その12センチを埋めたくて 4

 少し歩いたところで後ろを振り返ってみたけど、男達の姿は無い。ホッとした僕は、隣を歩く霞さんに目を向ける。


 霞さんは僕より10センチ…いや、12センチくらい背が高いので自然と見上げる形となる。すると、同じくこちらを見ていた霞さんと目が合った。


「えっと、八雲くんだよね。さーちゃんの弟の」


『さーちゃん』というのは、姉さんの事。皐月という名前の最初の一文字をとって霞さんは『さーちゃん』というあだ名で呼んでいるのだ。

 僕は繋いでいた手を放し、霞さんへと体を向ける。


「はい、お久しぶりです。すみません、急なお芝居に付き合ってもらって」

「いいよ。むしろ感謝してるから。八雲くん、私が困っているのを見て助けてくれたんでしょ。ありがとう、助かったよ」


 笑顔をみせてくれたのでホッとした。ちょっと強引な方法だったから迷惑じゃなかったかと少し心配していたけど、この様子なら大丈夫そうだ。

 霞さんとは姉さんを通じて何度か会ったことはあるけど、こうして二人で話すのは今日が初めて。

 だけど霞さんは物腰柔らかで。この様子だと話していて緊張することも無さそうだ。


「ゴメンね。ああいう時上手く断れなくて。さーちゃんだったらハッキリ嫌だって言えるんだろうけど」

「そうかもしれませんね。姉さんは時々来るセールスも十秒で追い返しますから。ああいう事ってよくあるんですか?」

「まあ、時々は」


 視線を逸らされた。この様子だともしかしたら結構声を掛けられることがあるのかもしれない。霞さんは綺麗な人だから納得がいくけど。


「ところで、八雲くんは買い物?何だか随分と大荷物だけど」


 話題を逸らすように、僕の両手に抱えられた荷物を見ながら尋ねてくる。


「はい。今日は色んなスーパーでタイムセールがある日なので」

「そうなんだ。偉いね、さーちゃんのお手伝いだなんて」

「ただのお使いですよ。姉さんは毎日バイトしているんですから、これくらい僕がやらないと」

「それでもだよ。さーちゃんから聞いたけど、洗濯したり料理も作ったりしているんでしょう。私が八雲くんくらいの時は、親に任せきりだったもの」

「そんな、大したことじゃないです」


 小さい頃から家事はよく手伝っていたから、別に凄い事をしているとは思わない。だけら霞さんはそんな僕を見ながら感心したように声を出す。


「十分頑張ってるよ。良いなあ、私も八雲くんみたいな弟が欲しいなあ」


 思わず苦笑してしまう。こんな風に褒められるのは照れるけど、悪い気はしない。

 すると霞さんは、今度は僕の抱えている大量の荷物に目を向ける。


「ところで、こんなにたくさん荷物、重いでしょ。半分持つよ」

「えっ?いいですよ、自分で持てますから」


 たしかにこれはちょっと重いけど、だからと言って手伝ってもらうというのは気が引ける。だけど向こうも譲る気は無いようだ。


「いいからいいから。八雲くん、さっき私のこと『姉さん』って呼んだよね。ということは今、八雲君は私の弟でしょ。だったらお姉ちゃんの言う事は素直にきく」


 そう言って僕の持っていた荷物を半分、強引に手に取る。たしかに『姉さん』とは呼んだけど、アレはナンパしてた人達を諦めさせるためであって。そんな姉弟設定をまさかこんな風に使われるとは思わなかった。


「さっきは助けてもらったんだし、これくらいは手伝わせてよ……うっ、見た目より結構重いんだね」

「あの、やっぱり僕がもちましょうか?」

「平気平気。ちょっと重いけど、なんてこと無いから。登山時に行くときのリュックの方がよっぽど重たいし」


 そう言えば霞さんは登山が趣味らしいと、姉さんが言っていた気がする。一見大人しそうな見た目からはそんな風には見えないけど。

 さて、ちょっと申し訳ない気もするけど、ここまでやってもらったんだ。せっかくの好意を無下にするのも気が引けるし、ここは霞さんに甘える事にしよう。正直、軽くなって助かったのも事実なんだし。


「それじゃあ、お願いできますか?」

「うん。お姉さんに任せてよ」


 そんなわけで二人して僕が住んでいるアパート、『八福荘』へと向かう事にした。

 二人並んで歩いている途中、不意に霞さんが尋ねてくる。


「ねえ、八雲くんは学校が終わった後、いつもこんな風にお使いにきてるの?」

「いつもではなく、たまにですね。安い時に大量に買うようにしているので。普段は宿題をするか、家の掃除や洗濯をしています」

「そうなんだ。でも毎日それじゃあ、遊ぶ時間もないんじゃないの?」

「あっ、もちろん遊んだりもしていますよ」


 慌ててそう言ったけど、何だか取って付けたような言い方だったかな。けど、本当に遊ぶ時間が全く無いわけじゃない。週に一回か二回くらいは家事をお休みして、ちゃんと遊んだりしている。

 だってそうでもしないと、かえって姉さんに気を使わせちゃうから。


「それじゃあ霞さんは、学校が終わった後普段は何をしてるんですか?」

「私は家に帰って宿題か、塾に行くかな。あとは普通に遊んだり。今日も欲しいCDがあったから寄り道してたけど」

「塾、ですか」


 僕には縁遠い言葉だ。だけどそれだと、霞さんも遊ぶ時間は限られているんじゃないかなあ。もちろん塾や宿題の無い日もあるだろうけど。高校生ともなると、やはり勉強が忙しいのだろう。


「あと、犬の散歩はよくするかな」

「霞さん、犬を飼っているんですか?」

「うん。ゴールデンレトリーバーの雄をね」

「ゴールデンレトリーバーかぁ。フサフサしてそうですねえ」


 思わず霞さんがゴールデンレトリーバーを散歩させている姿を想像する。きっと大きくて可愛い犬なんだろうな。そんな事を考えていると、霞さんが笑いかけてくる。


「犬、好きなの?」

「はい。犬に限らず、動物はみんな好きです。」


 犬の甘えてくるところも、猫の気まぐれな性格も、見ていてとても愛らしくて癒される。

 霞さんがしているように、自分で飼って育てたいと思った事ももちろんある。

 だけど生憎うちのアパートはペット禁止だし。そもそも飼うとなると餌代や予防接種など何かとお金がかかるし。きちんと面倒を見るのも、口で言うほど簡単じゃないだろう。可愛いから飼いたいなんて軽い気持ちで欲しがるわけにはいかないのだ。

 そそんなことを考えていると、霞さんはまるで僕の心を読んだかのように笑いかけてくる。


「ねえ、そんなに好きなら、今度うちの犬見に来ない」

「えっ、良いんですか?」

「うん。八雲くんさえ良ければ」


 願ってもない提案だ。普段犬と接する機会なんてあまりないから、ぜひともお願いしたい。


「それじゃあ、いつが良いかな?散歩の時にここの近くの公園を通るんだけど、その時に会えないかな。明日の夕方って時間空いてる?」

「はい。明日なら大丈夫です」

「それじゃあ明日の夕方、公園で持ち合わせで良い?場所、分かるかな?」


 その公園なら僕もよく知っている。

 こうして犬を見せてもらう約束をしているうちに八福荘までたどり着き、門の前で持ってもらっていた荷物を受け取った。


「お茶を淹れますから、上がって行って下さい」

「ううんん、気を使わなくてもいいよ。それに、今日はもう帰らなくちゃいけないから」


 手伝ってもらったのにお茶の一つも出せないというのは気が引けるけど、もしかしたら用事があるのかもしれないし。無理に引き止めるのは良くないだろう。


「それじゃあお茶はまたの機会ということで。今日はありがとうございました。帰り道、気を付けて下さいね」

「私の方こそ、助けてくれてありがとう。それじゃあまた明日、今度は公園でね」

「はい。また明日」


 そうしてしばらくお互いに手を振っていたけど。姿が見えなくなったのを確かめると手を振るのを止め、二階の自室へと続くの階段を上っていく。


(霞さん、優しかったなあ)


 荷物を運ぶのを手伝ってもらったり、犬を見せてくれると言ってくれたり。本当に良い人だ。

 もしかしたら両親がいない僕に気を使ってくれているのかもしれない。


(明日会ったら、もう一度お礼を言おう)


 そんな事を思いながら、僕は部屋のドアを開けた。

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