その12センチを埋めたくて 13

 公園にやってきた僕等は、ベンチの前へと向かう。だけどその前に霞さんは、そのすぐ横にあるジュースの自動販売機の前に立った。


「八雲くんは何が良い?」


 どうやら僕の分まで飲み物を買おうとしているようだ。だけど奢ってもらうというのは悪い気がする。


「大丈夫です、自分で買いますから」

「気にしない気にしない。お姉さんに任せておいて」


 そう笑顔で言われては、断る方が失礼だろう。結局オレンジジュースを買ってもらい、二人してベンチに腰を掛ける。


「ありがとうございます」

「どういたしまして。それにしても、今日は暑いね」


 そう言いながら、自分の分のアイスティーを口へと運ぶ。たったそれだけの仕草なのに、どうしてだか目を奪われてしまうのだから不思議だ。


「それで、写真の話だっけ」

「はい。僕は写真には全然詳しくないのですが、霞さんが熱心にそれを読んでいたので、少し気になって」


 膝の上に置かれた雑誌を指さすと、霞さんはにっこりと微笑んだ。


「そうだね、写真は結構好きかな。実は自分で撮った写真をこの雑誌に投稿してたりもするんだよ。何回か載ったこともあるし」

「ええっ、凄いじゃないですか」

「と言っても、隅っこにちょっと乗っただけなんだけどね。本当に小さいやつ」

 

 謙遜するようにそう言ったけど、それでも十分驚きだ。


「でも、霞さんがそんなに写真が好きだなんて知りませんでした。姉さんも教えてくれなかったし」

「そりゃあ、さーちゃんには話したこと無かったからね。そもそも、写真が好きだってことを誰かに話したこと自体あまり無いかな」


 それは勿体無い。せっかく好きなことがあるのに、なぜその話をしないのだろう。きっと姉さんなら、喜んで話を聞くだろうに。


「話をしないのは、何か理由があるんですか?」

「それは……」


 霞さんは少し言い淀んだけど、すぐにまた口を開く。


「ちょっと恥ずかしくて、ね。中学校の頃は、写真に興味がある子はいなかったし」

「そうなんですか?だけど話してみたら、みんな興味を持ってくれるんじゃないですか?」

「そうかも知れないけど、やっぱりなかなか言い出せなくて。私の場合、進路にも関わってくるし」

「進路?もしかして将来、写真に関する仕事に就きたいって思っているんですか?」


 そう言うと、霞さんはしまったと言わんばかりの顔になる。どうやらつい口を滑らせてしまったらしい。


「良いじゃないですか、写真。それに凄いですよ、もうやりたいことが決まっているだなんて」

「決まってないから!あくまでそうなったら良いなあっていう、ただの妄想だから」


 真っ赤になって取り繕うとする。普段は大人びた印象があるけれど、こうした慌てた表情も、何だか新鮮で面白い。


「僕は良いと思いますよ。撮るのが好きなら、カメラマン志望って事ですよね。今は女性の写真家さんも沢山いますし、恥ずかしがることじゃ無いんじゃないですか?」

「そう…かな?」

「そうですよ。霞さんの夢、応援しますよ。だって僕も霞さんの写真、好きですから。この前頂いた写真を見ましたけど、凄くよく撮れてて驚きました」

「そう?気に入ってくれた?」

「はい。竹下さんも見せましたけど、喜んでいましたよ。きっと竹下さんも霞さんの写真をもっと見てみたいって思っていますよ。勿論僕も」


 これは社交辞令ではなく、僕の素直な気持ちだ。霞さんは照れたように顔を逸らしたけど、すぐにまた僕と目を合わせる。


「ありがとう。そんな風に言ってもらったのは初めてだから、嬉しいよ」

「どういたしまして」


 僕の方もちょっと照れながら、それを隠すようにオレンジジュースを口に運ぶ。


「八雲くんは優しいねえ。やっぱり私も、八雲くんみたいな弟が欲しかったなあ」

「弟……ですか」


 ジュースを運んでいた手が止まる。

 そう言えば前にも同じことを言われたっけ。あの時はそう言ってもらえてちょっと嬉しかった。だけど今は、素直に喜ぶことができない。弟じゃ嫌だと、僕の中で何かが叫んでいるようだった。

 しばらくそうして止まっていると、霞さんが顔を近づけてくる。


「どうかしたの?急に黙っちゃって」

「いえ、何でも無いです。気にしないでください」

「なら良いけど、もし気分が悪くなったりしたらちゃんと言ってね。八雲くんに何かあったら、さーちゃんに顔向けできないし」

「本当に大丈夫ですから、心配しないでください」


 そう言いつつも、胸の奥ではモヤモヤした気持ちが依然として渦を巻いていた。

 当然と言えば当然なんだけど、やっぱり霞さんは僕を『子供』として見ている。こうやって心配してくれるのだって、『姉心』に近いものがあるからだろう。


(どうして僕は子供なんだろう。早く、大人になりたいのに)


 今まで何度も思ったこと。だけど今度は今までとは違う想いも混じっている。

 霞さんは鋭いから、この気持ちを悟られないようにとポーカーフェイスに努める。その甲斐あってか霞さんは気づく様子も無く、柔らかな口調で再び話し始める。


「と・こ・ろ・で、八雲くんは将来、やりたい事とか、夢なんかはあるの?」

「夢、ですか?」


 思わぬ質問に、モヤモヤのことも忘れてキョトンとする。


「そう。私にだけ赤裸々に語らせるなんてズルいじゃない。八雲くんはいったい何がやりたいのか、気になるなあ」

 なるほど。たしかに霞さんにだけ話をさせて、僕だけ何も話さないというのはいささか不公平かも。となると、ここは一つ将来の夢でも言うべきなのだろう。しかし。


「すみません。将来やりたい事というのは、今のところ特にありません」

「え、無いの?何にも?」

「はい。あ、内職をして、家計の足しにしてほしいとか、高校に入ったらバイトをしたいとかならありますけど」

「それは夢じゃなくてお金を稼ぎたいだけでしょ。しかも内職は今やりたがっている事じゃないの?」

 バレましたか。テレビで内職は簡単で、意外と儲かるものもあると知って興味を持ったのだ。しかし、これなら僕にも手伝えそうだからやってみたいと姉さんにお願いしたところ悲しい顔をさせてしまった。


『まだ小学生なんだから家計のことなんて考えなくていいから。もっと友達と遊んだりしていいんだよ』


 そう言った姉さんの言葉はよく覚えている。この事を霞さんに話してみると。


「それはさーちゃんが正しいよ。八雲くんは色んなことを気にしすぎ」


 呆れ顔で怒られてしまった。


「で、でも。姉さんは毎日学校帰りにバイトして頑張っているのに、僕がやっている事なんて買い物と家事くらいですし」

「それは十分頑張ってるから。さーちゃんから聞いてるよ。掃除に洗濯、ご飯も作っているんでしょ。普通そこまでやってる小学生は…いや、高校生にだってそうそういないよ」

「でも…」

「『でも』は禁止!」


 口元に人差し指を押し当てられ、言うのを封じられてしまった。


「さーちゃんを助けたいって気持ちはわかるけど、八雲くんはもう少し肩の力を抜いたほうが良いかな。あんまり気を張っていると、いつかそのうち倒れちゃうよ」


 霞さんはそう注意してから、今度は僕の頭を優しく撫で始める。


「けど、手伝うこと自体は悪いことじゃないよ。そんなに家事ができるだなんて凄いしね。将来八雲くんのお嫁さんになる人は幸せだろうなあ」


 何だか随分と話が飛躍している。将来の夢の話をしていたはずなのに、今度は将来の結婚相手の話か。


「そういえば、前に恋ちゃんとは友達だって言ってよね」

「はい、そうですけど」

「じゃあそれとは別に、好きな女の子っていたりするの?」

「えっ?」


 言葉に詰まった。好きな女の子って言われても……


「ねえ、どうなの?お姉さんに話してみて」


 今の霞さんは、弟で遊んで楽しむ姉のようなものなのだろう。目を輝かせながら僕の答えを待っている。


(前に竹下さんからは、霞さんのことが好きなのかと言われたけど。結局答えはまだ見つかっていないしなあ……いや、本当にそう?)


 胸に手を当ててみる。

 人を好きになる気持ちというのが分からなかった。本を読んだり、人に聞いたりしてみたけれど、やっぱり分からなかった。だけど、今はどうだろう。

 目の前で楽しそうに笑顔を作っている霞さん。今日彼女と話をしてみて、僕はいったいどんな気持ちだった?


 話ができた事は嬉しいし楽しい。だけどその途中で、これじゃあ嫌だって思うこともあった。男子扱いされなかった時や、子ども扱いをされた時なんかがそうだ。僕はもっと、霞さんと対等でいたかったのに。

 五歳も歳が離れているのに、何を言っているんだとは思う。だけど、理屈じゃない。僕は霞さんと同じ目線に立ち、一人の男の子として、霞さんに見てもらいたかった。


 フウッと、深い深呼吸をする。何故そう思うようになったのか、冷静になって考えれば、これほど簡単な物は無い。つまり、僕は霞さんのことが――


「……いますよ、好きな女の子」


 気が付けば、そう声を出していた。


「えっ、どんな子?」


 ワクワクしながら聞いてくる。僕はもう一度息を吸い込み、その名を口にする。


「霞さんです」

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