第29話 撮るべきか

 「うーん」

初子はつねは軽いうなり声を出す。

 そのまま歩く。

 美和みなの前をせわしなく歩くシュー君が、ふり返って、

「わん、わん」

と鳴く。

 また初子にかまってほしくなったのだろうか。

 初子は、いまはシュー君をちらっと見たまま、考え続けている。

 「どっちかというと、こっちの、見捨てられた家のほうを撮っておきたいんだけどね」

 道の左側の、青い屋根の住宅の並びのことを言っているらしい。

 「やっぱり」と美和は思った。

 なぜそう思ったかは、よくわからない。

 そこで、初子に

「どうして?」

ときく。

 友梨咲ゆりさは黙って歩いている。

 初子はしばらく考えてから、

 「やっぱり、普通に人が生きていた場所だし、あと、こういう家って、わたしが撮っておかないと、だれも何も撮らないまま消えて行くかも知れない、って思うとね」

 「じゃ、撮る?」

というと、初子は、また何歩か歩くあいだ考えてから、首を横に振った。

 「やっぱり、いまもだれかの家かも知れないし、その人が撮られたくないと思ってたら」

 で、またしばらく黙って歩く。

 「お父さんは、それでも撮るべき、って言うんだよね。隠し撮りとかは、基本、だめだって言うけど、ほかの人が見るところに姿をさらしておいて、写真を撮らさない、なんて認められない、って」

 それで、ちょっと笑う。

 「それで、許可なく写真撮らないでください、とか言ってた有名人とケンカになったこともあって。まあ、アイドル写真家には不向きだったのかな。もともとね」

 アイドル写真家には不向きだから、戦場の写真家になった。

 美和がきく。

 「戦場では、許可なく撮ってはいけない、とかがないから?」

 「いや。それはいろいろ言われるよ。もちろん。軍隊の人とか武器とか、ときには戦車とか撮るわけだから、軍事上の秘密の何かが写るかも知れないし」

 初子は、しばらく黙ってから

「でも、そのとき撮らないと、そこに写る人、そのすぐ後で死んでしまうかも知れないでしょ? だから、写真には、残しておくんだ、って」

 やっぱり写真を撮る場所の緊迫度が違う。

 「その人が生きてた証拠みたいなもの?」

と友梨咲がきく。

 友梨咲が言うと、何か「ふわっ」とした感じになって、鋭さがなくなる。

 内容は鋭い質問なのかも知れないが、それが鋭く聞こえない。

 得だな、と思う。

 初子が答える。

 「まあ、お父さんがよく言う話に、写真っていうものがまだそれほど広がってなかったころに、写真に写ると魂が吸い取られる、っていう迷信があって、写真を嫌う人がいたらしい、って」

 「魂」なのか。

 「それで、、普通は、だいじょうぶですよ、写真は魂なんか吸い取りませんよ、って言うんだろうけど、じゃあ、どんどん魂を吸い取って写真に保存してやるぜと思った、とか平気で言うのが、うちのお父さんのへんなところなんだけどさ」

 そういうところは、さっき言っていたおじいさんの何かを引き継いでいるんだろうな、と思う。

 もしかすると、初子も。

 「でも、お父さんが撮って本にしてるヴェリャとかほかの紛争地とかの写真集を見ると、それはわかるかな、って思うよ。この人、魂を記録しておきたいんだな、って」

 そう言ってから、初子は、うん、とうなずき

「じゃあ、やっぱりそっちの建物を撮っとこうか」

と言った。

 「わん、わん」

とシュー君が賛成する。

 いや賛成したのかどうか知らないけど。

 でも、あの「底力」のない明るい声だったので、「賛成しているように吠えた」と思っても、そんなにまちがいではないと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る