牧場の朝
清瀬 六朗
第1話 美和と初子
四月になっても、朝はまだ冬のように寒い。
だから、昨日の昼に着ていた春物のセーターではなく、厚手のハイネックのセーターを着る。
上からピンク、黄緑、グレーに色が分かれていて、三色だんごみたいなので、あんまり好きじゃないんだけど。
セーターの厚手はこれしかないので、しかたがない。中学校に着て行っていた紺のカーディガンも、昨日の昼に来ていた春物のセーターも、朝に外に出るにはちょっと寒いと思う。逆に、リブニットの重厚なタートルネックを着ると、たぶん暑すぎる。
セーターの上にコートを着ると途中で暑くなるのは確実なので、ミルクを中途半端に入れたコーヒーみたいな色のジャンパーを着る。
ジャンパーなのかな?
ジャケットで、両胸とその下に、ムダにたくさんポケットがついているのだけど、じゃあ、ジャケットとして部屋のなかにいるときも着るかというと。
着ないよなぁ……。
……という服。
下はグレーのウールのズボンを穿く。
あんまりおしゃれな服装じゃない、ということは自覚しているけど、じゃあ、いま持っている服のなかで何をどう組み合わせればおしゃれになるか、なんて、わからない。
いちいち考えるのもめんどうくさい。美和はそういう子だ。
出る前に、扉の手前に取りつけてある鏡で、これでいいか確かめる。
年季の入った鏡で、端のほうはところどころ銀色の物質が抜け落ちてただのガラス板になっている。
下のほうにうっすらと「高中ビル美装」という文字と電話番号が読める。
文字はもともとは金色に光っていたのだろう。
いまここに電話してもつながらないな、とふと思う。
たぶん、この建物を建てたときに何かをしてくれた会社なのだ。
ということは、この電話連絡先も、たぶん、四十年、もしかするともっと前の電話番号だ。
電話といえば、と、自分がスマホを持っているのを確かめる。
鏡に映った自分の姿をさっとチェックする。
うん、と一つうなずいて、がらがらと扉を開け、廊下に出る。
部屋に鍵をかけて階段を下り、外に出る。
今日も、空はやわらかい水色だ。薄く白い雲がかかっている。
ちょっと薄雲の量が多いかも知れないけど、でも、あの日と同じだ。
美和が、
三月の終わり、日が昇るのが早くなったある朝、河辺初子はいきなり美和の部屋の屋根の上に現れた。
美和がこの部屋に移って来て最初に迎えた朝だった。
初子が来たのは、
写真好き、または、写真を撮ることに興味を持っている。
写真を撮るのに屋根の上を使う許可は、美和のお父さんからもらったと言っていた。
容姿も清純、声も清純、それに必要以上に礼儀正しいという、トータルで見て非常に清純な清純少女だ。
美和は清純少女の相手をするのも礼儀正しい子の相手をするのも苦手だ。
少なくとも、疲れる。
だから、「河辺初子」と書いて「こうべはつね」と読む、という名まえでなかったら、美和はすぐに打ち解けなかったかも知れない。
初子は最初から名まえを紹介する画面をスマホに用意していた。
普通に挨拶していたら名まえを正しく読んでもらえない。それがわかっているからだろう。
それは、美和も同じだ。
まず、苗字の「
だいたい「とう」と読まれるか、まったくわからないか。「陶器」と言えば「せともの」だからという理由で「せと」と読まれたこともある。
さらに、名まえの美和の読みは「みな」なのだが、まあ、こちらも当然ながら「みわ」と読まれる。
とう、みわ。
ときには、中国語の名まえだと思われるのか「とうびわ」と呼ばれたりもする。
ところが、この清純少女の河辺初子は、「すえみな」という名まえを耳で聞いて、「陶美和」と書くと一発で当てた。
最初から名まえを知っている親戚とかは別として、美和の名まえから「漢字でどう書くか」を当てたのは、この初子が初めてだ。
二人とも四月から
それで、初子が持って来たレアもののカメラでいっしょに写真に写って、友だちになったのだが。
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