第44話 馬と人間(3)

 「最初の五年くらいかな。それは、いま思うと、ほんとに夢みたいな時代だったな」

 右馬うますけさんは、話し始めたときはあぐらをかいてうつむいていたのに、いまは、明るい、よく通る声で話している。

 目を輝かせ、前を向いて、初子はつね、巡査長、友梨咲ゆりさ美和みなにきちんと「くばり」というのをして。

 「朝早くここに来て、馬の慣らし運動をやって、上の牧場にも馬はいたから、その世話もやって。もちろん、馬以外の動物の世話とかもして」

 そこでしばらくことばを切ってから、右馬之祐さんは言った。

 「そのなかで、ここでいっしょに育ったのが、ラブちゃん」

 ちょっとだけ恥ずかしそうにした。

 「ここに来たときにはまだ若くて、馬車を引く練習をさせるんだけど、もちろん営業が終わってからやることになるから、夏、っていうか、春の夕方、一人で馬車に乗って、ラブちゃんの様子を見ながら、そこの鉄道馬車の線路を行くんだけど。日暮れのときに、空はぼんやり明るくて、あったかい風が吹いてきて、馬車で、線路の音がして。夢のような、っていうのは、ああいうのなんだろうな。あの気もちは、一生、忘れない」

 初子が小さくうなずいたのがわかった。

 「ラブちゃんが一人前になって、馬が十二頭、休日は八頭で交替で馬車を引いて、平日は六頭で一時間ごとだったかな。雨の日も行くんで、お客さんから、馬が雨に濡れてかわいそうだからって、馬用のあま合羽がっぱを送ってもらったこともあったな。でも、大きさが足りなくて、ほら、ちょうどそんな感じで」

 「そんな感じ」とは。

 初子の膝枕で寝ているシュー君のマントのことを言っているようだが。

 シュー君は寝てしまって、反応しない。

 「でも、おれが就職したころ、っていうのは、日本人がみんなお金持ちになって、遠くにできたテーマパークとか、外国とかに遊びに行くようになった時代で、まあ、こんな街の、それも山の上の不便な場所にある牧場なんかには遊びに来なくなった。それに、そのころの社長っていうのがきまじめな人で、タイアップの話とかいろいろあったんだが、そういうのをぜんぶ断ってしまって。そのあと、お定まりのバブル崩壊の話とか、不良債権の騒ぎとかがあって、それまで、うちの、というか、ゆめ牧場の経営がどんなに赤字でも金を貸し続けてくれてた地元の銀行が、急に金を出してくれなくなって。それで、牧場が別の会社に買い取られることになって」

 「ライクリッチコーポレートですね」

西にし香純かすみ巡査長が言う。

 「さあ」

というのが右馬之祐さんの返事。

 「そんな会社名はよく知らないけど。ともかく、そのあとがひどかった。地獄さ」

 やっぱり、そういう話になるのか。

 それにしても「地獄」なんて。

 どんなひどいことになったんだろう?

 「新しい社長、最初は馬車鉄道を廃止とか言い出したんだが、それは、ここに遊びに来る人たちが署名運動とかをやってくれて、廃止は回避した。とはいうものの、馬は、十二頭いたのが四頭まで減らされて。そのくせ、自分はダチョウを買って、ダチョウレースで子どもに賭けをやらせたりして」

 「それって、違法なんじゃないですか?」

と初子がきく。

 相手は、西香純巡査長だろう。

 「まあ、お金を賭けなければいいのよ。クイズとかで、正解した人に賞品として何かを差し上げます、とかというのと同じで」

 「ああ、そうか」

と初子が納得すると、巡査長は

「まあ、わたし、法律詳しくないし、とくにそっちの方面はよくわからないから」

と言って照れ笑いする。

 そんなことないと思うんだけど。

 「もともと養鶏場をやってた会社だから」

と巡査長は続ける。

 「だから、チャボを飼ってどりっていって出荷しようとしたり、池でアヒル飼ってペキンダックっていって出荷しようとしたり。馬を減らしたかったのも、牧場の池のところをアヒル園にしたかったからだから」

 「それで」

と友梨咲が言う。

 「うちにゆめ牧場のペキンダックって箱があるんだ!」

 飼い主の声に、シュー君が薄目を開ける。

 「けっきょく、味が水っぽいって、ぜんぜん成功しなかったけどね」

と巡査長は言い、右馬之祐さんは

「そんなことのために!」

と吐き捨てるように言う。


 ※ 次回の更新は12月7日(土)の予定です。

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