第36話 そういう問題?

 「あ、わたし」

と、ハスキーとも、しっとりしているとも取れる、その中間のような声で、女の人は言う。

 「川路かわじ警察署生活安全課の巡査長で、西にし香純かすみといいまして」

 男が

「あっ……あっ……」

とだらしのない声を立てる。

 ちなみに、シュー君は黙っている。

 黙っているどころか、突然現れた西香純巡査長に、しっぽを振っている。

 なるほど。

 ドラマとかで、犯罪者側がくやしそうに言う「警察の犬め!」というせりふがあるけど。

 いまのシュー君みたいなのを「警察の犬」というのだな。

 違うかもしれないけど。

 男が、いきなり自転車にまたがろうと、握っているハンドルに力をこめた。

 そのハンドルを、巡査長の右手がいち早く押さえる。

 すばやい。

 このすばやさで、たしかに、このひとは警察官なのだろうと納得した。

 「おっ……おまえっ……」

と、男が恨みをこめてにらみつけている相手は初子はつね

 「警察には言わないとか言ったくせにっ……」

 にらみつける、と言っても、おびえながら、だけど。

 ここで、革っぽい服の初子が

「往生際が悪いっ!」

と、びしっ、と一言言えば、たしかに刑事ドラマみたいになるんだけど。

 「えーっ?」

と、そらっとぼけるお嬢様の初子。

 「わたし、言ってないですけど?」

 そういう問題か?

 いや。

 そういう問題か。

 「あ、いやいや」

と、自転車のハンドルはきっちり押さえながら、西香純巡査長が言う。

 「もし、ここで、この女の人がいま警察に通報したとして」

 「女の人」というのは初子のことらしい。

 「女の子」ではなくて。

 「その通報ですぐにわたしが駆けつけるくらいに日本の警察が優秀なら、この国から犯罪なんかなくなるでしょ?」

 ……そういう問題?

 「だいたい、警察だって人手不足だし、一一〇番通報してから警官が来るのが遅い、とかいうクレームが、どーっ、と来るのが現状ですから」

 それはそれで、問題なような。

 男が、ハンドルを押さえられたまま、西巡査長に言う。

 「じゃあ、どうしてあんた?」

 西巡査長が答える。

 「平和へいわまち二丁目の矢畑やはたさん?」

 うわー。

 個人情報握ってる!

 こわー。

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