その12センチを追いかけて 8
到着した公園にはもうすでに八雲くんが着ていて、こっちに向かって手を振ってくれている。何だかここで待ち合わせをした時は,いつも決まって私の方が後に来るような気がする。
「ごめん、遅くなって」
「お気になさらずに。僕も今来たばかりですから」
どうだか。八雲くんのことだから、たとえ一時間待っていたとしても今来たばかり答えるような気がする。もちろん今回はそこまで待たせてはいないと思いたけど。
「ハチミツも久しぶり。ちょっと痩せたかな」
慣れた手つきでハチミツの顎や首元を手でさすると、気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
「最近食欲が落ちてきているの。人間で言えばもうお爺ちゃんだからね。けど、元気は元気だから」
「それは良かった。それで霞さん。その、姉さんの事なんですけど…」
「うん。私もそのことで、言わなきゃならないことがあるんだけど…まず、家で何があったのか、教えてくれないかな」
私達は自動販売機でそれぞれ飲み物を買った後、近くにあったベンチに腰を下ろして話を始める。
「三日前のことです。帰ってきた姉さんが何だか不機嫌だったので、どうしたのか聞いてみました。そしたら、霞さんに変なことを吹き込まないようにと怒られてしまいました」
三日前というと、さーちゃんと喧嘩をした日だ。
「ゴメンね。実はその日さーちゃんに、進学の事も考えた方が良いんじゃないかって言ってみたの。そしたらさーちゃんが起こって、つい喧嘩になっちゃったの」
「そうだったんですか?姉さん、霞さんがせっかく心配してくれているのに怒るだなんて。いったい何を考えているんだか」
「待って、違うの。アレは私の言い方が悪かったんだよ」
『少しは八雲くんの気持ちも考えて』、そう言ったのはマズかった。八雲くんがさーちゃんの進路のことで悩んでいるって知ってたからそう言ったのだけど、これではまるでさーちゃんが八雲くんの事を何も考えてないみたいな言い方だ。
もしそんな風に言われたら、私だって良い気分はしないだろう。
「それでもですよ。何よりおかしいのが、喧嘩したことを後悔しているのに、素直になれずに引きずっているってことですよ。まだ仲直りしていないんですよね」
「どうして分かったのっ?」
「姉さんの態度を見ていれば。あの日から姉さん、ずっとどこか元気が無いから。ご飯を食べている時も話をしている時も、どこか上の空のような気がして。それに…」
八雲くんはじっと私を見つめる。
何?もしかして寝ぐせでもついてる?視線の意図が分からずに焦っていたけど、やがて八雲くんは口を開いた。
「態度が変なのは霞さんだって一緒ですよ。さっきからどこか元気無いですし、二人とも様子がおかしいという事は、仲直りが出来ていないってことくらい予想付きますよ」
「えっ?私そんなに態度に出てた?」
「はい、バッチリと……そもそもいつも見ているんですから、普段と違ったら気づきもしますって…」
バッチリと、の後は何だか口ごもっていて、何と言ったのかよく分からなかった。
「ごめん。今何て言ったの?」
「何でもありません。それで…霞さんは姉さんを嫌いになったわけじゃ…ないんですよね」
確認するように、恐る恐る聞いてくる八雲くん。
だけど生憎、八雲くんが心配しているような事は何もない。確かに喧嘩はしちゃったけど、さーちゃんの事はちゃんと友達だって思っている。
「さーちゃんを嫌いになったりはしないよ。けど、さーちゃんの方はどうなのかな。喧嘩してからずっと、避けられているみたいだし」
「ああ、それこそ心配いりません。何て言ったかは知りませんけど、姉さんも霞さんを傷つけてしまったんじゃないかって後悔していましたから。昨夜もごめんって謝っていましたよ、寝言で」
「寝言⁉」
「はい。姉さんは昔から心配事があると夢に見るようで、最近随分とうなされているんです。それで見かねて、こうして相談しに来たわけなんですよ」
そう言えばさーちゃんと八雲くんは、あのアパートの部屋のリビング横の寝室で二人して寝ているんだっけ。毎晩すぐ隣でうなされているのを見ていたら、心配もするだろう。
「ゴメンね。任せてって言ったのに、何だか余計に拗らせちゃって」
「そんな、霞さんが謝る事じゃありませんよ。姉さんが変に頑固なのがいけないんです。夢に見るくらい後悔しているのなら、素直に謝ってまた話をすればいいのに」
「私としても、さーちゃんとはもう一度ちゃんと話したいって思っているんだけどね」
だけどいつも避けられてしまっていて。取り付く島もない。
「そもそも話ができたとして、またさーちゃんを怒らせないかが心配。本題の進路の話だって暈したくは無いけど、そしたらまた衝突しそうだし。さーちゃんにも言われたんだけど、そもそも何も関係ない私が口出しする事がおかしいのかも」
そう考えると、いよいよどうすれば良いか分からなくなってしまう。変にお節介なんて焼かれたら、やはり迷惑だろうか。そう弱気になっていると。
「そんなことないです!」
八雲くんが強い口調で叫んできだ。そしてそのまま、驚く私をじっと見つめる。
「霞さんは誰よりも真剣に姉さんの事を考えてくれているんです。そんな霞さんを無関係無いだなんて言わせません。姉さんだって、本心ではきっとそう思っているはずです」
「そう…かな?」
「そうですよ。姉さんだってもし反対に霞さんが進路のことで悩んでいたら、その時はきっと自分がお節介を焼いたと思いますよ」
たしかにその姿は想像に難くない。自分のことをそっちのけで大学の資料とか集めてきそうなイメージがある。
「だから霞さんも、遠慮なんてしないで言いたいことはちゃんと言ってください。それとも、僕の言う事じゃ信じられませんか?」
「そんなこと…」
無い。
八雲くんは誰よりもさーちゃんの事を理解している。その八雲くんがそうだと言っているのだから、間違いないのだろう。だけど私は、上手く返事を返せずにいる。何故なら。
(近い!八雲くん近いよ!)
おそらく無自覚なんだろうけど、喋っている間に興奮したのかかなりの至近距離に迫ってきている。こんなに近くで気になる男の子に目を合わせられているのだ。緊張して言葉が出てこなくても仕方ないじゃない。
しばらくそうしていると、八雲くんは息をついて視線を外してくれた。
助かった。決してそれが嫌というわけじゃないけど、このままではさーちゃんの話が頭から飛んでしまいそうで焦った。
「と、とにかく。問題はどうやったらさーちゃんが話を聞いてくれるかね」
「そうですね。いきなり本題に持っていくのが難しいなら、仲直りするところから始めるとか?」
「生憎今は普通に話す事すら難しいんだけどね」
さーちゃんに本気で嫌われたわけじゃない…と思いたい。だけどこのままでは、チャンスが訪れるのがいつの日か見当もつかない。
「何か姉さんが食いつかずにはいられない話題でもあれば、そこから話をしていくこともできるんですけど。何か心当たりは無いですか?」
「そう言われても、ねえ」
そう都合よく気を引ける話題なんて無い。そもそも八雲くんに当てがないのなら、私じゃ浮かびっこない。一瞬そう思ってしまったけど。
「あれ、もしかしたらあるかも。さーちゃんが興味を持ってくれそうな話」
「本当ですか?」
八雲くんが目を輝かせる。
これならたぶん…いや、間違いなくさーちゃんは食いついてくるはずだ。後はどうやって話を振るかだけど、これには八雲くんの協力が必要不可欠だろう。
「八雲くん、ちょっと…」
「何ですか?」
「あのね…」
その考えたアイディアをそっと話す。すると八雲くんの顔色が見る見るうちに変わっていく。驚いたような、呆れてしまったような顔だ。
そしてすべてを聞き終えた後、八雲くんは頭を抱え込む。
「それは…確かに姉さんは放っておかないでしょう。でも、それにしたって…」
どうやらまだ受け止めきれない様子。もっとも私だってこれは突拍子も無い作戦だとは思うから、戸惑う気持ちもよく分かる。
八雲くんはひとしきり悩んだ後に大きく深呼吸をして、私に聞いてくる。
「霞さん、念の為一つ確認したいんですけど」
「なあに?」
「……本気ですか?」
まるで信じられないモノを見るような目で私を見つめる八雲くん。もちろん本気だよ。
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