その12センチを追いかけて 10

 霞さんの爆弾発言を聞いた姉さんは、目を見開いて固まってしまった。反応らしい反応と言えば、小さくブツブツと呟いているくらいだ。


「八雲と…霞が…」


 驚いているなあ、無理も無いけど。けどこれは何も、姉さんを驚かせるために打ち明けたわけじゃない。中断してしまった話を、霞さんは続けようとする。


「というわけで、このままいけばさーちゃんは私のお義姉さんになるわけだから。もう関係無いなんて言わないよね」

「八雲と…霞が…」

「霞さんの言う通りだよ。だからまずは、ちゃんと話をしようよ」

「八雲と…霞が…」

「ビックリさせちゃって悪かったとは思うけど、そういうわけだからよろしく。って、さーちゃん聞いてる?」

「八雲と…霞が…」


 呆然と立ち尽くし、さっきから同じ言葉ばかりを繰り返している。思ったよりショックが大きいなこれは。


「水城さん戻って来て。壊れたレコーダーみたいになっているよ。水城さーん、聞こえてる―?」


 基山さんが目の前で手を上下に振り、反応を窺う。すると姉さんは無言のまま、基山さんの両頬に手を伸ばした。そして。


「痛い痛いっ!」


 そのまま思いっきりつねった。依然としてどこか焦点の合わない目で痛がる基山さんを見ながら、姉さんはゆっくりと口を開く。


「痛い…それじゃあ夢じゃない?」


 夢かどうか確かめるためにつねったのか。だったら自分の頬をつねれば良いものを。姉さんは少しの間痛がる基山さんの頬をつねり続けていたけど、やがて何かを理解したようにハッと目を見開いた。


「ちょっとおおっ!付き合ってるってどういう事よ!」

「姉さん落ち着いて。まずは基山さんを放してあげよう」


 声も上げたしこっちを見てもくれたけど、その手は未だに基山さんを開放していない。以前頬をつねった状態のまま、困惑の表用を浮かべている。


「これが落ち着いていられるわけないでしょ!」

「さーちゃん、それでも手くらい放してあげようよ。基山くん痛がってるから」

「あ、そうだった。基山ごめん」


 良かった、ようやく解放してくれた。だけどホッとしたのも束の間。すぐにまた鋭い目をこっちに向けてくる。


「そ、それで。いったいどういう事なの⁉付き合ってるって、いったいいつから⁉」

「えっと…昨日から」

「まだ付き合い始めたばかりだけど、良い関係を築いていけるよう頑張るから」


 とりあえず付き合い始めたという報告はちゃんとする。すると姉さんは少し落ち着いたようで、ホッと息をついた。


「何だ、昨日からなの。大方付き合うふりをして、私の気を引こうって魂胆ね。ああ、ビックリした」


 鋭い。確かに姉さんの言ったことはほとんど当たっている。こうでも言えば姉さんは話を聞かずにはいられないだろうと踏んだのだ。ただ…


「僕が霞さんの事が好きだって言うのは本当だけどね。本気の告白も、もうとっくに済ませてあるし。ですよね、霞さん」

「うん、好きだって言われた」

「はあっ?」


 再度姉さんが声を上げる。そして頭にハテナを浮かべているであろう姉さんに、霞さんがすかさず答える。


「告白されて、今まで返事は保留になっていたんだけど、この度付き合うことになりました。ゴメンね、今まで内緒にしてて。ちょっと言い難くて」

「そ、そんな。いったい何を言っているのよ…」


 未だ状況が飲み込めていないのか口をパクパクさせている。難しい事は言って無いはずなんだけどなあ。


「二人の言っていることは本当だよ。冗談でもお芝居でもない。だから僕もこうやって協力しているんだよ」

「―――ッ!基山も知っていたの?八雲が霞に…こ、告白してたって事。いつから!」

「えっと、僕らが一年の頃の一学期だったかな。最初知った時はビックリしたよ」

「二年も前じゃない!そんな昔から知っていたのに、どうして今まで黙ってたの!」

「ごめん、八雲に固く口止めされてた」

「基山さんに八つ当たりしないでよね。姉さんに知られたら面倒だろうから、言わないように頼んだんだよ」

「みんな意地悪して隠していたわけじゃないんだよ。ただ、言うタイミングが無かっただけなの。返事保留が続いていたから」

「それはまあ分かるけど…他には誰か知っている人はいるの?」


 今にも倒れるんじゃないかと心配するくらい、真っ白な顔をして聞いてくる。ええと、他に誰が知ってたっけかな?


「まずは竹下さんでしょ」

「あとは西牟田と笹原と…」


 基山さんが口にしたのは、いずれも姉さんの同級生の男子の名前。僕は姉さん達を通じて、さっき上げられた人達と何度か会った事がある。そしてみんな僕の気持ちに気づいた上で、頑張れと応援してくれていたのだった。

 僕にしてみれば励みになってありがたかったけど、話を聞いた姉さんは愕然とする。


「どうして私が知らないのに、周りばかり知っているわけ!もしかして知らなかったのは私だけだったって事?」

「そんなこと無いよ。他にも知らない人はちゃんといるから。ねえ基山さん」

「もちろん。例えば…例えば…」


 まずい。例をあげようにも、心当たりが浮かばないようだ。

 確かに僕は隠す気なく振舞っていたから、僕と霞さんの共通の知人なら大抵の人が分かっているかもしれない。気づいていなかったのはやはり鈍感な姉さんくらいのものだろう。


「みんなで私だけ除け者にしてたんだ!」

「そんなこと無いよ。今こうやって話しているじゃない」


 霞さんが宥めるも、姉さんの興奮は治まらない。あ、なんだか目に涙を浮かべている。


「とにかく、まずは一旦落ち着こう。僕、お茶を淹れてくるから」


 涙ぐむ姉さんを霞さんと基山さんに任せて、僕は台所へと向かう。

 僕はこの家の住人なのだから、僕がお茶を淹れなければならないのは当然の事。決して姉さんの相手をするのが大変だから逃げ出したと言うわけじゃないのであしからず。

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