埋まらない、追いつきたい。僕等の12センチ

無月弟(無月蒼)

その12センチを埋めたくて

その12センチを埋めたくて 1

 僕、水城八雲みずしろやくもには願いが二つある。


 一つは早く大人になる事。大人になって何をしたいんだって聞かれると返事に困ってしまうけど、兎に角大人になりたいと願っている。

 大人に憧れるなんて、誰しも子供の頃に一度は経験したことがあるだろう。

 僕はまだ小学五年生になったばかり。まだまだ子どもと呼べる年齢だから大人になりたいなんて思っていてもおかしくないかもしれない。だけど多分、僕の場合は本気度が違う。

 だって大人になれば働いてお金を稼ぐこともできるし、身の回りのことだって一人で出来るだろうから。


 僕には両親がいない。

 父さんは僕が生まれてすぐに病気で亡くなったそうで、顔すら覚えていない。そして女手一つで僕と姉さんを育ててくれた母さんも去年の冬、交通事故で帰らぬ人となった。

 そんなわけで残された僕と、今年の春に高校生になったばかりの姉さんは今、二人で八福荘という2kのアパートで暮らしている。

 母さんが亡くなった際に入った保険金と、姉さんが日々アルバイトで稼いでいるお金で何とか生活はやりくりできているけど、少しでも出費を抑えようと節約に勤しむ毎日を送っている。

 僕は何とかしてそんな姉さんの助けになろうと家事や手伝いをしてはいるけど、子供の身で出来ることなんてたかが知れている。せめてバイトでもできれば少しは家計を助けることができるだろうけど、小学生には無理な話だ。

 だからふとした時に思ってしまうのだ。早く大人になりたいと。


 とはいえなろうと思ってなれるものではない。その代わり、時が来れば否応なく大人の仲間入りをしなければならない。だったらそれまで、僕は僕にできることを続けていくだけだ。


 となると目下大事なのは、もう一つの願いの方だろう。僕が願っている事。それは…


「八雲、今日もバイトで遅くなるから、悪いけど買い物お願いできる?」


 五月のある朝、学校に行くため部屋を出ようとした時、思い出したようにそう頼んできたのは僕の姉さん、水城皐月みずしろさつきだ。


「分かった。今日は特売の日だからね。ちゃんと色々買っておくから」

「いつも悪いわね。留守番だって毎日してもらってるし。けど、もし友達と遊びたいなんて思ったら、そっちを優先しても良いから」


 眼鏡越しに、申し訳なさそうな眼差しを向ける姉さん。普段はそのツリ目のせいで人に気の強そう印象を与えているけど、今はそんな感じは全然しない。

 僕が何か手伝いをしようとすると、姉さんは決まってこういう顔になる。おそらく中々遊ぶ事の出来ない僕のことを気にしているのだろうけど、遊ぶ時間が無いのは姉さんも同じ。だいたい、もう慣れてしまっているので全く気にはならない。


「平気だよ。それに最近は留守番していても、よく基山きやまさんが様子を見に来てくれるから。結構楽しいよ」

「基山…ね。まああいつには感謝はしているわ」


 言葉とは裏腹に、何だか浮かない顔だ。

 そんな話をしながら今度こそ部屋を出ると、丁度隣の部屋のドアも開いたところだった。


「水城さん、八雲、おはよう」


 そう挨拶をしてきたのが、さっき話していた基山太陽きやまたいようさん。お隣で一人暮らしをしている高校生のお兄さんで、姉さんのクラスメイトでもある。

 一人で留守番している僕を気遣ってくれて遊んでくれたり、料理や勉強も教えてくれる優しい人だ。だけど。


「…おはよう」


 ご機嫌斜めな態度で挨拶を返す姉さん。すると途端に基山さんは焦ったような顔をする。


「もしかして、機嫌悪い?」

「そんなこと…無いけど…」


 何だか煮え切らない様子の姉さん。実はと言うと不機嫌の原因は想像がついている。

 母さんが死んでからというもの姉さんは、唯一残された家族である僕に対して非常に過保護になっていて、早い話が重度のブラコンになってしまっているのだ。

 だから僕が基山さんに懐いているような事を言うと、盗られてしまうんじゃないかというおかしな不安に駆られて気を悪くしてしまう、なんとも面倒くさい姉なのだ。


「行くわよ八雲」

「う、うん。基山さんも行きましょう」

「ええと、僕も一緒に行っても良いのかな?ねえ八雲、水城さんどうしちゃったの?」

「気にしないでください。僕がさっき基山さんのことを褒めていたただけで…いつものアレですよ」

「ああ、そういう事か」


 納得したような、だけどやっぱり寂しそうな様子の基山さん。するとそんな僕等のやり取りを見ていた姉さんはため息をつく。


「…悪かったわね、変な態度とって」


 自覚はあったらしく、素直に謝ってくる。

 姉さんも決して基山さんのことが嫌いと言うわけでは無く、むしろ信頼している感がある。その証拠に。


「八雲が懐きすぎるのは複雑だけど、基山には感謝してるよ。よく面倒を見てくれてるし、これでも頼りにしているんだから」

「―――ッ!ありがとう」

「どうしてそこでお礼を言うわけ?」


 姉さんは首をかしげているけど、僕にはその理由が何となくわかる。きっと褒められたことに感激してお礼を言ったのだろう。基山さん、姉さんに惚れているからなあ。

 本人から直接聞いたわけでは無いけど、態度を見ていれば分かる。

 基山さんがよく僕の様子を見てくれるのは勿論僕に気を使ってくれているのも理由だろうけど、半分はそれをきっかけに姉さんと話をしたいからではないだろうか。

 別にそれが悪いとは思わない。好きな人がすぐ隣の部屋に住んでいるのだ。色々とアプローチをしたくなるのも当然かもしれない。ただ…


「基山って時々おかしなこと言うわよね」


 ほらこれだ。アプローチされているはずの当の本人がこの態度。悲しい事に姉さんは、基山さんの気持ちに全く気付いていないのである。

 僕のもう一つの願いと言うのは、早く姉さんが基山さんの気持ちに気付いてほしいというもの。だってこれじゃあ、あまりに基山さんが可哀想だもの。


「そう言えば今度の日曜、この前水城さんが読んでいた小説の実写映画が公開されるんだけど、良かったら一緒に見に行かない?」

「あ、無理。日曜もバイトあるもの」

「それじゃあ、その次の日曜は?」

「その日ならバイトは無いけど。でもたまの休みだからねえ、久しぶりに八雲と過ごしたいかなあ」

「そ、それじゃあ八雲も一緒に…八雲はこの映画に興味ある?」


 ちゃんと僕の好みに合っているかも確認してくるのが、基山さんの優しい所だ。けど、好みに合う合わない関わらずに、僕の答は決まっている。


「僕は行きたいです。行きましょう、三人で」


 本当は二人きりにさせてあげたいのだけど、二人で行ってきてなんて言っても姉さんが承諾しそうにない。となると、ここは僕が間に入って二人の仲を取り持つべきだろう。


「八雲がそう言うなら、行こうかなあ」


 ふぅ、姉さんがようやくその気になってくれた。それを聞いた基山さんは、思わず笑顔を零している。こんなに分かり易いのに、どうして基山さんの気持ちに気付かないのかが全く分からない。

 この二人を見ているといつも思ってしまう。恋愛って大変なんだなあ、と。

 片思いの二人が誰しもこんな感じなるとは到底思えないけど、どんな恋愛でも大なり小なり大変な所はあるのだろう。もっとも、初恋もまだの僕には縁遠い話かな。


(僕も大人になったら、恋をするようになるのかなあ?)


 ふとそんなことを思ったけど、やっぱりまだまだ先の話。今はそんなことよりも姉さんと基山さんの事の方が、もしくは夕方のタイムセールで何を買えるかの方が重要事項だ。


 五月の朝日の下、三人並んで歩いて行く。

 恋愛なんてまだ早い。この時僕は、確かにそう思っていた。

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