その12センチに追いついて 4

 一月四日。この日私は、実家からそう離れていない神社に足を運んでいた。

 毎年多くの参拝客が訪れるこの神社は三が日を過ぎても賑わっていて、私は人混みに呑まれないよう参道の脇に避難しながら、参拝客の様子をぼんやりと眺めていた。

 来た理由は特にこれと言って無い。ただ家にいてもすることが無く、なお且つ両親から将来について色々言われるのが嫌だったから出てきたのだ。


『霞、アンタももう27だろ。結婚の事とかちゃんと考えているの?何だったら良い人紹介してあげるから』


 里帰りしたその日から、お母さんは暇さえあればそんな話ばかりしてくる。

 そりゃあね。27にもなって浮いた話の一つも無かったら親としては心配もするよね。元々帰ってくるよう五月蠅く言っていたのは、その話をするためだったのだろう。だけどそれは、お節介が過ぎるというものだ。


『大丈夫だから。黙っていたけど、ちゃんと彼氏だっているんだから』


 そう言ってやったけど、返って藪蛇だったかもしれない。


『そうなの?だったらちゃんと紹介しなさいよ。それで、どんな人なの?』


 興味を持ってしつこく聞いてくるお母さんから逃げるため、こうして家を飛び出してきた次第だ。

 けどもし紹介したら、きっと驚いたに違いない。八雲くんと付き合うようになってもう10年近く経つけど、実はその事を話したことは一度も無かった。


 だってそうでしょ。お母さんも八雲くんの事は知っているけど、友達であるさーちゃんの弟としか見ていないんだもの。付き合い始めた当初は話してみようかなとも思った事もあるけど、当時八雲くんはまだ中学生。何て言われるかなんて想像つかなかった。

 今はマズイ、もうちょっとしてから。そう思いながらズルズルと先延ばしして、気がつけば打ち明けるタイミングを完全に逃してしまっていた。

 八雲くんももうすぐ大学を卒業するし、いい加減もう言っても良いかなと思うんだけど……


(そうなると、私も八雲くんと顔を合わせなきゃいけないんだろうな)


 お母さんの事だ。話したらきっと八雲くんと直に会おうとするだろう。そうなると当然その場には私もいるべきだけど。生憎今の私は、どんな顔をして八雲くんと会ったらいいか分からなかった。


 去年のクリスマスの時も。いや、それよりもずっと前から、何かと理由を付けては会うのを拒んできた。そんな事を続けていたものだから、すっかり会い辛くなってしまっているのだ。

 決して会いたくない訳じゃないんだけどね。本当は会ってお喋りして、沈んでいる今の気持ちを晴らせれば良いなって思っている。


 送られてくるメールを見た時、電話越しに八雲くんの声を聞いた時、どんなに苦しくてもそれだけでまた前に進めるという気持ちになれた。だけどそれじゃあダメなんだ。

 もし苦しいから癒されたいという理由で会ってしまっていては、きっと八雲くんは都合のいい逃げ場所になってしまうだろう。そうならない為に、会わないようにしているのだ。

 加えて今の私を見られたくないという気持ちもある。そうなると、やはり今会うというのは良くないだろう。なのに……


「会いたいなあ」


 ついそんな本音が口から洩れてしまい、誰かに聞かれていないかと慌てて周りを見る。幸い私の小さな呟きなど誰も気に留めていなかったようで、ホッと息をついた。

 会いたくないと思っているのに会いたいだなんて、矛盾しているという事は分かっている。だけどこの欲求だけは、どうしても抑える事が出来ないのである。


 本当はクリスマスには二人してデートにでも行きたかった。何とか時間を作って、食事にでも行ったりして。

 八雲くんの事だ。きっと食事代は自分が払うと言ってくるだろう。沢山バイトしているので心配いりません、なんて言いそう。

 だけど私の方がお姉さんで社会人なのだ。今回は私が払うって言って、だけど八雲くんもそう簡単には引かないだろう。そこで最終兵器、前のデートの時は八雲くんが払ってたと言って引き下がってもらうんだ。私が避けまくっているせいで以前にデートしたのはもうだいぶ前だけど。

 私が会計を済ませると八雲くんはちょっぴり不満そうな顔をして待っているだろう。だからお店を出たところで、『機嫌治して』って言って頭を撫でる。もう八雲くんの方が背が高いから、背伸びをしてだけど。八雲くんは照れちゃうだろうけど、私はそんな顔を見るのも大好きだ。

 ああ、なんだか妄想が止まらなくなってきた。


 八雲くんとのクリスマスデート、楽しいんだろうなあ。暫く会っていないから、余計に楽しく思える事だろう。

 きっと名前を呼ばれただけで顔がほころんでしまうに違いない。我ながら安上がりだとは思うけど、電話越しでなく直に声を聞けたら、それだけで嬉しいだろう。


「…霞さん」


 そう言えばさらに一年前のクリスマスの時は、二人で歩いている時に綺麗なイルミネーションを見た私が、カメラを向けて夢中にシャッターを押してたっけ。あの時はまだ心に余裕があったから、デートを楽しむ事も、余計な事を考えないで写真を撮る事も出来た。

 満足いくまで取り終えた後で我にかえって、ほったらかしにしてしまった事を謝ったけど、笑って許してくれたっけ。『シャッターを切る霞さんを間近で見られたので、僕も楽しめました。とても素敵でしたよ』って言ってくれて。

 八雲くんは本当、褒め言葉を躊躇いなく使うなあ。あ、なんだか思い出したらニヤけてきた。ここに八雲くんがいるわけでもないのに、妄想と思い出だけでこんなになってしまうだなんて。


「…霞さん」


 ああ、なんだか幻聴まで聞こえてきた。まるで八雲くんが近くにいて、私を呼んでくれているような…


「霞さん!」

「はいぃ!」


 突然大きな声で呼ばれて、思わずピシッと背筋を伸ばす。けど今の声って。恐る恐る声のした方に目を向けると。


「八雲くん?」


 そこにいたのは、幼さの残る顔立ちと優しそうな目をした男の子。

 いや、男の子という表現は適切では無い。ぱっと見高校生くらいに見えるけど、実際はもう二十歳を超えている。可愛らしい笑顔を私に向けているその人は、紛れもなく八雲くんその人だった。


「幻覚?」

「はい?」

「肯定した。ああ、とうとう幻覚まで見るようになっちゃったんだ」


 これは本格的にマズい。どうにかして目の前の幻覚を消そうと頭を激しく振ってみたけど、八雲くんは一向に消えてくれない。それどころか、心配そうな目をしながら肩を掴んできた。


「え、触れる。幻覚なのにどうして?」

「落ち着いてください。夢でも幻でもありません。ちゃんとここにいますから」


 そう言えば幻覚にしてはやけにリアルだ。もっとも幻覚なんて見たこと無いから実際こんなものかもしれないけど。けど、これはおそらく間違いないだろう。


「八雲くん、本当に八雲くんなの?」


 そう尋ねると、安心したように「やっと分かってくれたと」言ったあとコックリと頷いた。


「はい、水城八雲です。とりあえず…」


 ぺこりとお辞儀をしたあと、じっと目を見て言ってくる。


「明けましておめでとうございます」

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