その12センチに追いついて 15

 さーちゃんとたっぷり話をしたことで、少し心に余裕ができた気がする。

 あれから数日が経ったけど、前みたいに何をするにも気持ちが入らない、何てことはもうなくなった。

 仕事で撮影を任されたことがあったのだけど、シャッターを切った瞬間、本当に久しぶりに楽しいって思う事が出来たのだ。


 不思議だった。何かが大きく変わったわけじゃないのだけれど、初心に戻れたと言うか。変に気負うなんて事が無く、また写真を撮ることが好きになれた気がして、カメラを持つ手にも力が入っていた。


 残念ながらその時撮った写真も、雑誌に使われるなんてことは無かったけれど。生憎気持ち一つで変われるほど、世の中は甘くは無いという事だ。

 だけど出来上がった写真を見た先輩が、わざわざ感想を言ってくれた。


『よく撮れてるじゃないか。次からもこの調子で頼むぞ』

 

 褒められたことが嬉しくて、明日も頑張ろうという気になれる。

 一晩さーちゃんと話をしただけで、一言褒められただけで途端に元気が出てしまうのだから、我ながら単純だとは思う。だけどこれで良い。

 気落ちして周りに心配をかけるよりは、単純であることを選びたい。

 ただ、全てが上手くいっているかと言うと、それは違う。一番大事なことが何も進展しないまま、後回しになってしまっているのだから。


(何て言って八雲くんに謝ればいいんだろう?)


 あれからもう二週間。カレンダーも二月に入ったと言うのに、未だに八雲くんとは連絡を取れないままだ。

 最後に話をしたのは初詣の時だから、もう一カ月も声を聞いていないし、メールだってしていない。

 もちろんもう距離を置きたいなんて考えていないけど。むしろもっと近づいて、今度こそちゃんと八雲くんと向き合いたいと思っている。だけど何と言うか、切っ掛けがつかめないのだ。


 だってあんな一方的に拒絶したんだもの。今更どんな顔をして接したらいいかが分からない。

 もしかしたら八雲くんはとっくに愛想をつかしていて、二度と顔を見たくないとか言われちゃうかも。もしそうだとしても仕方がない。私はそれだけのことをしたのだから。

 もっともこの事を電話でさーちゃんに相談したところ、それは無いと言って笑われたけど。


『あの子が霞にそんなこと言うわけ無いじゃない。連絡したらすぐにでも飛んでいくわよ。だから変に気負わないで、さっさと電話でも何でもするといいわ』


 そう言われたけど、やっぱりタイミングと言うのは大事であって。高校の頃さーちゃんと喧嘩をした時もそうだったけど、一度関係が拗れると話をするだけでも一苦労だ。

 幸い今月はバレンタインがある。行事にかこつけて連絡して、直接会って謝れたらと考え、プレゼントも用意してある。まだ一週間も先の話だけど。


 そんなわけで頭を悩ませる日々が続く中、私は今日、一カ月ぶりに実家に帰省していた。

 お正月は帰ることを渋っていたけど、この日は絶対に帰ると決めていた。だって今日は長年一緒に暮らしてきた愛犬、ハチミツの命日なのだから。


 六年前の今日、年老いて弱っていたハチミツは静かに息を引き取った。当時私はすでに家を出ていたけど、仕事が終わるとすぐさま飛んで帰ったっけ。

 ペットのためにわざわざ遠い所を帰ったのかと言う人もいるだろう。だけどハチミツは私にとって大切な家族なのだ。もうだいぶ元気が無くなっていたから覚悟はしていたけど、その死はとても悲しく。安らかに眠ってほしいと願いながら弔った。


 それから毎年命日は帰省し、ペット霊園に足を運んでいるというわけだ。

 今年は丁度土日と重なっていたから帰省し易く、供養を終えた私は家に帰って休んでいた。リビングでお母さんと二人、お茶を飲みながらまったりと過ごしている。


「あんたもマメねえ。毎年返ってくるのは大変でしょう。頼めばあんたの分の線香もあげるのに」

「良いの、好きでやっているんだから。帰るのが難しい時はお願いするかもしれないけど」

「まあ良いけど。ところで話は変わるけど。例の彼氏のこと、そろそろ話してくれないかな」

 

 またか。目を輝かせるお母さんを見ながら、私はため息をついた。

 この前口を滑らせたのがいけなかった。あれから一カ月経つけど、事あるごとに電話してきてはどんな人なのか、一度紹介しなさいと五月蠅いのだ。帰省したら根掘り葉掘り聞かれるだろうなとは思っていたけど、やっぱりこうなったか。


「その話はいいでしょ」

「良くないわよ。あんただってもう将来のことを考えた方がいい歳よ。その彼氏は、先の事を考えてくれるような人なの?」


 そんなのこっちが聞きたい。先の事どころか、今現在私のことを嫌っていないかを心配しているという危機的状況なのだ。だと言うのにお母さんは人の気も知らずに、ワーワー言っては色々尋ねてくる。

 しかもどっちから付き合おうって言ったのかとか、キスはもう済ませたかだの、聞く内容がだんだんと女子高生のノリになっていってる


(これは娘の将来を心配しているんじゃなくて、恋バナをしたいだけだね)


 この人は年甲斐もなく人の色恋に首を突っ込むのが大好きなのである。そう言えば昔はよく友達の恋の手助けをしては、多くのカップルを誕生させたと言ってたっけ。本当かどうかは眉唾物だけど。

 そんなお母さんをどうやってかわそうかと思っていた矢先、ポケットの中にあったスマホが音を立てた。


(着信、誰からだろう?)


 誰にせよ電話にかこつけて逃げることができるかも。そう思ってスマホを取り出したけど、発信者の名前を見て思わず固まった。


(八雲くん⁉)


 ディスプレイに表示されていたのは紛れもなく八雲くんの名前。

 どうして今?もしかして、正式に別れ話でもされるのかも。

 思わず嫌な予感が頭をよぎったけど、せっかく向こうから掛けて来てくれたんだ。ちょっと怖いし心の準備もできていないけど、出ないなんて選択肢は無い。大きく息を吸い込んで通話にタップしようとすると…


「ねえねえ、彼氏ってどんな人なのよー」


 そうだ、この人がいたんだ。電話がかかってきたのだから普通なら話を止めそうなものだけどそんな常識は通用せず、未だに絡み続けている。だけど今はそれに構っている場合じゃない。


「静かにして!その彼氏からの電話なの!」


 そう叫ぶと話を聞かれないよう廊下に出る。ふう、これでようやく電話に出られる。

 今度こそ通話をタッチしてドキドキしながらスマホに耳をかざす。


『…霞さん』


 八雲くんの声だ。一カ月ぶりに電話越しに聞いたその声は、当り前だけど以前と変わらずちょっと幼めで。感激してしまって、つい返事をするのも忘れてしまった。


『霞さん、聞いていますか?』

「ああ、うん。ごめん、ちゃんと聞こえてるよ」

『良かった。出たはいいけど、話したくないのかと思いました』


 ホッと息をついた音が聞こえてくる。

 この反応、やっぱりこの前の出来事を引きずっているようだ。本当にごめん、酷い事言っちゃって。


「八雲くん、私…」

『霞さん、今ご実家にいますか?』


 言うのを遮って、八雲君が喋ってくる。

 その声は真剣そのもの。思わず圧倒されながら「うん」と返事をすると、さらに言葉を続けてくる。


『話があります、聞いてもらえますか?昔ハチミツと遊んだ公園、覚えていますよね。待っていますから。ずっと』

「えっ、ちょっと八雲くん?」


 一方的に話の進め方に驚いたけど通話は既に切れていて、私の声は届かない。


「何なの?」


 こんなに強引な誘いは八雲くんらしくない。にも拘らずそうしたという事は、よほど大事な話なのだろう。あんなことがあった後だから無理もないか。

 スマホの時計を見るともう夕方。外は暗くなってきているけど、この際そんなことはどうでもいい。


(行かなくちゃ)


 急いだ方がいいけど、コートくらいは羽織った方がいいだろう。

 コートの置いてある自室に向かうためリビングのドアを手前に引くと、とたんにドア越しに聞き耳を立てていたお母さんが倒れ込んできた。


「……何やってるの?」

「いやー、ちょっと娘の恋愛事情が気になっちゃって」

「余計なことはしないでよね。それと、ちょっと出かけてくるから」

「今から?外、雪降ってるわよ」


 言われて庭に目をやると、いつの間にか振り出した雪が景色を白く染めていた。


(という事は、八雲くんはこの雪の中を待っているってこと?)


 こうしちゃいられない。急いで自室に向かってコートを羽織り、勢いそのままに今度は玄関へと向かう。


「ねえ、夕飯はどうするの?デリバリーでも頼もうかと思っていたんだけど、あんたの分はいるー?」


 暢気に晩御飯の話を始めるお母さんの問いに答えること無く、私は家を飛び出して行った。

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