その12センチに追いついて 18

 それは霞さんに初めて好きだと言った時と同じくらい緊張する、十二年ぶりの一大告白だった。指輪を前にした霞さんは目を白黒させていたけど、やがて我に返ったようにハッとなった。


「えっ…ええええ―――ッ⁉」


 とたんに絶叫が響く。本当に周りに人がいなくて良かった。もし待ち合わせ場所が喫茶店で、そのまま話していたら、きっと周囲の注目を浴びていたに違いない。


「え、えっと。これってまさか。こ、こんや…こやく、ゆ…」

「婚約指輪です」

「―――ッ!」


 あ、絶句した。まあ無理も無いか。


「驚かせてしまってごめんなさい。自分でもまだ早いかもとは思います。まだ大学も出ていないのに、こんなものを渡そうとするだなんて」

「驚いたのはそこじゃないから!と言うか、どうやってこれ買ったの?高かったでしょ。まさかどこからかお金を借りたんじゃ?」

「ご心配なく。お金は節約とバイトで貯めました」

「いや、そうは言っても簡単に買えるものじゃないでしょ」

「節約とバイトで貯めました」


 霞さんは驚いているようだけど、本当にそれだけで貯めたのだ。小さい頃から節約志向だった僕は夏の炎天下でも熱中症を恐れないでエアコンを付けず、少しでも安い食材を求め日々スーパーをはしごしていた。

 そしてアルバイト。少しの暇さえあればバイトをしていたのは、こういう理由があったから。寝る間を惜しんで働いて、ようやく買う事が出来たのだ。


「これから指輪を渡そうって言うのに、借金なんて作れませんよ」

「それは分かったけど。でも、指輪って」

「気に入って頂けませんか?」

「そんなこと無いけど…」


 何だか煮え切らない感じ。これは失敗したかも。しかしそう思っていると、神妙な面持ちで口を開く。


「八雲くんは、本当にそれで良いの?今回の事で分かったと思うけど、私は相当面倒な女だよ。またいつ酷い事を言うかもわからないし、悩んで迷惑を掛けるかもしれない」


 霞さんは随分と気にしている風だけど、僕にしてみれば何だそんなことかといった感じだ。


「構いませんよ。それを受け入れられないなら、今まで追いかけてきた意味がありません」


 そして僕は、胸に秘めていた気持ちを語り始める。


「僕だって、本当はずっと不安だったんです。付き合うことになってもやっぱり年の差は埋められませんし、会えない日が続いた事もありますし。いつか霞さんが他の誰かを好きになって、離れて行くんじゃないかって、ずっと焦っていました」

「そんなこと思ってなの?私が好きなのは、ずっと八雲くんだけだよ」

「それでも、僕はそれを信じられるほど強くはありませんでした。指輪を用意したのだって、これを渡しておけば見捨てられずにすむんじゃないかって思って、みっともなくもがいていたんです」


 まだちゃんと働いてもいない学生なのに、急ぎすぎだとは思う。だけど、霞さんが言ってくれたのと同じように、僕にも霞さんしかいないから。何か形あるもので、僕らの関係を繋ぎ止めておきたかったのだ。


「覚えていますか?十二年前にここで告白して、その次の日もう一度決意表明をした時の事を」

「もちろん。忘れるわけないよ」

「あの時僕は十二センチあった身長差を例えて、いつか目線が追い付いた時、もう一度好きだと伝えると言いました。そうなる前に付き合う事は叶って、今では僕のほうが背は高いですけど、どうして追い付きたかったのか分かりますか?」

「ええと、私を振り向かせたかったから?」


 言ってて恥ずかしいのか、この寒さだと言うのに霞さんの顔は赤い。だけどその答えを聞いた僕は首を横に振る。


「もちろんそれも半分は正解ですけど、答えはもう半分あります。いつか同じ目線に立って人間的にも成長して、強くなって。その時は、霞さんの力になりたいって思ったからです」

 

 あれから十二年。僕は今でも強くなれたとは思っていない。些細な言葉で傷ついて、好きという気持ちすらちゃんと信じてあげられないような、弱い人間のままだ。だけど、それでも前に進むって決めたんだ。


「僕は全然強くありません。霞さんは僕を大人だと言っていましたけど、それだってただ背伸びしていただけ。本当の僕はもっと弱い人間です。だけどそれでも、霞さんの力になりたいという気持ちは、今も変わりません」


 これが、嘘偽りの無い僕の本心。

 頼りなくても弱いって思われても良い。霞さんが弱さを見せてくれたように、僕ももう取り繕ったりはしない。ありのままの自分を見てもらって、そして答えを出してほしかったから。


「もっと頼って下さい。頼ってくれれば、必ず霞さんの期待に応えます。もっと強くなることだってできます。だから…」


 ジッと霞さんの目を見て、もう一度指輪を差し出す。霞さんも僕を見たまま瞬きもせず、まるでと気が止まったように動かない。そして――


「…結婚してください」


 ……しばし沈黙が訪れる。

 答を聞くのが怖くて、何だか心臓の音がやけに大きく聞こえる。

 そうして今にも緊張で倒れそうになるのを、何とか我慢して踏みとどまっていると、霞さんが口を開いた。


「二つ、約束して」

「はい、何でも言ってください」

「私はきっとまた、八雲くんに迷惑を掛けちゃうけど。もしも私が悪いと思ったら、その時は叱ってくれる?」

「はい。もしもまた何か間違えるような事があれば、今度はちゃんと叱ります」



 これは竹下さんにも言われたけど、優しい言葉を掛けるだけじゃダメなんだ。時にはぶつかって、喧嘩もして。それで初めて分かり合えることもあるのだろう。


「それじゃあもう一つ、八雲くんも我儘を言う事。変に遠慮せず、たくさん言ってね。でないとこれは受け取れないよ」

「それはご心配なく。だって指輪を受け取ってほしいというのが、もう既に我儘なんですから」

「いや、そうじゃなくてね……まあ良いか。ちゃんと我儘言ってもらえるよう、私が頑張れば良いんだから」


 霞さん何か言いかけたけど、気がそがれたのかクスリと笑う。そして。


「こんな私でよければ…よろしくお願いします」


 そうしてそっと左手を差し出し、僕も笑みを浮かべながら、その手の薬指に指輪をはめる。 白く輝くダイヤモンドが、とてもよく似合っていた。


「なんだか不思議。少し前までは八雲くんが、何だか遠い所にいるような気がしてたけど、今は近くにいるんだって思える」

「それは僕も同じです。十二センチ、ようやく追いつくことができたのかもしれません」


 思えばここまで来るのに十二年かかっている。一年で一センチ距離を縮めるというスローペースで歩んできたってことなのかな。そのうえ近づいていたことに気付きもしないで、二人して空回りして。

 こんな僕等は間違っても誰かの見本になれるような、理想の恋人同士とは言えないだろう。だけどそれでも構わない。だってこれが、ありのままの僕達なのだから。


 少しの間そうして向かい合いながら笑っていたけど、霞さんのクシュンという小さなクシャミで我に返る。


「すみません。寒いのにこんなところに呼び出したりして。いいかげん帰らないと、風邪ひいちゃいますね」


 今まで仲直りする事や指輪を渡すことで頭がいっぱいだったけど、よく見たら霞さんはマフラーすらしていない。慌てて自分の巻いていたマフラーを外して霞さんの首に巻く。


「いいよ、八雲くんだって寒いでしょ」

「僕は平気です。それとも、さっきまで僕が使っていたマフラーじゃ抵抗がありますか?」

「ううん、そんなこと無い…って、分かってて聞いてるでしょ。目が笑ってるよ」

「バレましたか。けど抵抗が無いなら問題は無いでしょう。これは僕の我儘なんですから、受け取ってくれますよね」

「…意地悪」


 ちょっと拗ねたような、だけどどこか嬉しそうな霞さん。それを見ていると、僕も笑みが零れてくる。


「では、そろそろ行きましょうか」

「うん」


 僕等は二人して歩き出し、どちらが言うでもなく自然と手が繋がれる。

 もう目線の高さの違いも無ければ、互いを遠くに感じることも無い。僕等の間にあった12センチの差は、もう無いのだから。

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