その12センチを埋めたくて 8

 迎えた火曜日の放課後。僕は竹下さんと一緒にこの前と同じ公園にきていた。だけど竹下さんは緊張しているのか、何だかソワソワしていて落ち着かない様子だ。


「そう気負わなくていいから。今から合う霞さんはとっても優しい人だし、ハチミツも人懐っこいから」

「う、うん。どれなら大丈夫そう。頑張る」


 ダメだ、肩に勝力が入りすぎていて、全然リラックスできていない。まあ仕方ないか。ハチミツと触れ合う時は僕がフォローしよう。

 そう考えていると、前と同じように階段の下から霞さんが上ってくるのが見えた。


「あ、霞さんだ」

「え、どの人?」

「ほら、あの犬を連れた、髪の長いお姉さんだよ」


 視線を送ると霞さんもそれに気づいたように手を振って、ハチミツも楽しそうに尻尾を振りながらこっちにやってくる。


「ゴメンね、待った?」

「ええい、今来たところです。こっちが話していた友達の……」

「た、竹下恋です。今日はよろしくお願いします」


 竹下さんはそう言って頭を下げる。どうやら人見知りしているようで、ガチガチに緊張していて動きはぎこちなかったけど。

 霞さんはそんな竹下さんに優しい笑顔を向ける。


「竹下恋ちゃん…ねえ、恋ちゃんって呼んで良いかな?」


「はい、構いません」

「それじゃあ恋ちゃん、そう硬くならないで。でも、そうかぁ。恋ちゃんが八雲くんの……可愛い子じゃない」

「霞さん、変な勘繰りをするのはちょっと」


 どうやら心配していた通り、まだ僕達の仲を疑っていたらしい。竹下さんはどういう事か分かっていないようで、キョトンとしている。


「ごめんごめん。それじゃあ、早速ハチミツと遊んでみる?」

「はいっ」


 霞さんはハチミツを前に出し、竹下さんはゆっくりと手を伸ばす。しかし。


「ヴ―――」


 さっきまでのご機嫌な様子とは打って変わって、ハチミツはいきなり唸り出した。

 慌てて手を引っ込める竹下さん。僕はハチミツの警戒を解こうと、その体をそっと撫でる。


「大丈夫だから。警戒しないで、ね」


 するとハチミツは、とたんにじゃれてくる。どうやら僕のことを覚えてくれていたようで、とても嬉しい。さあ、緊張も解れたようだし、今度は竹下さんの番だ。


「おいで、今ならきっと触れるよ」

「う、うん」


 念の為僕が間に入り、竹下さんが少しずつハチミツに近づいていく。僕が一緒ならハチミツもきっと平気なはず。そう思っていたのに。


「バウッ!」


 大きく一鳴きしたかと思うと、ハチミツは僕の手からも離れて距離をとってしまった。


「あ…あぁぁ」


 泣きそうな顔をして、今にも崩れ落ちそうな竹下さん。そんな、まさか人懐っこいハチミツでもダメだなんて。


「えっと……どうやらハチミツ、今日は機嫌が悪いみたい」


 フォローしようと慌ててそう言ったけど、どうやらそれは意味をなさなかったようで。竹下さんはまるで失意のどん底に落ちたような目でハチミツを見つめている。


「ごめん、怖がらせて。やっぱり、私が動物と仲良くなろうって思ったのが間違いだったんだ」


 マズイ、本気で落ち込んでいる。元気付けるつもりで連れてきたというのに、これじゃあ逆効果だ。

 だけどオロオロしている僕をよそに、様子を見ていた霞さんは優しい口調で竹下さんに語り掛ける。


「大丈夫だよ。ちょっと待っててね」


 そう笑いかけた後、今度はハチミツに向き直る。そして。


「ハチミツ、お手」


 するとさっきまでの警戒心はどこへやらハチミツは慣れた様子で、霞さんにお手をする。そして霞さんは空いているもう片方の手で竹下さんの手を取りその二つを近づけた。


「力を抜いて、そっと近づけるの。そうすればほら、ちゃんと触れるでしょ」


 本当だ。さっきは吠えていたハチミツだったけど、今は興奮した様子も無く竹下さんに触れている。


「ゆっくり手を放してみて。次は、頭を撫でてみようか。手は前から持っていくんじゃなくて、後ろから。怖がったりしたら不安な気持ちが伝わっちゃうから、落ち着いてね」

「はい、やってみます」


 するとどうだろう。霞さんの言う通りにするとハチミツも嫌がる様子は無く、竹下さんを受け入れている。


「すごい、撫でられた」

「でしょう。もう少しこうしていたら、私がいなくても大丈夫になるよ」


 そうしてハチミツは竹下さんに顔をくっつけたり、ゴロンと仰向けになってお腹を見せたりするなど、全く警戒心の無い行動をとっていく。この頃になると竹下さんもすっかり慣れた様子で、お手などをさせている。

 本当に凄い進歩だ。もう霞さんがいなくても二人はすっかり仲良しといった感じで、竹下さんはとても嬉しそうに笑っている。

 けど僕はその様子を、少し複雑な気持ちで眺めていた。


「八雲くん、どうかしたの?」


 気持ちが態度に出てしまっていたのか、僕の様子を見た霞さんが尋ねてくる。


「ちょっと思う事があって。今回僕は何の役にも立てなかったなあって」


 自分から誘っておいたのに、僕では竹下さんとハチミツを仲良くさせることができなかった。霞さんが上手くやってくれたから良かったものの、これではあまりに不甲斐無い。ところが。


「え、そんなこと気にしてるの?」


 キョトンとした様子の霞さん。そしてすぐにいつもの笑顔に戻る。


「そりゃあ世の中上手く行くことばかりじゃないよ。ハチミツだって初めて会う人みんなとすぐに仲良くできるわけじゃないんだし」

「でも、霞さんは上手に誘導していましたよね」

「そりゃあ家族だからね。扱いには慣れてます。八雲くんだってもっと慣れれば、そのうち出来るようになるって。それに、ね」


 霞さんは少し屈んで、僕に目線を合わせてくる。


「八雲くんが恋ちゃんを連れて来ようって思って動いたから、後に繋がったんだよ。それだけでも十分頑張ったよ。だから小さなことばかり気にしてちゃダメだよ」


 諭すように頭を撫でてくる霞さん。こんな風に言われては、頷くしかないじゃないか。実際励まされたことで気持ちも楽になったけど。


(まあいいか。竹下さんも喜んでいるみたいだし)


 楽しそうにハチミツとじゃれ合う竹下さん。こんなに喜んでくれているんだ。たしかに小さなことで悩むことも無いか。

 しかしそう思ったのも束の間。霞さんはまたしてもおかしなことを言ってきた。


「大丈夫、恋ちゃんはちゃんと八雲くんに感謝してるよ。どうする?今から告白するならどこかに行っておくけど」

「まだその誤解解けてなかったんですか⁉」


 このやり取り、いったい何度目だろう。幸いなのは竹下さんがこの会話に気付いていないという事。聞こえていたら面倒なことになっていただろう。

 もう何を言っても無駄な気もするけど、それでも誤解を解こうと口を開く。


「何度も言いますけどそうじゃないですから。友達ですよ、ト・モ・ダ・チ!」

「あ、そうだったっけ。ごめんねー」


 そう言ってまたしても頭を撫でてくる。

 本当に分かってくれたのかなあ?完全に子供扱いしてはぐらかそうとしているし。まあ実際に子供なのだからこんな風に扱われても仕方が無いんだけど。


 けど、なんだか霞さんから子ども扱いをされるというのは、何と言うか、嫌だ。

 理由は分からないけど、何故かそんな気持ちになってしまうのだ。とは言え頭を撫でている手を振り払ったりしたら失礼だし。さて、どうしたものか。

 撫でられている頭を捻りながら考える。


 けど、この時僕は気づいていなかった。さっきまでハチミツと遊んでいた竹下さんが、じっと僕等の様子を見ていることに。


「八雲くん、もしかして……」


 そんな竹下さんの呟きは、僕の耳には届いていなかった。

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