぐるりと回した。今度の意味は解る、なんて鈍い奴、だ。


「良いですか、聖都の司教様。シムチエールにはこの町で死んだあらゆる錬金術師の人生の集大成、【完本ヌース=ホルフ】が納められています」

「それは先程聞きました、けれどそれが……」


 ネロは大きく目を見開いた。

 夜みたいなその黒い瞳に理解が拡がっていくのを見て、ルカリオは頷いた。


「彼らの集大成が、そこにはあるのですね?」

「急ぐ価値はありそうでしょう?」


 悪戯めかしたルカリオの言葉に、ネロは頷くしかなかった。

 二十年前の夫婦の死は、現在の事件においても暗い影を落としている。その出所を探り出すことが出来れば、事件にはかなりの進展が見られることだろう。


 確かにこれは、急ぐ価値がある。

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