その12センチを追いかけて 15
霞さんの言ってた通り、やってきた中庭には殆ど人の姿は無かった。どうやら生徒はみんな校舎や正門辺りに集まっているようだ。
幸い後ろから追ってくる影は無い。ホッとしたところで、僕はようやく手を放す。
「すみません、ちょっと乱暴なやり方でした」
「いいよ、困っているのを見て助けてくれたんでしょ。何だか前にも、こんな事があったよね」
そう言えばあったなあ。町で霞さんが強引なナンパに会っているのを見て助けたんだ。あの時は付き合う事になるだなんて、思ってもみなかった。
「けど、あの時とは状況が違います。確かに助けたいって言う気持ちもありましたけど今回は…霞さんと二人になりたかったと言う部分が大きいですから」
それを考えると、ちょっと罪悪感がある。だけどそれを聞いた霞さんも、照れた様子で口を開く。
「それは、私も同じかな。八雲くんと二人きりになりたいって思ってた。だってあと一カ月もしたら、中々会えなくなるもの」
そう言って少し切なそうな顔になる。
実は霞さんは、四月からこの町を離れることが決まっている。無事に進学が決まったのは良いけれど、その学校というのが遠くにあって。家から通うのが困難なため、寮に入ることにしたのだ。だからもう今までみたいに、簡単に会う事は出来ない。
「あーあ、こんな事ならやっぱりもっと近場の学校を選べばよかったかなあ」
「寂しいですけど、仕方が無いですよ。だって霞さん、写真の勉強をするのでしょう。だったらちゃんとそれに合った大学を選ばないと。その選択は間違ってないと思いますよ。それとも、後悔しているのですか?」
「ううん、そんな事は無いよ。さーちゃんにはちゃんとやりたい事をやるように言ったんだもの。偉そうなことを言っておいて、私だけ中途半端な進路は選べないもの」
霞さんも自分の進路に大いに悩み、本格的に写真の勉強をすることにしたのだ。たくさん勉強して撮影技術を学び、将来はカメラマン…になるかどうかはまだ分からないそうだけど、とにかく写真に関する仕事に就きたいと言って張り切っていた。そのため4月からは、写真の専門学校に通うのだ。
だけど、今日の霞さんは何だか少し寂しそう。やっぱり住み慣れた地元を離れるとなると、いろいろ思う所があるのだろう。
その気持ちは分からないでもない。僕も母さんが死んで転校を余儀なくされた時は、やっぱり少し不安はあったのだから。
霞さんと簡単には会えなくなると言うのは、もちろん僕だって寂しい。だけど…
(僕が今すべきことは後ろ髪を引くことじゃない、背中を押す事だ)
せっかくの門出に、後ろ向きな気持ちにさせてはいけない。僕はまっすぐに霞さんを見て、そして言った。
「霞さん、覚えていますか?いつか目線が追い付いた時。もう一度好きだと伝えたいって僕が言ったことを」
「うん。覚えているよ。けどもう身長差も無いよね」
確かに僕等の背丈はほとんど同じで、目線の高さも合っている。だけど僕が追い付きたいのは単に身長だけの話では無い。
「背は追い付きましたけど、僕はまだ一人の人間として、霞さんに追いついたわけじゃありません。結果的に追いつく前に付き合い始めたわけですけど、追いかけるのをやめたわけではありませんから。だから追いつくまで待っていてほしいって、ずっと思っていました」
「追いつくって、八雲くんはもう十分成長したじゃない」
「いいえ、まだです」
僕はまだ中学一年。霞さんと比べてもまだまだ子供だ。だけど…
「あの時僕は待っていてほしいって言いました。だけどあれは、無かったことにしてください。もう待ってもらわなくても結構ですから」
「………え?」
とたんにこの世の終わりの様な顔をする霞さん。
「そ、それは遠くに行く私となんてもう付き合ってられないって事?わ、別れようって言いたいの?そんなのダメ!」
目を潤ませて、震える声で訴えてくる。しまった、言葉選びを間違えた。
「違いますよ!これは霞さんがどんなに離れて先に行っても、必ず追いついてみせるって言う意思表示です!だから心配せずに夢に向かって頑張ってくださいって言ったつもりだったんですけど」
「そ、そうだったんだ。良かったぁ~」
力が抜けたようにへなへなと座り込む霞さん。危なかった。危うく破局してしまうところだった。次からはもっとよく考えてから発言しよう。
「兎に角そう言う訳ですから、霞さんも迷わないで下さい。春休みにはケータイも買うんですよね。何かあった時は必ず連絡しますし、困った事があったらいつでも電話してきて下さい。辛い時は合いに行きます、寂しいなんて言わせません。だから、真っ直ぐ前に進んでください」
言いたい事は全部言った。稚拙だけど、これが僕の精一杯の励ましの言葉だ。するとそれを聞いた霞さんは、ゆっくりと口を開く。
「『何か』が無くても、連絡してくれる?」
「はい」
「私は八雲くんが思っているより、ずっと面倒かもしれないよ。しょっちゅう電話しても、鬱陶しいって思わない?」
「思うわけありません」
「進学しても上手くいくとは限らないんだよ。失敗が続いて、落ち込んでばかりいるかもしれない。そんな姿を見ても、嫌ったりしない?」
「しません。どうしてそんなにネガティブなんですか?その時は僕が霞さんを幸せにしますよ」
どうやら卒業式のしんみりした空気に当てられて、相当アンニュイになっているようだ。しかし僕の返事を聞くと、なんだかクスクスと笑い始めた。
「幸せにするって、それじゃあまるでプロポーズだよ」
「あっ…」
そう言えばそう聞こえない事も無い。勢いでこんな事を言ってしまうなんて、かなり恥ずかしい。だけど。
「良いんですよ、気持ちに偽りは無いんですから」
ここで引いては余計に恥になる。半ばヤケクソになりながらも平静さを保ったまま、そんな返しをしてやった。
「そうだね、そうだね。期待しているよ」
霞さんはそう言って頭を撫でる。こう言う子供扱いする所は相変わらずだなあ。
そんな事を考えていると、ふと校舎の陰から姉さん達が出てくるのが目に入った。
「ああ!二人ともこんな所にいたんだ。探したよー!」
どうやら僕達の帰りが遅いので探してきたようだ。本当はもうちょっと二人でいたかったけれど、あまり一人占めしすぎるのも良くない。
見ると霞さんも同じことを思ったのか、少し残念そうな顔をしながらも、目で「行こう」と訴えてくる。
「仕方ないですね。この続きはまた今度という事で」
そう言って僕等は姉さん達の元に歩きだす。どちらが言うでもなく、自然と手を繋ぎながら。
「そうだ、大事なことを言い忘れていました。霞さん」
「なあに?」
「卒業、おめでとうございます」
笑みを浮かべて祝福の言葉を贈ると、霞さんも微笑み返してくる。
その笑顔に追いつくために、僕は今日も追いかける。12センチあった僕等の距離が、縮まっている事を信じながら。
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