第54話 善悪の境界
「いいんですか」と聞く義理もないので、そのまま送ってもらうことにする。
助手席には
「これ」
と初子がシートベルトをつけながら言う。
「ここに、この車、置いといたら、目立ちますよ。犯人に警戒されるんじゃないですか?」
「うーん」
もともとバックで車庫に入れていたので、出発のときはらくだ。
「車庫の表に幕を下ろせるんだけど、そのかわり、それ閉めちゃうと、さっきみたいに急に出ないといけなくなったとき、対応できないからね」
と、西香純巡査長が道に出る前に車を停めて左右を確認している。
「それに、これの犯人どもって、カメラがあるかどうかは警戒しても、新しい車が置いてあるから住んでる人がいるに違いない、そこの住人に見られるかも知れない、って、そういう方向に警戒心が働かなさそうなんだよね。ただの勘だけど」
確認の時間を延長して、言う。
「もし見られてたとしたら、殴り込んで痛い目に
そう言って、車を道に出す。
すぐに下り坂にかかる。
自動車でも、勢いがついて、体が浮く感じがする。
こんな急な坂だったんだ。
右側に、そのホープちゃんが落ちたという鉄橋を見て、ぐるんと左に曲がる。
そこの崖には木が茂り始めている。
いまならば、ホープちゃんが落ちたとしても、途中の木に引っかかって下までは落ちず、命は助かっただろうか。
そこから
ゆるい下りのはずだが、車はさっきのような加速がつかないで、平地のように走る。
来るときには、坂を上がり、友梨咲の撮影会をし、初子の家族の話を聞き、と、時間をかけて来た道が、短い時間で車の外を過ぎって行く。
巡査長が言う。
「ライクリッチコーポのことをわりと悪く言ったし」
そのゆめ牧場を乗っ取ってしまった会社のことだ。
「まあ、牧場を閉園したあとも、再開発するからとか言って、あそこに並んでる家、街並みをぜんぶ空き家にしたのもその会社だけどさ」
と、西香純巡査長は、その会社の悪いところをさらに並べる。
あの、青い瓦で平屋の家の並びのことだろう。美和が自転車の練習をしたころにはまだ住んでいる人がいたのに、いまは、空き家の列になっている。
「でも、あの鉄道の事務棟が悪いやつらに狙われてる、って言ったら、警察の正式の捜査じゃないことを承知であそこの家を貸してくれたのもそこの会社の人だからさ、あんまり悪くばっかりも言えないんだよね」
シュー君は、窓の外を速い速度で街並みが流れて行くのがおもしろいらしく、友梨咲の膝のところから立ち上がって窓の外を見ている。
「百パーセント善くもなく、百パーセント悪くもない、世のなか大半そういうもので、さ。そういうなかで、なんとか、法ってものを頼りにして、こっちはよろしい、こっちはダメです、って決めていくのがわたしたちの仕事だから、ま、疲れるよね」
「わんっ!」
いや。
シュー君は、疲れなくていいんだけど。
人間の話だから。
西香純巡査長は山守の通りから神社へ向かうほうへと、あんまり速度を落とさず車をくるっと回す。
回したところに犬の散歩のおじさんがいたのだけど、巡査長はハンドルを最小限に切って軽く避けてしまった。角を曲がる前に気づいていたのだろう。
巡査長の運転は、角を曲がった、歩行者を避けたという感じより、車を滑るように回転させてしまった、という感じだ。
運転技術は高いらしい。
友梨咲が通った中学校の前を通り過ぎる。
西香純巡査長は車の速度を落とした。
神社の横の坂で勢いがついてしまうのを避けようとしたからかな、と思ったけど。
それもあったのかも知れないが、それより、ブレザーにネクタイの男子生徒や、ジャンパースカートの女子生徒が、ところどころ群れになりながら坂を上がって来るからだろう。
一学期が始まっているのかどうかは知らないけど、この時間に学校に行く生徒がそれなりにいるのだ。
「もーう、道のまんなかまで出て、危ないなあ」
と西香純巡査長が愚痴を言う。
「いや。去年まで」
と友梨咲が言いかけたところで、車は
だから、友梨咲は続きを言うことができなかった。
去年まで自分もそうでした、と言おうとしたのだろうけど。
「ここで、いい?」
「あ、ありがとうございます」
と初子が言う。
友梨咲も続きを言おうとはせず、シュー君を抱いて降りた。
美和もここで降りる。このまま乗せて行ってもらえば
初子とは、このあと、ずっと高校でいっしょだけど。
みんなが車から降りてから、巡査長は初子に名刺をまとめて渡してくれた。
「ありがとうございます」
と言って、遅刻するかも知れない西香純巡査長を見送る。
巡査長の車は、下の交差点まで下りて行き、そこで清華食堂とは反対側に曲がった。
初子が預かった名刺を配ってくれる。
「何、これ?」
と、美和は、正直に、無遠慮に言った。
横長の名刺で、いちばん上に
「あなたといっしょに、この街の安全を」
ということばがわりと大きく書いてある。
その下に、
ドラマに出て来るいかついまじめな感じの警察とは感じが違う。
「いまの警察の名刺ってこんなんなんだね」
と初子も言った。
やっぱり意外だったらしい。
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