第47話三日目、夜ー11

 差し出されたロザリオを受け取り、シンジはまじまじと見詰める。


「材質は、金属部分は合金だな」

 宝石を囲む銀色の金属を軽く撫で、呟く。「銀のメッキをしてあるが、比率としては一般的な青銅だ。特殊な金属が混ぜ込まれた痕跡も、魔力の気配もない」

「純銀製ではないのですね」

「そんなの、生肉をぶら下げるようなものでしょう? 下品な上に安っぽいです」

「……独特なご意見ですね」


 首を捻りながら、かなり気を使った評価を述べるネロ。

 理解不能を婉曲に示されたルカリオは、しかしそんな反応こそ理解不能だと言いたげに、丸く開いた目を瞬かせた。


「そうですか? お肉そのままよりローストビーフの方が高いのは当たり前じゃないですか? もっと言えば、サラダやソースと一緒にパンに挟む方が、もっともっと高くなるでしょう? 素材より加工したものの方が貴重で高価に決まってるじゃないですか」

「そう言われては、確かにそうなのですが……しかし、銅より銀の方が稀少です。稀少なものが多く使われている方が、少ない鋳物よりも高価なのでは?」

「えー? でもでも、合金の錬成には手間も素材もかかるんですよ? コストとしては絶対、こっちの方が高いですって」


 シンジはため息を吐いた。

 二人の話し合いは、このままでは恐らく平行線を辿るだろう。純粋さと不変性から純金や純銀を神聖視する教会と、合金技術の研究、発展を目指してきた錬金術師とでは、基準となる価値観が正反対なのだ。

 どちらが一般的かはともかく、両者の言い分はどちらも正しく、そして間違っている。


「錬金術師は、合金を作る技術を昔から尊重してきたんだ」

 一先ずシンジは、説得がより容易な方へ解説を行うことにした。「王の腹で育つ王子の逸話でも解るように、合金は稀少な金属を育てる手段なんだ」

「育てる? 金属をですか?」

「【大法螺吹き】トム・ガルデンは、大量の錫に僅かな純金を混ぜ、それを『父の優しさと母の厳しさ』を表す温度と湿度の環境下で然るべく熟成させると、金を増やすことができたそうだ。二代目エルドムア候が公式に援助したという記録もある」

「……そんなことが可能なのでしょうか?」

「さあな」

 記録からは、やがてその援助は打ち切られたことだけが読み取れる。「ガルデンは詳しい実験の手法を誰にも明かさず、十年戦争に巻き込まれて死んだ。以来金の増殖は、誰にも達成できていない」

「逸話で言えば、王の腹から生まれた王子は、父と母を必ず殺します。詰まり、元にした金属より強い金属が生まれるということなんです!」


 期待通り、ネロは肩を竦めながらも寛容に頷いてくれた。


「なるほど。そういう教えの下では、生肉よりローストビーフでロザリオを作るのかもしれませんね」

「合金に対する理解が深まったところで、話を戻そう」


 改めて、三人はロザリオに目を向ける。


「真ん中の赤い石は、もしかして【賢者の石】か?」

「いいえ」

 ルカリオは首を振った。「私も貰ったあと、もしかしてって思って調べたんですが、違いました。これはガラスで、赤い染料を混ぜてあるだけです」

「ガラスか……象徴としては無意味だな。魔術的にも何ら影響しない、虚数属性でもない本当の意味での無属性だ」


 石からヒントを見出だすのは、難しそうだ。

 ならば、とシンジは金属部分に目を向ける。持ち上げ、翳してみると、妙なことに気が付いた。


「石……いや、ガラスは嵌め込まれている訳じゃないな。周を包むように、金属は側面を囲んでいる」

「硝子から十字架が生えているように見えますね。こう、うにょーって」

「不気味な言い方は止めてくれ……ネロ。専門家から見て、このロザリオの造りに何か気になるところはないか?」

「失礼しますね。……そうですね、この秩序円――十字架を囲う円環部分ですが、現在の解釈では、これはこの世界そのものを表しているとされています。そのため過度の彫刻を施すことはなく、なるべく滑らかに、切れ目無く作るものです。ルカリオ嬢のものも、解釈としては同じでしょう」


 しかし、とネロは、無骨にささくれだった指で秩序円の中央、十字架の部分を示した。


「逆にこの十字は、重ねられた二本の板であるべきです。縦は天から地へと放たれる秩序の光を表し、横はそれを受け栄える大地を意味します。縦と横、異なる方向の力が編み込まれることで、世界の内側は成り立っているのです。十字架は、それを端的に示しています――

「これは、違うのか?」

「違います。十字部分は自由に彫刻や装飾を施しても構わないのですが、それでも最低限、決められていることがあります。先程の意味を守るために敢えて継ぎ目を作るか、もしくは、縦と横で同じ細工を施すことです。この十字架は、それが守られていません」


 言われて、シンジはもう一度ロザリオを観察した。

 確かに円の内側、四本の棒状の部分には、それぞれ異なる細工が見受けられた。

 中心から上に伸びる一本には、波打つ曲線が三本。

 右の一本には正方形が三つ。

 下の一本は水滴のような楕円が五つ。左の一本には、何の細工もしていないようだ。


「……確かにこれでは、縦と横の組み合わせを意味しているとは受け取られないだろうな」

「その通りです。折しも、ルカリオ嬢のご意見が適切に思えます。これではまるで、硝子から生えている四本の柱のようだ」

「……四本の柱?」


 シンジは眉を寄せる。

 それから、十字架を見て、脳に記憶されたを思い浮かべ、それからもう一度、十字架を見つめた。


「……【R】だ!!」

「【R】です!」


 シンジとルカリオは同時に叫んだ。

 ルカリオは何かを確かめるように指を数度曲げ伸ばしし、頷く。


「間違いない」

 シンジも頷き返した。「左には、だから何もないのか」

「さっそく代入しましょう! 解読式は……」

「「【無い物ねだりエンプティボックス】」」


 互いに互いが同じ結論に至ったと確信し、シンジとルカリオは笑みを浮かべる。

 慌てたのは、ネロだ。


「ちょっとちょっとちょっと、教授。お二人の気が合うのは良いことだとは思いますが、しかしここにはもう一人いるんですよ? 良ければ私にも事情を説明していただけませんか?」

「これは、どうやら僕たちの専門分野のようだ。神学というよりは、そう、神秘学の基礎だな」

「察しが悪くて心苦しいのですが、もう少し手心を加えていただけませんか?」

「君の言った通りさ、ネロ。このロザリオが表しているのは、僕らの存在している物質世界を支える四本の柱だ」

「信仰という訳ではなさそうですね」

「ある意味では信仰だとも言えるよ。そもそもこの考えの根拠となっているのは、君たち秩序神教会が唱える創世記ジェネシスだからね」


 錬金術師と同じだ。

 神秘学はそもそも、当時最も権威のあった知識派、教会の聖典を参考にしている。その記述を疑う方向に特化したのが魔術であり、実現可能と信じたのが錬金術だ。


「錬金術師は、聖典に記された神の奇跡や、神の世界の常識がかつて本当に実在したと純粋に信じている。そしてそれは、正しい手順をもって行えば、現在でも同じ結果を生み出すことができるのだと」

「不敬ですね。奇跡の再現は、神ならぬ身には過ぎた夢ですよ」

「錬金術師の祖は誰だと教えた? に連なる者である以上、錬金術師は皆、楽園の住人たる資格があるんだ」

「……そうでしたね」

「……君たちの名誉のためにも、まあ、諸説あるとだけは言っておこう。それより良いか? 神秘学の根底には詰まり、聖典の記載が関与する。さて……それを踏まえて。創世記を思い出そう。七日で世界を創った、その話を」

「一日目、ランドリクスが大地を創った」

 シンジは万年筆で、紙に【大地Earth】と書いた。

「二日目は、クードロンが海となります」

「海、詰まりは水だな」大地の横に【Water】と書く。

「三日目、火が生まれ……四日目は風が吹いた……」

 続けて書かれた四つの単語に、ネロは目を見開いた。「教授、まさかこれは……!」

四大元素エレメント論だ。創世記において世界そのものに確固たる形を与えたのは、土、水、火、風の四つの概念。そのため、神秘学においても世界はこの四つの力によって構成されているとされているんだ」


 四つ、詰まりは四本の柱だ。

 それが無を表すガラスから伸びて、世界を意味する秩序円を支えている。


「正しくこれは、錬金術師のロザリオだよ。彼ら流にアレンジしてはいるが、確かにこれは信仰なんだ」

「詰まり、十字架部分はそれぞれ四つの元素を表していると。しかし、それと先程の暗号の鍵とは、どう関わるのです?」

「ヒントは数だ」

「数……細工の数ですか? えっと……」

「この中で最も分かりやすいのは、下の一本かな。この形は、見れば直ぐに解るだろう?」

「……水、ですか? それが、五つ?」

「あぁ」

 シンジは【水】の横に【五】と書いた。「さて、ここが水ならば。向かい合うこの上の一本は当然火だ」

「流線型のこれは、燃える様子というわけですか……これが、三本。そして四角いのは、もしかして土ですか?」

「その通り」


 書き出した文字と数字の組み合わせを見て、ネロは眉を寄せた。「ずいぶんと、単純ですね」

「単純さこそが最も困難な謎だ。錬金術師でなくとも、これは思い当たるものが多いだろうさ」

「エンプティボックスというのは?」

「解読法の一つだよ。三つのR、そして風がゼロであるということから導き出せる。……まあ、これは余分だな」


 そして、時間もない。

 タイミング良く――ルカリオの能力と【完本】の難易度を考えてシンジが予想した通りの時間ということだ――ルカリオが歓声を上げた。


「出来ました!」

「良し、読んでくれ」

「はい、えっと…………」


 読み進むにつれ、ルカリオの顔が曇る。

 ネロとシンジの顔は、共に険しくなっていく。


 そこに書かれていたのは秘密だった。遺憾ではあったが、シンジも、そしてネロも納得せざるを得ないほど。

 ヒトを殺すに値するような秘密、その断片だった。

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