第2話 悲しい恋物語と白姫地区の基礎知識

 その河辺こうべ初子はつねが、入学式の前の日の朝、白姫しらひめやまの上まで写真を撮りに行くからいっしょに行こうと誘ってきた。

 また日の出を撮りに行くのか、と聞いたら、今度は夜が明けてから行くという。

 明けてから、って、何時、と聞くと、六時半、と言う。

 相手が初子でなければ断るところだ。

 でも、この初子という子が何をやるかには興味があった。

 自分で自分のことを「わがまま、暴走しがち、へんな予定を立てがち」と書いていた。

 前の二つはわからないけど、たしかに「へんな予定を立てがち」なのかも知れない。

 単純に、この子がへんな予定を立てて、どうなるか、見てみたかった。

 だから、いっしょに行くことにした。


 河辺初子が写真を撮りに行く白姫山というのは、この川路かわじの街の北にそびえる山……。

 ……いや。「そびえる」というほどではない。

 急な坂を二回登れば頂上近くまで行ける、なだらかな山だ。

 美和の家から北に出て陽明ようめい通りを渡り、そこからだらだらした上り坂を登ると白姫しらひめ神社に出る。

 その白姫神社の横の急な坂道を登ると、山守やまもり町というところに出る。

 どうも、この坂道の下が「白姫」という地名で、坂道の上が「山守」という地名らしい。

 山守町もだらだらした坂道沿いの街だ。その家の並びにそって上がっていくと、一本道がぐるっと曲がって、もうひとつ、急な坂道がある。

 その急な坂を登るとほぼ白姫山の頂上に着く。

 白姫山の山頂はほんとうになだらかな丘のようになっていて、どこがほんとうの山頂か知らない。

 それだけの低い山だ。

 だけど、そこその「ほぼ山頂」のあたりに登ると、川路の街全体が見渡せる。

 急な坂道を二つ登るだけでそういう景色が見られるというのは、もしかするとお得なのかも知れない。


 白姫しろひめというのは、昔、このあたりに住んでいたお姫様なのだそうだ。

 幸彦ゆきひこという好きな人がいたのに、親の命令で「国のかみ」様にとつぐことになった。

 国の守というのは、偉いひとで、学校で習った律令りつりょう制の「国司こくし」にあたるらしい。

 しかも、嫉妬しっと深いその国の守は、姫の好きな幸彦を反逆者だと言い立てて、軍勢を集めて攻め立てて殺そうとした。

 姫は、いくさの直前に国の守の屋敷を抜け出して、幸彦の屋敷に走って行く。やがてはじまったいくさで屋敷は火に包まれ、姫は自分がだれよりも愛する幸彦と抱き合ったまま死んだ。

 その姫をあわれんで地元のひとが姫をまつると、姫は神様になり、この山は、秋は燃え上がる炎のような紅葉に覆われ、冬は白い雪に包まれるようになった……。

 ……という神話か伝説かを小さいころに聞かされたときには、美和みなはとても感動したのを覚えている。

 とてもとても感動したのを覚えている。

 なんとか、その姫の物語のなかで、姫が助かる方法はないか、などと考えて、自分で物語を作ったりもした。

 幸彦といっしょに、いっぱい水をかぶって脱出するとか。

 戦争になる前に国の守を謀殺しておくとか。

 幸彦が秘密兵器を持っていることにして、国の守に勝つことにするとか。

 ともかく、この物語で、邪悪な国の守が何の罰も受けず、ピュアな姫と幸彦が死ぬ、という展開が、どうにも納得いかなかったのだ。

 でも、中学も三年生になるとさめてきて、「秋に紅葉に覆われて冬は雪に包まれる、って、普通じゃない?」なんて思うようになる。

 せっかくお姫様が神様になったのだから、何かもっと奇跡的なことを起こしてくれてもいいのに、なんて、神様に対してなまいきなことを考えるようになる。

 しかも、美和は、この白姫しらひめ山が雪に包まれたところなんて、見たことがない。

 ごくたまに、二年に一回ぐらい雪が積もっても、山に生えている木の上のほうが白くなるだけだ。美和の家の母屋から見ても、白一対黒二くらいの割合にしかならない。

 それとも、この山が雪化粧しなくなったのは、地球温暖化とかいうものの影響で、昔はもっと雪が降っていたのだろうか?

 あ、それと。

 白姫様は、姫としては「しろひめ」なのだが、神社の名や地名としては「しらひめ」なので。

 やっぱり名まえで苦労しているらしい。

 美和と同じように。

 これから会いに行く初子と同じように。

 そんなことはともかく。

 この白姫様を神様としてお祭りする白姫神社があるので、山は白姫山という名まえになり、ふもとの街は白姫地区ということになり、美和が通う高校も白姫高校という名まえになった。

 白姫が恋した幸彦さんのほうは「菟飼うがいの幸彦」といって、駅の向こうにあるバスセンターのもっと向こうに「菟飼」という地名があるので、そこにお屋敷を持っていたのだろう。

 悪役の国の守のほうは名まえも残っていないから。

 まあ、いいのかな?

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