その12センチに追いついて 10

 竹下さんから連絡があってから一夜明けた日曜日。僕は駅前にあるカフェを訪れていた。

 オープンカフェもあるオシャレなお店だけど、生憎今日は寒いから機能していない。僕も例にもれず中で待っていると、やがて見覚えのある顔が店へと入ってくる。


「八雲くん、久しぶり」


 僕を見るなり笑顔になる竹下さん。

 昔は大人しい印象の強かった彼女だけど、カジュアルな服装に身を包んだ今は、明るく活発的な雰囲気がある。どうやらうちの姉さんを見習っているうちに段々と変わってきたみたいだけど、元気が良いのは悪いことでは無い。


「ゴメンね、待たせちゃって」

「平気だよ、僕も今来たところだから。何か注文する?」


 丁度お昼という事もあり、二人して昼食をとる。その間今は何をしているか、春からの新生活の準備に追われているなどの近況報告をしていく。


「それじゃあ木下さんは、春からオフィス勤めなんだ。大学の方はどう?論文は終わりそう?」

「何とか。だけどもう卒業かと思うと、ちょっと寂しいかも。あれ、何だか前にもこんな事を言ったような?」

「確か高校卒業間際に、同じことを言っていたよ」

「ああ、やっぱり。懐かしいなあ、高校。あの頃は八雲くんとも毎日顔を合わせていたけど、今はこうしてたまに会うくらいか。前に会ったのは確か…」

「去年の姉さん達の引っ越しの時だよ。あの時は忙しかったのに、わざわざお祝いに来てくれたんだよね」

「そりゃあ皐月さんの門出だもの、無理をしてでも行くよ。結婚式には行けなかったしね」

「行けなかったと言うか、そもそも式を挙げていないんだけどね」


 実は姉さんと義兄さんは籍を入れたものの、結婚式は挙げなかったのだ。

 お金がかかるから挙げないことにしたと姉さんから聞いた時はさすがにビックリした。せっかく晴れの舞台になるのに、なんと勿体無い。


 一応考え直す気は無いかと聞いてみたけど姉さんは聞く耳を持たず、義兄さんなら話は分かるだろうと思って話してみたけど、姉さんが乗り気じゃないなら挙げても仕方が無いと諦めムードだった。


『結婚式は花嫁の為にあるものなんだから、本人が必要ないと言っている以上僕がごねても仕方が無いよ』


 何かを悟ったように語る哀愁漂う義兄さんの表情は、とても印象に残っている。それを見て何となく、今後義兄さんは姉さんの尻に敷かれていくのだろうかと思ったけど、言わないでおいた。思ったことを何でも口にするものではない。

 ただし自分の結婚式には興味を示さなかった姉さんも、念の為にと僕にアドバイスをしてくれた。


『私は良いけど、女は大抵結婚式に憧れているものなんだから。お金が掛かろうと八雲はちゃんと挙げなきゃダメだからね』


 自分のことを棚に上げてよく言ったものだ。というか、結婚式が大切なものだっていう認識はちゃんとあったんだね。

 そんなやり取りがあったことを竹下さんに話してみると、思った通りクスクスと笑い出す。


「皐月さんらしいなあ。自由で周りに流されない所なんて、やっぱり尊敬するよ」

「物は言いようだね。僕には周りの意見なんて知るかって感じで、我が道を行っているようにしか見えないよ」

「そんなこと言って。八雲くんだってそんなお姉さんの事、嫌いじゃないんでしょ」


 それはまあ。ズレた姉だとは思うけど、両親が亡くなってからずっと僕の面倒を見てくれて、大学にまで通わせてくれているのだ。いくら感謝しても足りないと思っている。


「八雲くんもそのうち、皐月さんに恩返ししなくちゃね」

「そうだね。初任給が入ったら、夫婦茶碗でも買って送ってあげようか」


 姉さんの事だから、きっと家にある食器のほとんどは百均で買った物だろう。別にそれが悪いというわけじゃないけど、少しは良い品物を送るのも良いだろう。

 しかし竹下さんは、僕の話を聞いて苦笑している。


「うーん、確かにそれもあるけど、皐月さんが一番喜びそうな事も、そろそろ考えてもいいかもしれないんじゃないかなあ」

「姉さんが一番喜びそうな事って?」


 いったい何の事だろう。スーパーのタイムセールだったら大喜びするけど。すると竹下さんは紅茶を一口飲んだ後、笑顔を作って答えてくる。


「八雲くんと霞さんのことだよ。八雲くんだってもう社会人になるんでしょ。だったらそろそろ、二人の将来について考えてみても良いんじゃないかなあって思うんだけど」

「―――ッ!」


 予想外の答に、口にしていたコーヒーを吹き出しそうになる。

 そうだ。霞さんにはすでにフラれている事を、竹下さんは知らないんだった。


「それで、最近霞さんとはどうなの?」


 目を輝かせながら尋ねてくる竹下さん。これは姉さんを喜ばせるためというより、単に自分が興味あるだけなんじゃ。しかし残念ながら、彼女が望むような甘い答えなど持ち合わせていない。


「その事なんだけど、霞さんとはもう…」

「もう、なに?何かあったの?」


 興味深げに顔をよせてくる。本当なら隠しておくつもりだったけど、この様子だとはぐらかすのは無理だろう。今回は姉さん達の時と違って逃げ場もなさそうだし。

 諦めた僕はため息をつき、彼女に尋ねる。


「ねえ、僕のやってる事って、やっぱり重いかな。十年も好きだって言い続けたり、事あるごとに褒めたりしたら、迷惑になる?」

「えっ?うーん、どうだろう。私だったら嬉しいと思うけど」

「だったら良かったんだけど、どうやら霞さんは違っていたみたい。気持ちが重いって言われて……この間フラれた」

「フラれたっ⁉」


 驚いた竹下さんが大声を上げ、店内の客は何事かとこっちに目を向けてくる。


「ちょっと、声が大きいよ」 

「ごめん。けど、いったい何がどうなってるの?前はあんなにラブラブだったじゃない」

「原因は…たぶん僕が悪いんだと思う。霞さんの気持ちも考えずに、理想ばかりを押し付けていたから」

「そんなんじゃ納得できないよ。何があったのか、詳しく話してみて」


 あれを話すのか。未だショックが癒えていないし、霞さんにも悪いからあまりべらべら喋りたくは無いけど。とはいえ竹下さんにはこれまで何度も相談に乗ってもらっていた。彼女が望むのなら事の顛末をきちんと説明するのが筋だろう。

 少し前から霞さんに避けられていたこと。初詣に行った時に偶然会って、そこでどんな会話があったかを出来る限り細かく伝えていく。

 竹下さんは怒るわけでも慰めるわけでも無く、静かに僕の話を聞いて行く。そして全てを聞き終えた後、僕に尋ねてくる。


「それで、八雲くんはいいの?このままで」


 そんなことを言われても。

 僕は霞さんに迷惑を掛けたいわけじゃない。フラれたのに図々しく連絡を取るわけにもいかないし。霞さんが僕を嫌いになったのなら、潔く身を引くべきなんじゃないかとは思う。


「霞さんが嫌だって言うのなら、もう会わない方がいいのかもって思ってる。これ以上いらわれたくも無いし」


 これはこれで情けない。すると竹下さんは考え込むように俯き、そして何かを思いついたように顔を上げる。


「それじゃあ、もう霞さんに未練は無いの?」

「無い…かな」


 嘘だけど。本当は未練タラタラで、もう一度会いたいって思っている。傷つけていたのならちゃんと謝りたいって思うのは、僕の我儘なのだろうか?

 こんな風に思っていることがバレるのは恥ずかしいから、口にすることはできないけど。だけど竹下さんは何だか納得のいかない顔をしている。


「本当に、未練は無いの」

「うん。もういいんだ」


 だからもう放っておいて。そう言おうとしたけど、それよりも早く竹下さんが口を開いた。


「……それじゃあ、私と付き合ってみる?」

「えっ…?」

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