その12センチに追いついて 9

 正月休みも終わり、僕は大学生活へと戻っていた。

 と言っても就職が決まって、卒業論文ももう終わっている。やることがあらかた片付いている僕は、暇さえあればバイトばかりしていた。

 そんなにバイトをして何か欲しいものでもあるのかと聞かれることもあったけど、今はそうじゃないんだ。ただ、何かしておかないと、心が潰れてしまいそうだったから。一月ももう後半に入ったと言うのに、僕は未だに霞さんにフラれたショックから立ち直れていなかった。


 我ながら女々しい自覚はある。終わってしまった事だと言うのに、いつまでもウジウジして。もしかしたら霞さんは、僕のこういう所が嫌いになったのかもしれない。

 そう考えるとまた胸が痛んで来て、なるべく考えないようにするためとにかくバイトを入れまくっていた。

 きっとこのまま気持ちを引きずったまま、春の卒業を迎えることになるのだろう。そう思っていたけど。


 ある土曜日の夜。バイトを終えて家で休んでいると、ケータイにメールの着信があった。発信者は……『竹下恋』

 ディスプレイに表示されたその名前を見て、少し驚いた。竹下さんとは小中高と一緒で、今でもたまに連絡を取っているけど、最近は少しご無沙汰していたから。この前あった小学校の同窓会も、竹下さんは都合が悪くてこれなかったし。


 だけど久しぶりの連絡に、ちょっと気分が高揚してしまった。何せ最近、良い事なんて全然なかったからなあ。

 メールを開いて本文を確認すると、そこには竹下さんらしい柔らかな文章が綴られていた。


『八雲くん久しぶり。実は明日の日曜日、八雲くんの大学の近くまで行くんだけど、時間が合うようなら会えないかな?同窓会にも行けなかったから、久しぶりに会いたいなあ』


 明日か。それは何ともタイミングが良い。


 バイトばかりしている僕だけど、明日は珍しく一日中バイトを入れていなかった。それと言うのもこの前姉さんから、働きすぎは体に良くないから次の日曜は何があっても働くなと、どういうわけか日にちまで指定されて念を押されていたからだ。

 しかももしバイトをしようものなら、大学にまで乗り込んで説教をすると言い出す始末。さすがにそれは冗談だろうけど、そこまで言われたら仕方がない。

 ここは素直に休んだ方がいいだろう、明日は一切の仕事を入れていなかった。

 だけどまさかそれに合わせるように竹下さんから連絡があるなんて。もしや僕の知らない所で姉さんたちと連絡を取り合い、予定が無いと知ってて誘ってきたのではないだろうか。


(まあこれは考えすぎか。だいいち、理由が無いもの)


 これがもし僕の誕生日とかならサプライズを企画されている可能性もあるけど、明日はただの日曜日だ。たまたまタイミングが重なっただけだろう。

 明日は空いていることをメールで伝えると、すぐに返事が返ってくる。


『それなら明日の十二時に待ち合わせで良いかな?場所は…』


 指定されたのは僕もよく知っている駅前にあるカフェ。すかさず了解のメールを送る。


(竹下さんと会うのも久しぶりだなあ)


 彼女との付き合いも、もう十年以上になる。思えば沢山お世話になったものだ。

 霞さんの誕生日プレゼントを一緒に選んでもらったり、霞さんとのデートの時にどうすれば良いかを相談したり、霞さんと接する時のマニュアルを叩きこまれたり……


 いけない。何だか考えているうちに胸が痛くなってきた。

 竹下さんのことを考えていたはずなのに霞さんことを思い出してしまうだなんて。これってかなりマズいんじゃないだろうか。

 竹下さんとの思い出はもちろん他にも沢山あるのだけど、印象に残っているものの多くは霞さん絡みが多い。僕の恋愛は本当に彼女に頼りきりだったという事がよく分かる。


(けど、明日は霞さんのことは忘れないと。竹下さんのことだから、感づかれたらきっと心配かけてしまうだろうな)


 この事で誰かに迷惑をかけるわけにはいかない。正月に姉さんと義兄さんに感づかれた時は焦ったけど、意外にも深く追求されることは無かった。もっと色々聞かれることを覚悟していたから、正直助かっている。

 けど、竹下さんまでそう上手くいくとは限らない。よけいな気を使わせないため、明日は言動に気を付けるとしよう。せっかく久しぶりに会うんだから、僕だって暗い気持ちでいるよりも笑顔で接したいし。


 さて、そうと決まれば今日は早めに眠るとしよう。最近は働きっぱなしであまり寝ていないから、今夜はしっかり寝ておきたい。

 最後に『明日楽しみにしてるね』とメールを送り、明日に備えて床につくのだった。

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