その12センチを追いかけて 13

 僕の右隣りには霞さんがいて。僕等は今、並んで住宅街を歩いていた。

 街行く人達の目には、僕と霞さんはきっと姉弟の様に写っているのだろう。僕は未だに小学生と間違えられることもある低身長なのだからそれも仕方が無い。

 だけどそんな僕にも、気になっている事がある。もうすぐ霞さんの家に着くけど、その前にどうしても確かめたい事があった。


「霞さん、ちょっと良いですか?」

「なあに?」


 霞さんはそう返事をした後足を止め、覗き込むように僕を見つめる。こんな風に見られているとちょっと言い難いけど、それでもここで引くわけにはいかない。


「霞さんは今…僕と付き合っているんですよね」

「えっ?」


 想定外の質問だったのか、一瞬言葉を詰まらせた。だけどすぐに照れたように笑みを浮かべる。


「うん、そうだね。付き合ってるよ、私達」


 肯定されるのは素直に嬉しい。けど、気がかりなことが一つ。


「霞さんは、本当にこれで良かったんですか?姉さんと話をするために成り行き上付き合うって話になりましたけど、それは本当に霞さんが望んでのことなんですか?」

「えっ?ちょっと、何を言っているの?」

「心配なんです。もしかしたら霞さん、姉さんの為に無理をして僕と付き合う事にしたんじゃないかって。確かに僕は霞さんの事が好きですし、付き合ってもらえるなんてこの上なく光栄な事です。ですがもし無理をされているのなら、そんなモノは望んでいません」


 霞さんは優しいから、もしかしたら僕を傷つけまいとしているだけなのかもしれない。そんな考えがどうしても頭をよぎってしまうのだ。

 だって僕はまだ霞さんに全然追い付いてないし、どう考えても釣り合っていないし。

 それを自覚しているからこそ、姉さんの問題にかこつけてこれ幸いに付き合おうと言う気にはどうしてもなれなかった。

 恐る恐る返事を待っていると、霞さんはゆっくりと口を開く。


「………やーくーもーく――ん」


 それは静かに、だけど確実に怒気を含んだ声。僕はこれまでこんな怒った霞さんの声を聞いたことが無かった。そして――


「――痛っ!」


 おもむろに手を伸ばしてきたかと思うと、思いっきり頬をつねられた。そして霞さんは言葉をぶつけてくる。


「今まで私が無理をしてるって思ってたの?さーちゃんのために成り行きで付き合っただけだって。いくらなんでも、そんな軽い気持ちで付き合うなんてしないから!」


 そうだ。つい口を滑らせてしまったけど、よく考えたらかなり失礼なことを言ってしまっていた。


「すみませんてふぃふぁ」


 謝ろうとしたものの、頬を引っ張られているせいで上手く喋ることができない。

 近くを歩いている人は何事かと僕等を遠巻きに見ている。今この辺りは人通りの少ない時間のようだけど、それでもこれは十分に恥ずかしい。

 すると霞さんはここでようやく手を放し、僕を見る。


「私は無理をしているわけでも、成り行きで付き合っているわけでも無いんだから。本当は告白されてからずっと、こんな日が来れば良いって思ってたんだよ」

「えっ…ええっ?」

「最初からそうだったわけじゃないけど、あんな告白をされたんだもの。これからどう接したらいいんだろうって思って、八雲くんのことを色々考えるようになっちゃったの。たくさん考えた後に会うと、何だか素敵な所ばかりに目が行くようになってドキドキして、そしたらまた八雲くんのことを考えて。そうしていくうちに、ああ、私も八雲くんのことが好きなんだなって自覚するようになった」


 そ、そうだったのか。霞さんと話をしていると不意に目を逸らされることがあって気にはなっていたけど、もしかしてあれも意識されていたから?どうやら気持ちだけでも知ってもらおうと早々に告白したのは正解だったようだ。


「なのに八雲くん。それ以降綺麗だとか素敵だとは言ってくれるけど、決定的なことは何も言ってくれないんだもの」

「それは…僕がまだ霞さんと釣り合っていないから。何度もしつこく好きだって言うのもどうかと思って…」

「釣り合うって何?それじゃあ八雲くんが納得するまでずっと、私は待っていなくちゃいけなかったのかな?」

「それは…ごめんなさい」


 たしかにそれは身勝手な考え方だ。ずっと霞さんに追いつかなきゃと思っていたけど、それはあくまで僕の望み。それまでずっと待っていなくちゃいけない霞さんの気持ちを無視してしまうという、考えの押し付けだ。


「それに八雲くんは釣り合わないって思っているみたいだけど、そんなこと無いんだよ。むしろ私の方がドギマギされっぱなしで困っているというか…」

「えっ?」

「何でも無い、今のは忘れて。そもそも、わたしの方が5歳も年上なんだから、そう簡単に追いつかれても困るんだけどな。お姉さんとしての威厳って物があるし」


 そう言われると、返す言葉がありません。

 それにしても、こんな風に嗜められていると、やはり霞さんは僕よりもずっと大人で、まだまだ先にいるのだと痛感してしまうもちろん今ならそれが悪いわけじゃないというのは分かるけど。


「すみません。これからは一人で先走らずに、ちゃんと霞さんのことも考えられるようになります」

「分かってくれればいいの。それじゃあ、行こうか」


 そう言って何事も無かったようにケロッとした顔で歩き出し、僕も慌てて後を追う。

 そっと胸に手を当てると、さっきのこっ恥ずかしいやり取りのせいで未だ心臓がバクバク言っている。僕がこんなになっているというのに霞さんのこの切り替えのよさ。これも高校生のメンタルのなせる技だろうか?


(僕もあと数年したら、霞さんみたいになれるのかなあ?)


 こんな風に気持ちをコントロールできるというのは、正直憧れる。そんな事を考えているうちに、霞さんの家の前までついてしまった。

 何だか長いような短いような道中だった。玄関の前に立った霞さんは、振り返って僕を見る。


「どうする?上がっていく?」

「いいえ、今日はもう帰ります。買い出しにも行かなきゃいけないので」


 今日は日曜だから特売も多いはず。すると霞さんはクスリと笑う。


「相変わらず家事ばっかりで大変だね。まあそんな風に頑張る所が八雲くんの良い所なんだけど」

「別に普通じゃないですか?」

「ううん、十分頑張ってるよ。それじゃあ、残念だけどまた今度ね。さーちゃんにもよろしく言っておいて」


 そう言って霞さんは後ろを向き、玄関のドアに手を掛ける。

 けど、このまま帰ってしまって良いのだろうか。そりゃあ帰ると言ったのは僕だけど、今日は格好悪い所しか見せていない。そう思うとどうしてもこのまま終わろうという気にはなれず、気が付けば声を出していた。


「霞さんっ」

「なに…」


 霞さんが振り返る。僕はそれに合わせて、少し背伸びをした。


「―――ッ⁉」


 霞さんが息を呑む音が、微かに聞こえた気がした。だけどその表情を確かめることはできない。

 なにしろ僕は、霞さんの頬に唇を当てている…所謂頬キスをしている最中だったのだから。


 …………時間にしてほんの一秒くらいだっただろうか。

 背伸びをするのを止めた僕はそのまま一歩下がり、霞さんに目を向ける。すると向こうも目を白黒させ、キスされた頬を赤く染めながら僕を見ていた。


「これが今の僕の精一杯です。この続きは、もう少し大人になってからにしますから、その時は覚悟して下さいね」


 そう言ってニッコリ笑った後、踵を返す。

 リードされっぱなしであまりに情けなかったから、最後にちょっと背伸びをしてみたけど、ちゃんと出来てただろうか?

 振り返って様子を確かめたかったけど。早くこの場を離れないと、何だか色々やらかしてしまいそうで怖い。

 そんな訳で後ろを振り返ることなく、僕は元来た道を帰って行った。


 さて、僕が去った後の霞さんはというと、少しの間呆然とした様子で立ち尽くしていたけれど。


「八雲くん…いったいどこでそんな技を覚えてくるの?」


 顔を真っ赤にしながら、玄関の前で座り込んでしまっていた。もちろんそんなこと、僕は知る由も無かったけれど。

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