その12センチを埋めたくて 3

(あれ、あの人って?)


 不意に道の脇に立つ一人の女性に目が留まった。

 紺色のブレザーにチェック柄のスカートは、姉さんの通う学校の制服だ。そしてその制服に身を包む、綺麗な黒髪を背中まで伸ばしたその人には見覚えがあった。


(確か、霞さんだったかな)


 彼女は田代霞たしろかすみさん。姉さんと一番仲が良い、同じクラスの友達だそうで、僕も何度か会った事がある。制服ということは、学校帰りだろうか。

 ただ、霞さんは困った顔をしていた。何故なら。


「なあ、本当にすぐすむから。ちょっと俺達に付き合ってくれないか」


 そう言っているのは髪を金色に染め、耳にピアスを付けた男性。そばには同じような格好の男の人がもう二人いて。何やら霞さんを強引に誘っているようだ。


「あの、ちょっと用事があるので」


 やんわりと断ろうとする霞さん。

 だけど男は引き下がろうとしない。むしろこのままでは逃げられるとでも思ったのか、手を伸ばして霞さんの腕を掴んできた。


「なあ、用事って何?ちょっとくらい良いだろ」

「ちょっと。やめて下さい」

「悪い、痛かった?俺らに付き合ってくれるなら、すぐにでも放してあげるんだけど」


 言ってる事が無茶苦茶だ。霞さんは明らかに嫌がっているのに、まるで言う事を聞くのが当たり前みたいな物言いに腹が立ってきた。

 ああ、これがナンパというやつか。本やテレビでなら見たことはあるけど、こうして実際に目の当たりにするのは初めてだ。

 それにしても、彼らのやり方はどうかと思う。霞さんは用事があると言っているのだから、ここは素直に引き下がるべきだろう。にも拘らず彼等は、霞さんの事情などお構いなしに強引に迫っている。


 霞さんはこういった事態に慣れていないのか。さっきから強くは言えないでいる。これが姉さんだったら、相手を睨みつけて退散させてそうだけど、皆が皆そうできるわけじゃない。

 街行く人達の中にはそんな霞さん達が気になるのか、チラチラと遠目で様子を窺う人もいるけれど。声を掛けたり、霞さんを助けたりしようとする人は現れない。


 そうなると、僕はどうしたら良いのだろう。お話とかだとこうしている所に割って入って、格好良く助ける所だけど、僕にそんな事ができるはずがない。

 だからと言って何もしないというのは論外だ。目の前で困っているのに、見て見ぬフリをするだなんてできない。そうなると……


(上手くいくかな?)


 ちょっと心配だったけど、思いついたアイディアを実行に移すことにした。霞さんの方へと歩み寄り、大きな声を出す。


「姉さん、こんな所にいたんだ」


 瞬間、霞さんも絡んでいた三人も、一斉に僕へと目を向ける。

 思わぬ乱入者の登場に、みんな呆気に取られている様子。特に霞さんは僕をまじまじと見つめ、驚いたように口を開く。


「えっ?八雲く……」

「探したよ。買い物途中で急にいなくなるんだもの。向こうで父さんや母さんも探しているよ」


 霞さんの言葉を遮るように僕はまくしたてる。ここで下手なことを言われてボロを出されたらこの作戦は失敗だ。けど、どうやら霞さんは察してくれたようだ。


「ゴメンね。ちょっと探し物をしてて。それじゃあ戻ろうか」


 絡んでいた男達に気付かれないよう、こっそりウインクしてくれて、僕も頷いてそれに答える。どうやら意思は通じ合っているようだ。

 僕の考えた作戦。それは霞さんが家族で来ていると思わせる事だった。

 弟を演じる僕が両親も近くにいると言えば、強引な彼等も諦めるだろう。さすがに家族連れの人をナンパするほど非常識じゃないはず。

 チラリと視線を送ると男達はまだ呆けている様子だったけど、掴んでいた手から力が抜けたようで。霞さんはすかさずそれを振りほどくと、男達に向き直った。


「と言うわけで両親を待たせているので、これで失礼します」


 一礼の後に彼等に背を向け、そっと僕に手を伸ばしてくる。

 より姉弟っぽく見せるための演出だと理解した僕はその手を取る。もっとも、両手いっぱいに袋を抱えているから上手く繋ぐことが出来なかったけど。


 まあ多少不格好でも姉弟に見えないことは無いだろう。霞さんは僕よりも背が高いので、少し見上げるように霞さんを見ると、向こうも同じように僕を見下ろしている。


(あ・り・が・と・う)


 霞さんの唇がそう動いた。

 さて、本当に上手く誤魔化せたかどうか。そっと後ろを振り返ると、さっきの男達がバツの悪そうな顔をして頭を掻いていた。


「なんだよ、コブ付きだったのかよ」

「行こうぜ、可愛い子なんてもっと他にもいるだろう」

「あーあ、時間の無駄だった」


 何やら好き勝手なことを言いっている。けど、どうやらちゃんと僕と霞さんを姉弟と思ってくれたようだ。あの調子だとこれから他の人にも声を掛けそうな勢いだから、ちょっと心配ではあるけど。

 まあ今は霞さんを無事連れ出すことができたのだから良しとしよう。


「ねえ、八雲くんだよね」

 

 霞さんがそっと顔を覗き込んできたけど、僕はすぐに口元に指を立てて言葉を遮った。そして、周りに気付かれないよう小声で囁く。


「念の為不用意な会話は止めましょ。もし彼等に聞こえて、嘘がバレたら面倒そうです」

「…了解」


 再び口を閉じた僕等は、黙って歩いて行く。歩きながら、少しだけ口角が上がっている事に気が付いた。

 不謹慎だと言う事は分かっているけど、このバレてはいけないというスリリングな状況を、ちょっとだけ楽しいと思ってしまっている自分がいる。まるでちょっとしたイタズラをしているような、そんな感覚。

 普段の僕なら決してこんな風には思わない。けど、今回に限って思ってしまったのは…

 

 隣を歩く霞さんを見上げる。楽しいと思ったのは、もしかしたら霞さんがいるおかげかも。普段家事をすることの多い僕は、放課後こうして誰かと何かをやるというのは久しぶりだから、ついテンションが上がってしまったのかも。でも、悪い気はしない。


 霞さんに気付かれないよう、僕はこっそりと笑みを浮かべるのだった。

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