第8話一日目、昼ー6

「同行、ですか?」

 困惑した様子で、ネロは首を傾げた。「私は休暇で、これから友人と食事をする予定なのですが……」

「申し訳ありませんが、エリクィン司教。主は至急と申しておりますので」

「……やれやれ」


 どうか、と深く頭を下げたカストラータに、ネロはため息を吐いた。こうなるともうどうしようもないことくらい、部外者であるシンジにも解った。


 同一個体による共鳴効果を用いた遠隔通信能力を付与されたカストラータは、言うなれば行動する魔法道具だ。伝言を正確に伝えるのには役に立つが、こちらの文句を受け付ける機能までは実装されていない。


「失礼、ご友人」

 文句は直接言う他無い。シンジは腰を浮かせ、瞬間、カストラータの赤い無機質な視線がそれを中止させた。「呼び出されているのは、

「私だけ、ですか?」

「聖都よりいらっしゃった異端審問官殿にお聞きしたいことがある。主はそう仰っておりますので」


 更に深く頭を下げた伝言役メッセンジャーの口振りに、シンジはふと、呼び出しの背景を予想した。

 ネロは気付いていないようだ。どうしていきなりこんな、強硬な呼び出しを受けているのか困惑している。


 シンジは、ため息を吐いて、友人に追い払うような仕草を見せた。さっさと行け、という暗号を解読したネロは悄然とした顔で、シンジに頭を下げた。


「すみません、教授。折角の機会だというのに……」

「まあ、こうなるだろうとは思っていたがね」


 ネロの現状は、本人の認識はともかく、『平和な田舎に突然やって来た本部のエリート』である。安穏と過ごす現地の審問官が、その動向に不快感を覚えても不思議ではない――恐らく、視察に来たと思われているのだろう。少なくとも、歓迎はされない。


 ネロが到着後何らかのアクションを起こしていたなら、話は違ったかもしれない。現地の教会に挨拶に行くとか、そもそも事前に連絡をしておくとか、そうした根回しをしていたのなら、彼らとてこんな極端な手は使うまい。

 ネロがそうした、組織内部での立ち居振舞いを意識しているとは思えないから、多分彼は無断でやって来て無言で見て回っているに違いない。となると、あら探しをしに来たのだ、と、彼らは思った筈だ。


「はあ……確かに、挨拶は怠っていましたね」

「やっぱりな……だとするとこれは、負債の回収だ。過去の怠惰が、現在に芽を出した。さっさと刈り取ってこい」


 祭りはまだ続く。シンジの休暇も、一週間はあるのだ。

 寧ろ今日、呼び出されて良かったかもしれない。ここで丁寧に対応しておけば、後々足を引っ張られることもないだろう。


「僕はどっち道、講演の準備をしなければならないからね。ホテルで待っているよ」

「そうですか……では、お言葉に甘えます」


 名残惜しそうな顔でネロは立ち上がり、ストラを纏う。

 ネロの決断に悲喜のいずれも見せずに、カストラータは跳ね上がるバネのように頭を起こした。

 そのまま首だけが動き、赤いガラス玉が再びシンジを見た。


「お心遣いに感謝します、ご友人」


 その後の会釈は、一見して社交辞令と解るような素っ気ないものだった。

 ネロに見せたものより幾分か角度の浅い前傾運動の後、カストラータは向きを変え、迷いの無い足取りで個室から退出した。


「……気に、しないでくれ。……全く」

「すみませんね、教授」

 言いそびれた応答に、ネロはクスクスと微笑みながら、個室のカーテンに手をかけた。「今度は、少しばかり愛想の良い人格設定を提案しておきます」

「それこそ気にしないでくれ、もしもそんなフランクなカストラータを見掛けたら、僕は暴走と判断して通報するだろうから」

「それもそうですね。では、教授。直ぐに済ませますので、どうぞごゆっくり」

「……ごゆっくり?」


 出ていくネロの言葉に、シンジは数度瞬きをした。

 そして、その意味が頭に染み渡るのと同時に、再びカーテンは開いた。


「失礼します、お客様。ご注文はどうされますか?」


 慇懃な態度で腰を折る給仕の言葉で、シンジは漸く完璧に思い出した――ここがカフェの最高級席であり、そのチャージ料だけでも馬鹿に出来ないという事実を。


 貴族に仕える執事のように微動だにしない給仕係に、シンジは慎重に手持ちの額面を思い出しながら、なるべく威厳を込めて、注文を口にした。


「……一番安いのは何のパイかな?」









 墓所のような沈黙に包まれたまま三十分ほど揺られた後、馬車は目的地に到着したようだった。


 到着までの間、ネロは一言も話さず、カストラータもまた沈黙していた。彼らは優れた伝言役メッセンジャーではあるが、心地好い会話相手ではない。

 勿論、司教クラスの異端審問官であるネロが権限を振りかざせば、彼は従っただろう。ジョークを幾つか披露し、果ては歌声を聞かせてくれたかもしれない。


 だが、彼は友人ではない。象徴と聖書について解説してくれる訳では、けしてない。


「君の主は、どなたかな、クエル?」

 馬車を降りながら、ネロは穏やかに尋ねる。「彼の命令で、私を迎えに来たんでしょう?」

「ナバレ・スフレ司教です」

「ほう」


 確か、スフレ司教はリシュノワール支部を預かる責任者であった筈だ。

 枢機卿になってもおかしくない経歴の持ち主で、本人が現場を退かないためやむ無く司教のままに留め置いていると、いつか聞いたことがある。


 思わぬ大物だな、とネロは笑みを深めた。

 いきなり呼び出された文句を言うには、歯応えのある相手だった。


「では、私は彼の部屋にでも向かえば良いのですかね? 彼が私を呼んだのでしょう?」


 突然の声に、ネロは少なからず驚いた。

 カストラータの美しいボーイソプラノとは全く違う、積み重ねた年月で軋みを上げた荷車のような声だった。

 視線を向けると、そこには、老練さを漂わせる初老の男性が立っている。さっきまで、一切の気配が無かったというのに。


「……貴方が、スフレ司教ですね?」


 純白の祭祀服の下に、隠しようのない鋼の肉体を見透かして、ネロは確信しながら問い掛けた。

 穏やかな表情を浮かべてはいるが、その瞳にはナイフのように鋭利な輝きがにじみ出ている。ストラを着ていなければ、いくつかの国にまだ存在するという騎士であると、ネロは思っただろう。


 聖職者としては剣呑にすぎる眼光を、ネロは颯爽と受け流した。


「お呼びということで、やって来ました。どのようなご用件ですか?」

「君は、ネロ・エリクィン司教で間違いないな?」

間違いないのならば」

 鎧のように笑顔を纏いながら、ネロは言い返した。「順番は守って頂きたいですね。先に尋ねたのは、私の方ですよ?」

「……順番というのなら、君の方こそ守るべきだと思うがね」


 対して、老人は不愉快さを隠そうともせずに、ネロの黒瞳を睨み返した。


「休暇とはいえ、我々のような職業には管轄というものがある。入り込むのなら、一声かけるべきだと思うが?」

「……それはまあ、その通りかもしれませんね。単なる観光でしたので、わざわざ報告するまでもないだろうと思ったのですが」

「どうかな。それにしては、

「時期? 祭りの時期以外に友人に見せたいものが、この町にあるとは思えませんが」

「どうかな」

「神に誓いましょうか? 貴方が私と同じ神を信仰しているのなら、ですが」


 暗に不信心と言い放つネロに、暫く老人は睨みを利かせ続けた。

 そして、やがて。


「……ふ」

「……?」

!!」


 突然笑い出した老人に、ネロは思わず目を見開いた。

 構わず笑い続ける老人の脇を、カストラータが会釈して、通り過ぎていく。


「えっと……どうかなされました? もしや、心の病でも?」

「ははは、ふん、君の生意気さに呆れただけだ、聖都の若造」


 ははは、と未だに笑いの発作を残す老人は、震えながら右手を差し出した。


「ナバレ・スフレだ。このアレキサンドライト教会で、リシュノワール支部を預かっている。……友人と食事中だったとか。休暇中にすまんな」

「ネロ・エリクィンです」

 笑い声にこちらを嘲る意図がないことを感じ取り、ネロも笑顔で応じる。「ご挨拶が遅れたことは、えぇ、申し訳ありませんでした」

「そんな下らん話はもういい。他の時期ならば君の挨拶を聞く暇もあるが、あいにく今はそれどころじゃあない」

「創世祭の件ですか。この十数年、貴方は実に見事に運営しておられますが……人員の不足ですか? それで私を?」

「いや、そんなことじゃあない。人員で言えば、この時期のリシュノワールには、住人よりも多くの異端審問官が在籍するからな。土地勘の無い聖都の若造の手を借りる必要は、通常ならば無い」

「……通常ならば?」

「通常ならば」


 スフレ司教は踵を返すと、荘厳な白亜の建物ではなく、その脇、同じくらいに立派な建物の方へと歩いていく。

 異端審問官の、詰所であろう。一年に一度の祭りのために、我らが教会は出資を惜しまなかったのだ。


 門を潜り、いくつかの廊下を通り過ぎる間、スフレは無言だった。


 ネロの脳裏には、スフレの言葉が焼き付いていた。通常ならば、通常ならば。

 だとするなら、


「君が来たのは、本当に偶然かね?」

「神の意思を推し量らないのならば、そうです。インドア派の友人に、我々の誇る最大の祭りを見せたいと思いまして」

「なら、幸運だったと思うべきかな。或いは、神の意思と呼ぶべきか。少なくとも、我々にとっては僥幸だったよ」

「はあ……そうでしょうか」

 普段の彼にはあるまじきことだが、当惑しながら、ネロは曖昧に頷いた。「スフレ司教の仰る通り、私は余所者です。ここで私が、どの程度お役に立てるかは解りかねます」

「心配しなくて良い。私は君に関する資料を読んだ、。その上で、保証しよう。君は、間違いなく、


 眉を寄せるネロの前で、スフレは最後の扉を開いた。


 そして、簡素な部屋の中央、白い特別な用途にのみ用いられる台の上に鎮座するを、スフレは優雅に指し示した。


「君への依頼はただ一つ。の身の上を調べて欲しい。先だっての事件で、魔術師の素性を明らかにしたように」


 そういう勘違いか、とネロは低く呻いた。


 シンジの労苦、即ち魂元素ウィータについて隠して報告した分、その手法についてはネロの技能ということになってしまったのだ。

 直接関与した人間は知っているだろうが、資料だけを読んだスフレ司教では、その裏までは把握できまい。


 正しく、負債の回収だ。但し、負債かは議論の余地があるとネロは思ったが。


 さあ、と促すスフレに続いて、ネロは台座の上のに近付き、その、幾分足りない身長を見下ろしながら、ため息を吐いた。


 ――

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