その12センチを埋めたくて 10

 竹下さんを霞さんやハチミツと会わせた日から……いや、霞さんのことが好きなのかと聞かれた日からしばらく経ったある日の夜。バイトから帰ってきた姉さんと一緒に夕食を囲もうとしていた。が……


「ごめんなさい」


 料理が並んだテーブルを見る姉さんに、僕は頭を下げていた。

 謝罪の理由は夕飯用に僕が作ったハンバーグにある。本来美味しく焼きあがるはずだったハンバーグは、焼きすぎたために片面が焦げてしまっていたのだ。


「珍しいわね、八雲が料理で失敗するなんて」

「ちょっと考え事をしてて。焦げてる部分は僕が責任もって食べるから、姉さんは綺麗な所だけを食べて」

「なに言ってるのよ。これくらいどうってこと無いわよ」


 すると姉さんはテーブルにつき、ハンバーグの焦げた部分を箸でとった。


「うん、食べられない事無いじゃない。安心して、十分美味しいから」


 そう言ってもらえると少し気が楽になる。僕も席に着き二人そろって手を合わせ、改めていただきますと挨拶をする。

 ハンバーグを食べてみると少し苦い味がしたけど、食べられなくはないかな。だけど失敗は失敗。二度とこんな事が無いように注意しないと。

 ミスをした原因は考え事をしていて気もそぞろになっていたから。そしてその考え事というのは、霞さんが好きかどうかという事だった。

 竹下さんはああ言っていたけど、そうでは無いとは思っている。だけどどうしたらそれをちゃんと説明できるのかが分からない。好きではないことの証明は、好きであることの証明よりも難しいのだ。

 ちゃんと納得してもらえるような理由を探しながら、最近はいつも悩んでいる。

 とにかく早くハッキリさせたい。変に誤解されたままだと、どうにも調子が狂ってしまうから。


「ああ、そう言えば」


 不意に姉さんが箸を止める。


「霞から預かってるものがあったんだ。八雲にって」

「霞さんからっ?」


 ちょうど水を飲んでいた僕は、思わずむせ返ってしまった。ゴホゴホと咳をしながら、どうにか呼吸を整える。


「大丈夫?」

「へ、平気。それより、霞さんからの預かり物って?」

「写真よ。前に八雲と恋ちゃんが犬を見せてもらった時の。私も見たけど、よく撮れてたわ」


 わざわざプリントしてくれたのか。どんな写真なのか早く見てみたい。

 残ったご飯とハンバーグを急いでたいらげると、さっそく写真を見せてもらう。

 渡された写真は、いったいいつの間にこんなに撮ったんだろうと思うくらい沢山あり、そのどれもが綺麗に写っていた。


「本当によく撮れてる。ハチミツ、可愛いなあ」


 写真には元気に走り回るハチミツや、それを撫でる僕や竹下さんの姿が写っている。動きがある写真にもブレが見られないところを見ると、結構撮り慣れているのかも。


「霞さんって、よく写真撮ったりするのかなあ」

「かもね。ああ見えて霞は結構アウトドアだし。山登りした時とかに、鳥や山の生き物なんかを撮っててもおかしくないかも」

「もしそうだったら見てみたいなあ。そうだ、この写真、明日竹下さんにも見せて良いかな」

「もちろんよ。恋ちゃんきっと喜ぶわ」


 そんな話をした後、ふと思ったことを尋ねてみる。


「ねえ、霞さんって学校ではどんな感じなの?」

「え、霞?そうねえ……」


 唐突な質問だったけど、姉さんは気にする様子も無く考える。なぜいきなりこんな質問をしたのか自分でもよく分からないから正直助かる。


「たぶん、八雲が思っている通りの霞で合ってると思う。あんな感じで、普通にお喋りしたりしているかな」


 その姿は想像に難くない。しかし姉さんは、その後非常に気になる一文を追加した。


「そう言えば、この前告白されていたわね」

「ええっ⁉」


 思わず声を上げてしまう。夜なのに近所迷惑だろうけど、今は反省するよりも詳しく話を聞く方が先だ。


「告白って、男子から?」

「当り前よ。普通女子からはされないって」


 そりゃそうだ。何当たり前のことを言っているんだ。


「それで、どうなったの?もしかして、付き合い始めたとか?」


 僕は焦って聞いたけど、姉さんは落ち着いた様子で首を横に振った。


「ごめんなさいって断ってたわ。あの様子だと、誰かと付き合う気は無いみたいね」

「そうだったんだ。良かった」

「良かった?」

「だってそうでしょ。いつ告白されたのかは知らないけど、もしこの写真の日以前だったとしたら。もしかしたら彼氏さんと会う時間を割いて、わざわざ僕達を優先させてくれたのかもしれないじゃない。だとしたら申し訳ないよ」

「なるほどね。まあ心配は無いわよ。けど、あれはやめておいて正解だったわね。だってはっきり断ったのに、相手の男子がしつこく食い下がってきたんだもの」


 それは随分と勝手な人だ。そりゃあ好きなら未練があるのは分かるけど、そんな事をしたら迷惑が掛かるとは思わなかったんだろうか。


「それ、大丈夫だったの?」

「平気よ。あまりにしつこかったから、様子を見ていた私が代わりにガツンと言ってやったわ。結果そいつは逃げていったから」

「……それ、大丈夫だったの?」


 怒った姉さんは容赦ないからなあ。何て言ったのかは怖いから聞かないけど、トラウマになってなければ良いなあ。しつこく食い下がった事に関しては擁護できないものの、それでもその男子には少し同情してしまう。


「それにしても告白かあ。何だか凄いなあ」


 本やドラマなんかではよく見るけど、まだまだ遠い世界の出来事のように聞こえる。けど実際に霞さんはされているわけだ。


「まあ、高校生だからね。そういう事もあるわよ。霞は人当りもいいからモテるし」

「モテるんだ、霞さん。でもなんか納得できる」

「たぶんだけどね。霞、自分の恋バナなんてしてこないし。けどまあ私よりは確実にモテるわね」


 何故なら自分にはそういう相手が一人もいないから。きっと姉さんはそう思っているのだろう。

 けど僕は知っている。姉さんのすぐ後ろにある壁の先、アパートのお隣さんであり、姉さんのクラスメイトである基山太陽さん。その基山さんが姉さんに片思い中だという事に。

 基山さんは決して自分の気持ちを隠そうとしているわけでは無い。むしろ積極的に姉さんと話そうと頑張っている。

 だけど……だけど悲しい事に、この鈍感な姉さんはそんな一途な気持ちに全く気付きもしないのだ。見ているこっちが申し訳なくなるくらいに。


「姉さんも、少しは自分の恋愛について考えたら?案外近くに良い人がいるかもしれないよ。姉さんのことが好きな人とか」

「いるわけないでしょ。そもそも、何が悲しくて私を好きになるのよ」


 ほらこれだ。そんな人はちゃんといるのに。壁一枚を隔てた先に。


「それより、八雲はどうなのよ。クラスに気になる事かいないの?」

「…いないよ」


 嘘は言っていない。霞さんのことが少し気になってはいるけど、クラスにはいないし。

 幸い姉さんはそれ以上追及してこなかったので、この話はここまでとなった。けど……


(誰かを好きになるって、どんな気持ちなんだろう)


 せめてそれが分かれば、竹下さんからの問いに答えることができるのに。『誰かを好きになる気持ちは分かったけど、霞さんに対する気持ちはそれとは別のものだった』って。


(ちょっと、考えてみようかな)


 そんな事を考えながら、食器を流しへと運ぶ。


「洗い物なら私がやるわよ。今日は八雲が夕飯を作ったんだから、もう休んでていいわよ」

「そうはいかないよ。作ったと言っても、ハンバーグは焦げちゃったんだし」

「まだそんなこと気にしてるの?いいから、お姉ちゃんに任せなさい」


 どっちが洗い物をするかでもめているうちに、夜は更けていくのだった。

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