その12センチを追いかけて 12

 何はともあれ、これでやっと姉さんの進路という本来の目的について話すことができる。霞さんは真顔になり、じっと姉さんを見つめた。


「さーちゃんが就職を急ぎたいって言う気持ちも分からないわけじゃないよ。だけどそれって、八雲くんの為にやっていることだよね。違うとは言わせないよ」

「それは…」


 姉さんがぐっと言葉に詰まる。そうやって僕のことを考えてくれるのは嬉しいけど、行き過ぎてしまうのは考え物だ。


「八雲くんの為を思うのは良い事だよ。だけどそれが、本当に八雲くんにとっていい結果になるかどうかは別の話。ねえ、例えばもしも八雲くんが中学を卒業すると同時に働きたいって言いだしたらどうする?」

「そんなのダメよ!せめて高校くらいは出ておかないと。そりゃあ中卒の人を悪く言うわけじゃないけど、それじゃあ私が働く意味が無いじゃない」

「じゃあその時、さーちゃんが働くのを急いだから自分も働くんだって言ったら、反論できる?中学と高校の違いはあっても、やろうとすることは一緒なんだよ」

「それは…」


 姉さんは言い返せないまま、気不味そうな目で僕を見る。霞さんの例は流石に極端だとしても、今後似たような事を僕が言いだす可能性は確かにある。

 姉さんが自分を犠牲にして働こうとしているのに、僕だけそれに甘えていいのだろうか?そんな考えを、常日頃から持っていたのだから。


「さーちゃん。八雲くんはしっかりしているけど、まだ子供なんだから。さーちゃんが見本になってあげなきゃダメじゃない。ちゃんと自分のことをしっかり考えて、やりたい事はちゃんとやるって所を。でないと八雲くん、このままじゃ窮屈な生き方しかできなくなっちゃうよ」


 聞いていて僕まで耳が痛くなってきた。もしかしたら客観的に見れば、僕も姉さんと同じように自己犠牲が強いように映っているのだろうか。そう疑問に思っていると、姉さんが静かに口を開いた。


「…そんな子供を好きになったクセに」

「――――ッ!八雲くんだから良いの!」


 理屈にも何にもなっていない反論をする。だけど姉さんもこれ以上ごねるつもりは無かったようで。。クスリと笑った後、息をついて霞さんを見る。


「分かったわ。私だって八雲にとって、ダメな見本になりたくはないしね」

「それじゃあ」

「進学の件、視野に入れてみる。言っておくけど、考えた末やっぱり就職にするかもしれないいからね」

「全然構わないよ。私達はさーちゃんに就職してほしくないんじゃなくて、自分のことをちゃんと考えてもらいたいだけなんだから。そうだよね」


 霞さんに振られ、僕と基山さんはそろって頷く。


「うん。真剣に考えて出した結論なら、僕だって応援するから」

「大学の資料なら僕も集めているから、今度一緒に見てみよう。オープンキャンパスに行ってみるのも良いし」

「そうね、それも良いかもね。けどその前に…霞」


 姉さんは霞さんへと向き直り、そしていきなり……土下座をした。


「この前はごめん、酷い事を言って」

「ちょっとさーちゃん、顔を上げてよ。大丈夫、怒ってないから」

「ダメ。ちゃんと謝らなきゃ私の気が治まらない。霞は義妹になるかもしれないって言うのに、あんな酷い事を言うだなんて。これじゃあ意地悪な小姑よ」

「姉さん、話が飛躍しすぎだよ」


 そんなのはまだ十年くらい先の話だ。まあ、そうなれば良いなあとは思ってはいるけど。

 姉さんはもう一度ごめんと謝った後、霞さんの手を強く握った。


「八雲は私のたった一人の弟で、大切な家族だから。八雲の事、よろしく頼むわね。それから八雲!」

「はいっ!」


 霞さんは迫力に押され、思わず背筋を伸ばしてしまう。そして姉さんはそのまま、今度は僕の両頬に手を触れる。


「霞は私の親友なんだから、決して悲しませるような事はしないでね。年下でも中学生でも、八雲は男の子なんだから。何かあった時は、しっかり支えてあげるのよ」

「それは分かってる。絶対に霞さんを泣かせるような事はしないよ」


 そう答えて霞さんを見ると、照れたように顔を逸らされてしまった。ちゃんと顔を見られなかったのは残念だったけど、それが僕を意識しての行動だったのなら嬉しい。

 そんな事を考えていると、基山さんがパンパンと手を叩いた。


「さて、話がまとまったところで、ちょっと遅いけど夕飯にしよう。みんなお腹すいてるでしょう」


 言われて時計に目をやると、時刻はもうすぐ8時になろうとしていた。長々と話している間に、ずいぶん時間が経っていたようだ。


「そうね。確かお鍋を作るって言っていたわよね。待っててね、すぐ用意するから」

「それじゃあ僕も手伝うよ。あ、霞さんと基山さんはゆっくりしていて下さい。お客さんなんですから」


 手伝う気満々だった二人にそう言った後、僕と姉さんは夕飯の準備を始める。

 姉さんがちゃんと自分の将来と向き合ってくれて、霞さんと仲直りして。そして僕は成り行きとはいえ霞さんと付き合う事になって。今日は本当に色々な事があったなあ。


 ちょっぴり疲れたけど、良いこと尽くしの日だった。その後四人で囲んだお鍋はとても温かく、今まで食べてきたどんな料理よりも美味しく感じられた。




            ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 霞さんと姉さんが仲直りをしたその夜、霞さんは僕等の家に泊っていった。その代わり僕は基山さんの家に御厄介になったけど。

 姉さんと霞さんは夜通し僕の話題で盛り上がるなんて言っていたから、きっと家にいたら気になって眠れなかっただろう。

 そうして朝になって。起きて朝食を終えた後、僕は霞さんを家まで送って行くことになった。


 霞さんと二人で並び、アパートの前までは姉さんと基山さんも見送りに来てくれている。


「八雲、霞の事をお願いね」

「了解。お昼にはちゃんと戻るから」

「じゃあね、さーちゃん。基山くん。明日また学校で」


 各自挨拶をした後、僕お霞さんは歩いて行く。




           ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 僕等が去った後、見送っていた姉さんはフウっと息をつく。


「八雲と霞…か」

「あの二人なら心配無いよ。それとも水城さんは不安なの?」

「そうじゃないけどね。ただ、今まで私だけ何も知らなかったって言うのが、やっぱり寂しくて。基山も、何も言ってくれなかったし」

「それは本当にごめん。八雲に話さないでって言われていたから」

「それは分かってる。悪気が無かったってことも。ただね…」


 そう言って上目遣いで基山さんを見る。


「気にしているのは八雲のことじゃなくて、基山のことかな。ずっと隠し事をされてたなんて思うと、ちょっとは気にするわよ…彼女なんだから」

「え?ご、ごめん」

「だから謝らなくて良いわよ。けど、もう隠し事なんて無いわよね?」


 確認するようにそう尋ねると、基山さんはニッコリと笑う。


「大丈夫、もう秘密なんて無いから。僕だって本当は、水城さんに隠し事なんてしたくは無かったよ。もしかして、不安にさせちゃった?」

「少し、ね。けどもう良いわ。過ぎたことをいつまでも引きずっていたら、悪い見本になりかねないもの。これからは姉として、良い見本になれるようにしなくちゃ」

「見本って言うと、何の?」

 尋ねはしたけど、基山さんも答えは想像ついているのだろう。ほんのりと頬を赤く染めながら姉さんを見ている。そして姉さんはクスリと笑った後、それに答える。

「彼氏彼女としての見本よ。もちろん基山も、協力してくれるわよね?」

「―――ッ!もちろん!」


 満面の笑みで返事をする基山さん。

 普段は付き合っているのかいないのか分からない二人だけれど、僕の知らない所ではちゃんと仲良くやっているのだった。

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