その12センチに追いついて 11
一瞬、竹下さんが言った事の意味が分からなかった。これって、もちろんお茶に付き合うとかじゃなくて、彼氏彼女になるって意味での付き合うだよね。
そんな混乱する僕を、竹下さんは上目遣いで見てくる。
「もう未練は無いんでしょ。それなら気持ちを切り替えて、新しい事を始めてみるのも良いんじゃないの?私なら付き合いも長いし、八雲くんの事も分かっているつもりだから、上手くいくと思うんだけど」
いやいや、そんなことを言われても。
確かに彼女は僕のことをよく分かっているだろう。今までずっと恋愛相談をしてきた相手だ。価値観も考え方も理解しているし、僕だって竹下さんのことは好きだ。付き合ってみたら案外上手くいくかもしれない。でも…
「そんなこと言って、竹下さんはどうなの?僕と付き合うなんて…」
「あれ、気づいてなかった?私、前から八雲くんのこと、良いなあって思ってたんだよ。そりゃ八雲くんには霞さんがいるから遠慮してたけど、もうその必要も無いんだよね」
「それは…」
いきなりそんな事を言われても困ってしまう。霞さんにはもうフラれてしまっているわけだから、承諾しても何の問題も無いわけだけど。
けれど、ここで『はい』と答える気にはどうしてもなれなかった。
「ごめん竹下さん、付き合うことはできないや」
それが僕の出した答え。すると竹下さんは、ジトッとした目をこちらに向けてくる。
「ふーん、私じゃダメなんだ。霞さんの後だと、やっぱりハードルが上がっちゃうかあ」
「そうじゃないよ。不満なんて無いし、僕には勿体無いくらいだって思ってる」
「それじゃあやっぱり、本当はまだ霞さんに未練があるから?」
「それは……その通りだよ」
さっきは未練なんて無いと言ったけど、それをあっさりと覆す。
もしかすると冗談で言っただけなのかもしれないけど、それでも付き合わないかと言われたんだ。断るにしてもちゃんと誠意を見せなければならない。
「ごめん、嘘をついてた。本当は全然吹っ切れてなんかいなくて、声を聞きたいし連絡だってとりたいって思ってる。もし会えるなんてことになったら、それこそ今すぐに飛んでいきたいくらいだよ」
顔を覆いたくなるような恥ずかしい胸の内を、赤裸々に語っていく。すると話を聞いた竹下さんは、おかしそうにクスクスと笑い出す。
「何も笑わなくても。いや、無理も無いか。おかしいよね、こんなの」
「ううん、違うの。笑ったのは、八雲くんらしいなって思ったから。別に変だって思ったわけじゃないから安心して。だけどそんなに恥ずかしがるなら、理由を付けて誤魔化せばよかったのに」
その手があったか。だけど嘘をついて逃れるというのも、男らしくないように思えて気が進まないか。
「そういう正直な所が八雲くんの良い所なんだけどね。きっと霞さんだって、そこを好きになったんだと思うな。いつも正直で、真っ直ぐでいるところが」
「いや、むしろそういう所が重いって言われたんだけど」
「まあ確かに、行き過ぎると重くなっちゃうかもね。だけど話を聞いていると、今回悪いのは八雲くんじゃなくて、どちらかと言えば霞さんの方だと思うな」
「まさか。そんなこと無いよ」
思わぬ言葉に、僕は慌てて反論する。
「落ち度があったのはやっぱり僕の方。僕の態度が悪かったから、きっと嫌な想いをさせちゃったんだよ。霞さんが悪いなんてありえな…」
すると竹下さんは僕の口元に指を立てて、喋るのを遮ってきた。
「はい減点。そういう悪いわけないって思っちゃうところが、重いって言われちゃうんだよ」
そんな風に言われると、何も言い返すことができなくなってしまう。
「けどやっぱり今回一番の問題は、霞さんが悩みあるのに、何も相談しなかったってことかな。何があったのか詳しくは分からないけど、話を聞いた限りでは一人で抱え込んじゃってるような気がする」
「悩みねえ。確かにそんな感じだった」
「だったら、ちゃんとそれを聞いてあげなくちゃ。霞さんだって間違えたり、失敗する事だってあるんだから。一緒になって考えてあげないと。慰めたり共感したり、それから叱ったりもしなくちゃ」
「叱るって、霞さんを?僕が?」
何だか随分と難易度の高い事を要求してくる。霞さんは五歳も年上だし、そんな人を叱るだなんて難しそうだ。姉さん相手にならいくらでもできるけど。
そんなことを考えながら煮え切らないでいると、竹下さんは悟ったように言ってくる。
「私も最初霞さんと会った頃は、大人びていてしっかりした人だなって思ってたよ。大きくなったらあんな風になりたいって、憧れていたなあ。憧れ自体は今でもあるけど」
それは僕も同じだ。だからこそそんな霞さんに釣り合うような、しっかりとした大人になりたいと願ったんだ。
「だけど考えてみて。私達、もうあの頃の霞さんよりも大人なんだよ。今なら何となくわかるんだけど、昔大人だって思っていた人達だって、本当は子供が思ってるほど大人じゃなかったんじゃないかなあ。皆弱い所も不安もあるし、幼稚な部分だってある。それを悟られないように隠してるけど、子供はその事に気付かないから。つい美化しちゃってるだけだったんだと思う」
「そう、なのかなあ?」
「そうだよ。さっきは私達のこと、もう大人だって言ったけど。本当は自分のこと、しっかりした大人になっているとは思えないし。かといって周りと比べて幼稚なわけでも多分無い。きっと皆、そうなんじゃないかなあ?」
うーん、確かにそうかも。僕だってもう大人と呼ばれる歳で、昔よりは成長したとは思うけど、昔憧れていた大人の人になれたかというとそうでは無い。ちょっとしたことで心が揺れてしまうような、不安定な人間だ。そしてそれは、僕に限ったことでは無いような気がする。
では、霞さんもそうなのだろうか。霞さんは五歳年上だけど、たった五年で劇的に何かが変わるなんてちょっと思えないし。子供の頃と違って、今の五年なんて本当にあっという間なのだから。
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