八雲side

その12センチを追いかけて 9

 今日は土曜日。学校が休みの僕は朝から買い物と部屋の掃除、それに洗濯をすませていた。

 何せ今日は作戦決行の日なのだ。面倒なことは全て終わらせておいて、万全の状態で臨みたい。

 ちなみに姉さんは朝からバイトに出かけている。土日の休みのうち片方は大抵バイトをしているのだから、やはり働きすぎなんじゃとつい心配してしまう。

 だけど厄介なことに、本人はその自覚は無いのだ。そんな姉さんだからこそ自分のやりたい事を度外視して進路を考え、結果霞さんと衝突してしまったのだ。

 あれ以来姉さんは目に見えて元気が無くなってしまっている。そのことを指摘しても、本人はそんなこと無いの一点張りだけど。


 けどそれも今日まで。ちゃんと腹を割って話してもらって、わだかまりを無くしてもらおう。

 そうこうしているうちにもう夕方。バイトを終えた姉さんが帰ってくる。


「ただいま」


 いつもの調子で玄関の戸を開ける姉さん。さあ、いよいよだ。


「遅くなってごめんね。すぐに夕飯の用意をする…か…ら…」


 部屋の奥の居間にいる僕を…僕達を見て、靴を脱ぐ途中だった姉さんはその体制のまま器用に固まってしまった。


「お帰りさーちゃん」

「水城さん、お邪魔しています」


 居間には僕の他に霞さん、それに基山さんがいたのだ。


「お帰り姉さん。今日は霞さんと基山さんも一緒に夕飯食べるから。お鍋にしようと思って下ごしらえはできてるから、特に準備はしなくて大丈夫だよ…って、聞いてる?」


 姉さんは呆気に取られていたみたいだったけど、すぐにハッとなって我に返る。


「ちょっと。いったいどういう事よ?」

「ああ。もう暖かくなったから、お鍋はちょっと季節外れだったかな。けど、皆で食べにはこれが一番…」

「そうじゃなくて!」


 靴を脱いだ姉さんはそのまま部屋の奥へと入ってきて、僕ら三人の前に立つ。


「どうして霞と基山がいるのかって言ってるの!まあ基山はお隣さんだから良いとして…」


 気まずそうに霞さんに視線を送る。

 何か言いたいけど言えない。そんな気持ちが僕にまで伝わってくる。だけど見られている霞さんはその空気に呑まれること無く、凛とした態度で姉さんを見つめ返す。


「私はさーちゃんと話がしたくて。この前の続きを、ね」


 途端に姉さんが顔をしかめる。


「それって、進路のこと?それならもう話す事なんて無いわよ」

「そうはいかないよ。今日はとことん話そうと思っているんだから。今日はさーちゃんの家に泊まるってお母さんにも言ってきた」

「ちょっ、何を勝手に?」

「勝手じゃなよ。僕が許可してるから」

「八雲まで何してるの!」


 怒りを露わにする姉さん。だけどそれに憶すこと無く、僕等は話を続ける。


「姉さん最近、霞さんとぜんぜん話してないんでしょう。ダメだよ、ちゃんと仲直りしないと。姉さんが言ってたじゃない。友達と喧嘩しても、ちゃんと話し合わなきゃいけないって…」

「確かに言ったわ!だけど、勝手に話を進めないでって言ってるの!そもそも泊まるって何よ。布団も、寝る場所だって無いのよ。それに八雲だっているんだし」

「ああ、それなら大丈夫。八雲なら今夜僕のところで預かることにしたから…痛っ!」


 姉さんの拳が基山さんを襲う。


「基山もグルなの⁉みんなしていったいどういうつもりよ!」


 そう言いながら、基山さんの頭をバシバシと叩く。こんな所ばかり見ていると、この二人が付き合っているという事をつい忘れてしまいそうになる。姉さん、やりすぎて愛想つかされないようちゃんと注意してね。


「痛い痛い、ごめんなさい。だけど最近の水城さんは見ていられなくて」


 心配そうな表情の基山さん。今日の事を相談した際に分かったことだけど、基山さんも姉さんの様子がおかしいと知っていて、力になれないかと悩んでたらしい。だから僕等の作戦にも快く協力してくれたのだ。

 まあ、作戦の内容を聞いた時はやっぱり驚いてはいたけど。


「姉さん、とりあえず暴力は止めてあげて。それよりもまずは霞さんだよ。姉さんも話したい事が無いわけじゃないんでしょ」

「――ッ!無いわよ話なんてっ!」


 姉さんは本当に頑固だ。無理しているのはバレバレなのに、意地でも話そうとしないらしい。けど、霞さんの方はそうはいかない。


「私はあるよ、話」

「何よ話って。どうせ進路のことなんだろうけど、だったらお断りよ。もう就職するって決めたんだから、今更変えられないわよ」

「変えられないって、まだ五月だよ。今からだって十分考え直すことはできるよ」

「別に無理して変えなくても良いでしょ」

「そうだね。けど、無理して選択肢を減らすことも無いと思うな。一人で色々考えこんで働くことを急ぐよりも、興味のあることに目を向けるのも大事だもの」

「だから、いいって言ってるでしょ!」


 そう言って姉さんは踵を返す。まずい、このまま部屋から出て行くつもりだ。玄関へ向かおうとする姉さんの手を、僕は慌てて掴んだ。


「ちょっと、どこへ行くつもりなの?」

「どこでも良いでしょ。私には話す事なんて無いんだから、ここにいても無駄じゃない」

「私は話したいってば」


 霞さんがすかさずもう片方の手を取る。姉さんは見てわかるほどに動揺しているけど、それでも素直になってはくれない。


「どうでもいい事でしょ!前にも言ったわよね。私の進路なんだから、霞には関係無いって」

「関係あるもん!」

「どうしてよ!」


 ヒートアップした二人は、ご近所迷惑を考えずに大声で叫びまくる。幸いお隣の基山さんがここにいて理解を示してくれているから良いけど。

 だけどこのままではらちが明かないと思ったのか、ついに霞さんが動いた。


「だってさーちゃんは、将来私のお義姉さんになるかもしれない人だから!」

「……はあ?」


 さっきまでの熱はどこへやら。霞さんの言っていることの意味が分かっていないようで、呆けたように見ている。

 だけど霞さんはそれに追い打ちをかける。抱きしめるように僕の腕を掴んできて、そして言った。


「私、八雲くんと付き合っているの!結婚を前提として!」


 ………ああ、ついに言ってしまった。ドヤ顔で言い放った霞さんとは逆に、僕と基山さんは恐る恐る姉さんの反応を窺う。

 姉さんはさっきまでと同じ呆けた表情のまま。だけど、何だか段々と顔に熱が帯びてきた。そして。


「…は?……はあ?――――――はあああああああああああああっ⁉」


 絶叫が部屋中に…いや、アパート中に響き渡った。

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